万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1104)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(64)―万葉集 巻十 二一三四

●歌は、「葦辺にある荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(64)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)


 

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(64)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆葦邊在 荻之葉左夜藝 秋風之 吹来苗丹 鴈鳴渡  一云 秋風尓 鴈音所聞 今四来霜

                  (作者未詳 巻十 二一三四)

 

≪書き下し≫葦辺(あしへ)にある荻(をぎ)の葉さやぎ秋風の吹き来(く)るなへに雁鳴き渡る  一には「秋風に雁が音聞こゆ今し来らしも」といふ

 

(訳)葦辺(あしべ)に生えている荻(おぎ)の葉がさやさやとそよぎ、秋の風が快く吹いてくる折しも、雁が大空を鳴いて渡って行く。<秋風に乗って雁の鳴き声が聞こえてくる。今こそ雁はやって来たらしい>(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)なへに 分類連語:「なへ」に同じ。 ※上代語。 ⇒ なりたち 接続助詞「なへ」+格助詞「に」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)なへ 接続助詞《接続》活用語の連体形に付く。:〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(学研)

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『オギ』はススキに似た水辺や湿地に生える、高さ2メートルにもなる大型の多年草である。秋に銀白色のススキの穂より大きい絹のような糸状の花穂(カスイ)を出す。アシやガマなどは冬枯れするが、オギの茎は生きている。昔から屋根をふく材として使用された。」と書かれている。

 

 「荻」を詠んだ歌は、万葉集では三首収録されている。他の二首もみてみよう。

 

 題詞は、「碁壇越徃伊勢國時留妻作歌一首」<碁壇越(ごのだにをち)、伊勢の国に行く時に、留(とどま)れる妻(め)の作る歌一首>である。

 

◆神風之 伊勢乃濱荻 折伏 客宿也将為 荒濱邊尓

                (碁壇越の妻 巻四 五〇〇)

 

≪書き下し≫神風(かむかぜ)の伊勢の浜荻(はまをぎ)折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺(はまへ)に

 

(訳)神風吹く伊勢の浜辺の荻を折り伏せて、あの人は旅寝をしておられることであろうか。あの波風荒い浜辺で。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)かむかぜの【神風の】分類枕詞:地名「伊勢」にかかる。「かみかぜの」とも。 ※平安時代後期以降は「かみかぜや」が一般的。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はまをぎ【浜荻】名詞:①浜辺に生えている荻。②葦(あし)の別名。(学研)

  

 荻を折り伏せて旅寝をするという感覚は、若かりし頃、四国カルストに行った時、辺り一面ススキの海みたいなもので、家持の四三二〇歌の「・・・さを鹿の胸別け行かむ秋野萩原」の鹿の様に秋のススキが原をかき分け進み、大の字になって青空を見たことを思いだす。自然のススキの敷布団である。夜の旅寝の感覚とは程遠いものではあるが、背中の感覚は似たようなものであろう。

 

 

◆伊毛奈呂我 都可布河泊豆乃 佐左良乎疑 安志等比登其等 加多理与良斯毛

               (作者未詳 巻十四 三四四六)

 

≪書き下し≫妹(いも)なろが付(つ)かふ川津(かはず)のささら荻(をぎ)葦(あし)と人言(ひとごと)語(かた)りよらしも

 

(訳)あの子がいつも居ついている川の渡し場に茂る、気持ちの良いささら荻、そんなすばらしいささら荻(共寝の床)なのに、世間の連中は、それは葦・・・悪い草だと調子にのって話し合っているんだよな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)なろ:親愛の接尾語

(注)ささら【細ら】接頭語:〔名詞に付いて〕細かい。小さい。「さざら」とも。「ささら形(がた)」「ささら波」(学研)

(注)葦は「悪し」を懸ける。

(注)ひとごと【人言】名詞:他人の言う言葉。世間のうわさ。(学研)

(注)「語り宣し」で、調子よく噂しているの意か。

 

 

 歌謡ののりみたいな歌ではあるが、微笑ましく何度も何度も口ずさんでしまう。よくぞ、この歌を収録してくれたものである。

 「荻」を詠った三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(678)」でも紹介している。

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 「オギ」と「ススキ」そして「ヨシ(アシ)」の違いを野田市HP「草花図鑑」でみてみよう。

 

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「オギ (野田市HPより引用させていただきました)」

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「ススキ (野田市HPより引用させていただきました)」

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「ヨシ(アシ) 野田市HPより引用させていただきました。」

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫) 

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「草花図鑑」 (野田市HP)

万葉歌碑を訪ねて(その1102、1103)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(62,63)―万葉集 巻十四 三五〇八、巻五 九〇四

―その1102―

●歌は、「芝付の御宇良崎なるねつこ草相見ずあらずば我れ恋ひめやも」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(62)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(62)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安礼古非米夜母

               (作者未詳 巻十四 三五〇八)

 

≪書き下し≫芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なるねつこ草(ぐさ)相見(あひみ)ずあらずば我(あ)れ恋ひめやも

 

(訳)芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)のねつこ草、あの一緒に寝た子とめぐり会いさえしなかったら、俺はこんなにも恋い焦がれることはなかったはずだ(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)。

(注)ねつこ草:女の譬え。「寝っ子」を懸ける。

(注)ねつこぐさ【ねつこ草】〘名〙: オキナグサ、また、シバクサとされるが未詳。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版 )

(注)あひみる【相見る・逢ひ見る】自動詞:①対面する。②契りを結ぶ。(学研)

 

「ねつこ草」を詠んだ歌は、万葉集ではこの1首だけである

 

春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板には、「『ねつこぐさ』と詠まれているのは一首のみで『翁草(オキナグサ)』説が有力であるが、少数意見として『捩花(ネジバナ)』説がある。

『捩花(ネジバナ)』とは和名で、日当たりのよい山野に咲く多年草で群生するともあり、別名『もじずり』とも呼ばれている。

 茎の高さは約30センチほどで、6~7月頃に3~4本のピンク色の花穂がかたまって伸びて咲く。花は小さいが『蘭(ラン)』によく似ている。まっすぐに伸びた茎のまわりに、らせん状にねじれるように連なって小さな花が咲くので『捩花(ネジバナ)』の名が付く。」と書かれている。

 

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オキナグサ 「みんなの趣味の園芸」(NHK出版HP)より引用させていただきました。

「寝つ子」と懸け相手の女性を喩えるイメージからすると、ピンク色の捩じれた感じの「ネジバナ」に軍配をあげたいところである。

 

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ネジバナ (平城宮跡で撮影したもの)


 

 

ネジバナは、庭でも咲いているし、平城宮跡では、群生もみられる。かわいらしい花である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(332)」で紹介している。

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―その1103―

●歌は、「・・・父母もうへはなさかりさきくさの中にを寝むと愛しくしが語らへば・・・」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(63)万葉歌碑<プレート>(山上憶良

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(63)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「戀男子名古日歌三首 長一首短二首」<男子(をのこ)名は古日(ふるひ)に恋ふる歌三首 長一首短二首>である。

 

◆世人之 貴慕 七種之 寶毛我波 何為 和我中能 産礼出有 白玉之 吾子古日者 明星之 開朝者 敷多倍乃 登許能邊佐良受 立礼杼毛 居礼杼毛 登母尓戯礼 夕星乃 由布弊尓奈礼婆 伊射祢余登 手乎多豆佐波里 父母毛 表者奈佐我利 三枝之 中尓乎祢牟登 愛久 志我可多良倍婆 何時可毛 比等ゝ奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登 大船乃 於毛比多能無尓 於毛波奴尓 横風乃尓 尓布敷可尓 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖 天神 阿布藝許比乃美 地祇 布之弖額拜 可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等 立阿射里 我例乞能米登 須臾毛 余家久波奈之尓 漸ゝ 可多知都久保里 朝ゝ 伊布許等夜美 霊剋 伊乃知多延奴礼 立乎杼利 足須里佐家婢 伏仰 武祢宇知奈氣吉 手尓持流 安我古登婆之都 世間之道

                  (山上憶良 巻五 九〇四)

 

 

≪書き下し≫世の人の 貴(たふと)び願ふ 七種(ななくさ)の 宝も 我(わ)れは何せむ 我(わ)が中(なか)の 生(うま)れ出(い)でたる 白玉(しらたま)の 我(あ)が子古日(ふるひ)は 明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は 敷栲の 床(とこ)の辺(へ)去らず 立てれども 居(を)れども ともに戯(たはぶ)れ 夕星(ゆふつづ)の 夕(ゆふへ)になれば いざ寝(ね)よと 手をたづさはり 父母(ちちはは)も うへはなさかりり さきくさの 中にを寝むと 愛(うつく)しく しが語らへば いつしかも 人と成(な)り出(い)でて 悪(あ)しけくも 良けくも見むと 大船(おおぶね)の 思ひ頼むに 思はぬに 横しま風のに にふふかに 覆(おほ)ひ来れば 為(な)むすべの たどきを知らに 白栲(しろたへ)の たすきを懸(か)け まそ鏡 手に取り持ちて 天(あま)つ神 仰ぎ祈(こ)ひ禱(の)み 国つ神 伏して額(ぬか)つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈(こ)ひ禱 (の)めど しましくも 良(よ)けくはなしに やくやくに かたちくつほり 朝(あさ)な朝(さ)な 言ふことやみ たまきはる 命(いのち)絶えぬれ 立ち躍(をど)り 足(あし)すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子飛ばしつ 世の中の道

 

(訳)世間の人が貴び願う七種の宝、そんなものも私にとっては何になろうぞ。われわれ夫婦の間の、願いに願ってようやくうまれてきてくれた白玉のような幼な子古日は、明星の輝く朝になると、寝床のあたりを離れず、立つにつけ座るにつけ、まつわりついてはしゃぎ回り、夕星の出る夕方になると、「さあ寝よう」と手に縋(すが)りつき、「父さんも母さんもそばを離れないでね。ぼく、まん中に寝る」と、かわいらしくもそいつが言うので、早く一人前になってほしい、良きにつけ悪しきにつけそのさまを見たいと楽しみにしていたのに、思いがけず、横ざまのつれない突風がいきなり吹きかかって来たものだから、どうしてよいのか手だてもかわらず、白い襷(たすき)を懸け、鏡を手に持ちかざして、仰いで天の神に祈り、伏して地の神を拝み、治して下さるのも、せめてこのままで生かして下さるのも、神様の思(おぼ)し召(め)しのままですと、ただうろうろと取り乱しながら、ひたすらお祈りしたけれども、ほんの片時も持ち直すことはなく、だんだんと顔かたちがぐったりし、日ごとに物も言わなくなり、とうとう息が絶えてしまったので、思わず跳(と)びあがり、地団駄(じだんだ)踏んで泣き叫び、伏して仰ぎつ、胸を叩(たた)いて嘆きくどいた、だが、そのかいもなく、この手に握りしめていた我が幼な子を飛ばしてしまった。ああ、これが世の中を生きていくということなのか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)七種の宝>しちほう【七宝】: 仏教で、7種の宝。無量寿経では金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・硨磲(しゃこ)・珊瑚(さんご)・瑪瑙(めのう)。法華経では金・銀・瑪瑙・瑠璃・硨磲・真珠・玫瑰(まいかい)。七種(ななくさ)の宝。七珍。しっぽう。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)しらたま【白玉・白珠】名詞:白色の美しい玉。また、真珠。愛人や愛児をたとえていうこともある。(学研)

(注)あかほしの【明星の】分類枕詞:「明星」が明け方に出ることから「明く」に、また、それと同音の「飽く」にかかる。(学研)

(注)ゆふつづの【長庚の・夕星の】分類枕詞:「ゆふつづ」が、夕方、西の空に見えることから「夕べ」にかかる。また、「ゆふつづ」が時期によって、明けの明星として東に見え、宵の明星として西の空に見えるところから「か行きかく行き」にかかる。(学研)

(注)うへはなさかり:そばを離れないで、の意か。

(注)さきくさの【三枝の】分類枕詞:「三枝(さきくさ)」は枝などが三つに分かれるところから「三(み)つ」、また「中(なか)」にかかる。「さきくさの三つ葉」(学研)

(注)し【其】代名詞〔常に格助詞「が」を伴って「しが」の形で用いて〕:①それ。▽中称の指示代名詞。②おまえ。なんじ。▽対称の人称代名詞。③おのれ。自分。▽反照代名詞(=実体そのものをさす代名詞)。(学研)ここでは②の意

(注)横しま風:子に取りついた病魔のことか。

(注)にふふかに;俄かに、の意か。

(注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考 古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)

(注)あざる【戯る・狂る】自動詞:取り乱して動き回る。(学研)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

(注)やくやく【漸漸】[副]:《「ようやく」の古形》だんだん。しだいに。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)かたちつくほり:「かたち」は顔かたち。「つくほり」はしぼんで勢いがなくなる意か。

 

 憶良ならではの、臨場感、無常感、絶望感溢れる歌である。もうこれ以上は何も書けない雰囲気である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

万葉歌碑を訪ねて(その1101)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(61)―万葉集 巻一 一〇二

●歌は、「玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我は恋ひ思ふを」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(61)万葉歌碑<プレート>(巨勢郎女)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(61)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

題詞は、「巨勢郎女報贈歌一首  即近江朝大納言巨勢人卿之女也」<巨勢郎女、報(こた)へ贈る歌一首  すなはち近江の朝の大納言巨勢人(こせのひと)卿が女(むすめ)なり>である。

 

◆玉葛 花耳開而 不成有者 誰戀尓有目 吾孤悲念乎

               (巨勢郎女 巻一 一〇二)

 

≪書き下し≫玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我(あ)は恋ひ思(も)ふを

 

(訳)玉葛で花だけ咲いて実がならない、そんな実のない恋はどこのどなたさんのものなんでしょう。私の方はひたすら恋い慕うておりますのに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまかづら【玉葛・玉蔓】名詞:つたなど、つる草の美称。 ※「たま」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) 実のならない雄木を匂わしている。

(注の注)たまかづら【玉葛・玉蔓】分類枕詞:つる草のつるが、切れずに長く延びることから、「遠長く」「絶えず」「絶ゆ」に、また、つる草の花・実から、「花」「実」などにかかる。(学研)

(注)ならず:誠意のないことの譬え。

 

 この歌は、巨勢郎女が、大伴宿祢安麻呂に報(こた)へ贈る歌である。安麻呂の歌もみてみよう。

 

題詞は、「大伴宿祢娉巨勢郎女時歌一首  大伴宿祢諱曰安麻呂也難波朝右大臣大紫大伴長徳卿之第六子平城朝任大納言兼大将軍薨也」<大伴宿禰、巨勢郎女(こせのいらつめ)を娉(つまど)ふ時の歌一首  大伴宿禰、諱(いみな)を安麻呂といふ。難波の朝の右大臣大紫大伴長徳卿が第六子、平城の朝に大納言兼大将軍に任けらえて薨ず>である。

(注)大伴宿祢:ここは、大伴旅人の父、大伴安麻呂のこと

(注)巨勢郎女:近江朝の大納言巨勢臣人の娘。

(注)いみな【諱・謚・諡】名詞:①(貴人の生前の)実名。②死後に贈る称号。(学研)ここでは①の意

(注)難波朝:孝徳朝(645~654年)

(注)大紫:大化の冠位。後の正三位相当。

 

 

◆玉葛 實不成樹尓波 千磐破 神曽著常云 不成樹別尓

               (大伴安麻呂 巻二 一〇一)

 

≪書き下し≫玉(たま)葛(かづら)実(み)ならぬ木にはちはやぶる神(かみ)ぞつくといふならぬ木ごとに

 

(訳)玉葛の雄木(おぎ)ではないが、実のならぬ木には恐ろしい神が依(よ)り憑(つ)いていると言いますよ。実のならぬ木にはどの木も。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまかづら【玉葛・玉蔓】>さなかづらのこと

(注の注)さねかづら【真葛/実葛】[名]:モクレン科の蔓性(つるせい)の常緑低木。暖地の山野に自生。葉は楕円形で先がとがり、つやがある。雌雄異株で、夏、黄白色の花をつけ、実は熟すと赤くなる。樹液で髪を整えたので、美男葛(びなんかずら)ともいう。さなかずら。《季 秋》(コトバンク デジタル大辞泉

 

 この二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その900)」で紹介している。

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 春日大社神苑萬葉植物園の歌碑(プレート)にはほとんどと言ってもよいほどに設置されている植物解説板がなく、「スイカズラ」とプレートに書かれており、後方に「すいかずら(にんどう)」が植えられている。「スイカズラ」を検索したが、雌雄異株ではないようである。

 歌の内容にそった「さなかずら」と考えたい。

 「さなかずら」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1085)」で紹介している。

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 7月15日の明け方、凄まじい雷鳴がとどろく。さすがに目が覚める。外が一瞬、光ったかと思った次の瞬間、ドドーン、バリッ! そして停電。

間もなく通電再開となるが、雷鳴は続く。家の前の道路は、浅瀬の川面の如く雨水が流れている。

 1時間ほど経つと、嘘の様に青空が。

 

コロナ禍であるので、万葉歌碑巡りもままならない。インスタなどで万葉歌碑がアップされているのを見ると、無性に行きたくなる。もう少しの辛抱であるが。

 

 すっかり晴れたので、西大寺に買い物にでかける。いつものパターンであるが、商業施設の1階で、買い物組と別れ、独り西大寺に向かう。西大寺の万葉歌碑は何度もみているが、それでも行って眺めて見たいと思う。

近鉄西大寺の駅も様変わり、南側に立派なロータリーが完成している。

 

東門の西大寺の銘板も新しくなっている。

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西大寺東門

境内に入り、石畳の感覚を味わいながら本堂へ、東塔址を左手に、鐘楼へ。歌碑は鐘楼の右手横にある。

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鐘楼

本堂や東塔址の随所に大きな蓮鉢が飾られていて、蓮の花と実が楽しめる。

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蓮の実と本堂

歌碑の今日の表情を写す

 

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今日の歌碑の表情

 

歌は、「この里は継ぎて霜や置く夏の野に 我が見し草はもみちたりけり(孝謙天皇 巻十九 四二六八)」である。

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その35改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦ください、)

➡ 

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家に帰る途中、プチぶらり歌碑めぐりと洒落込む。

インスタで投稿されていた歌碑が刺激となる。JR平城山駅の歌碑をめざす。前回おとずれたのは、平成31年3月24日である。

前回、後から写真を見て、駅らしく、電車と一緒に写せばよかったと思ったので、今回は電車がホームに入って来るのを待った。

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歌碑とJR京都行普通電車


 

 

◆佐保過而 寧樂乃手祭尓 置幣者 妹乎目不離 相見染跡衣

                   (長屋王 巻三 三〇〇)

 

≪書き下し≫佐保(さほ)過ぎて奈良の手向(たむ)けに置く幣(ぬさ)は妹(いも)を目離(めか)れず相見(あひみ)しめとぞ

 

(訳)佐保を通り過ぎて奈良山の手向けの神に奉る幣は、あの子に絶えず逢わせたまえという願いからなのです。

(注)佐保:奈良市法蓮町・法華寺町一帯

(注)ぬさ【幣】名詞:神に祈るときの捧(ささ)げ物。古くは麻・木綿(ゆう)などをそのまま用いたが、のちには織った布や紙などを用い、多く串(くし)につけた。また、旅には、紙または絹布を細かに切ったものを「幣袋(ぬさぶくろ)」に入れて携え、道中の「道祖神(だうそじん)」に奉った。(学研)

 

 この歌の題詞は、「長屋王駐馬寧楽山作歌二首」<長屋王(ながやのおほきみ)、馬を奈良山に駐(と)めて作る歌二首>である。

 

この歌ならびに長屋王の歌五首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その31改)で紹介している。(こちらも、初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

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歌の訓読碑


 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

 

万葉歌碑を訪ねて(その1100)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(60)―万葉集 巻十六 三八五五

●歌は、「ざう莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(60)万葉歌碑<プレート>(高宮王)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(60)にある。

 

●歌をみていこう。                           

 

題詞は、「高宮王詠數首物歌二首」<高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠む歌二首>である。

 

◆           ▼莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為

               (高宮王 巻十六 三八五五)

   ▼は「草かんむりに『皂』である。「▼+莢」で「ざうけふ」と読む。

 

≪書き下し≫ざう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕(みやつか)へせむ

 

(訳)さいかちの木にいたずらに延いまつわるへくそかずら、そのかずらさながらの、こんなつまらぬ身ながらも、絶えることなくいついつまでも宮仕えしたいもの。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)おほとる 自動詞:乱れ広がる。(学研)

(注)上三句は序。「絶ゆることなく」を起こす。自らを「へくそかずら」に喩えている。

(注)ざう莢(けふ)>さいかち【皂莢】:マメ科の落葉高木。山野や河原に自生。幹や枝に小枝の変形したとげがある。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、ややねじれた豆果を結ぶ。栽培され、豆果を石鹸(せっけん)の代用に、若葉を食用に、とげ・さやは漢方薬にする。名は古名の西海子(さいかいし)からという。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『尿葛(クソカズラ)』は、ヤブや草地などに多いつる性の多年草の古名で全体に悪臭があることから現在は『屁尿葛(ヘクソカズラ)』と呼ばれている。花は小さな釣鐘状で白い花びらの真ん中が赤紫色になっている。『早乙女花(サオトメバナ)』という別名もあり、この名は花の名をあわれんだ高貴な女性が名付けたという説と、娘たちが早苗を植える頃に咲くのでこの名が付いた説とがある。(中略)『お灸花(キュウバナ)』・『やいとばな』とも・・・『テングバナ』とも呼ばれていた。(後略)」と書かれている。

 

 

 7月3日、朝方まで雨が降っていたが、予報では午前中は曇り予報に変わっている。西大寺のデパートへの買い物ついでに平城宮跡ぶらり歩きをした。

 インスタグラムの投稿で「第一次大極殿院 南門」の復元整備工事の側面シートが撤去され、鉄骨越しに姿が見られるとあったので、みてみたいと思ったからである。

 折り畳みの傘をバッグに入れ、買い物組と別れて平城宮跡へ。

 

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平城宮跡大極殿

 平城宮跡資料館前から大極殿方面に。右手前方に鉄骨で被われた南門が見えてくる。はやる心をおさえ、これまで青空を背景に、金色に輝く鴟尾や建物を映していたが、雨雲の立ちこめた大極殿をカメラに収める。これはこれでなかなかのものである。

 

 聖武天皇「彷徨の五年」のなかで、恭仁京遷都がなされたが、その京に建てられた大極殿は、ここ平城京から移築されたものである。リユースである。多分木津川の水路を利用したと考られるが、奈良万葉の時代のパワーに改めて感慨深く大極殿を見つめた。

 恭仁京大極殿址についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その182)」で紹介している。

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 工事現場には意外と近くまで行けるので、鉄骨に囲われているとはいえ、それなりの南門の姿をカメラに収めることができた。

 

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鉄骨に覆われた南門

 ぶらぶら外周を歩いていると雑草に目が行く。いたるところでネジバナが文字通りツイストさせた姿で花を咲かせている。

 朱雀門あたりから資料館へ戻る途中、ヘクソカズラが花を咲かせていた。可憐な花を見ていると、確かに、かわいそうな名前を付けられたものであると思えてくる。

 しかし、庭に生えてあちこち絡んでいる蔓を引っこ抜くと臭いがたまらない。「ヘクソ」である。名にし負わば、である。

 

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クソカズラの花

 

 歌にもどろう。なお高宮王については伝未詳となっているが、三八五六歌の二首が「物名歌」であるので巻十六に収録されている。

ただし、三八二四歌(長忌寸意吉麻呂の「物名歌」)から三八三四歌の歌群から飛んだ形で三八五五、三八五六歌が収録されているので、ここから巻末までは、後で増補された可能性が高いと思われる。

 

 三八五六歌もみてみよう。

 

◆波羅門乃 作有流小田乎 喫烏 瞼腫而 幡幢尓居

               (高宮王 巻十六 三八五六)

 

≪書き下し≫波羅門(ばらもに)の作れる小田(をだ)を食(は)む烏(からす)瞼(まなぶた)腫(は)れて幡桙(はたほこ)に居(を)り

 

(訳)波羅門(ばらもん)様が作っておられる田、手入れの行き届いたその田んぼを食い荒らす烏め、瞼(まぶた)腫(は)らして、幡竿(はたざお)にとまっているわい。(同上)

(注)波羅門:天平八年(736年)、中国から渡来して大安寺に住んだインドの僧。

(注)幡桙:説法など仏事の際に寺の庭に立てる幡(ばん)を支える竿。

(注の注)はた【幡・旗】名詞:①仏・菩薩(ぼさつ)の威徳を示すため、法会(ほうえ)の際に用いる飾り。◇仏教語。②朝廷の儀式や軍陣で、飾りや標識として用いる旗。 ※「ばん」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 巻十六は、巻頭に「有由縁幷雑歌」とあり、「有由縁、雑歌を幷せたり」と訓読し、「由縁有る歌と雑歌」とする説や、目録では、「有由縁雑歌」となっていることから「由縁有る雑歌」とする説がある。

 いずれにしても、特異な巻である。乱暴な言い方をすれば、超娯楽性に富んだ巻といえる。

 ここが、万葉集という、裾野の広い富士山のような美しい姿を作り上げている所以であろう。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

万葉歌碑を訪ねて(その1099)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(59)―万葉集 巻七 一七二三

●歌は、「かはづ鳴く六田の川の川楊のねもころ見れど飽かぬ川かも」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(59)万葉歌碑<プレート>(絹)


 

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(59)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆河蝦鳴 六田乃河之 川楊乃 根毛居侶雖見 不飽河鴨

              (絹 巻九 一七二三)

 

≪書き下し≫かはづ鳴く六田(むつた)の川の川楊(かはやなぎ)のねもころ見れど飽(あ)かぬ川かも

 

(訳)河鹿の鳴く六田の川の川楊の根ではないが、ねんごろにいくら眺めても、見飽きることのない川です。この川は。(同上)

(注)川楊:川辺に自生する。挿し木をしてもすぐに根付くほどの旺盛な生命力を持っている。ネコヤナギとも言われる。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会) 

(注)上三句は序。「ねもころ」を起こす。

(注)ねもころ【懇】副詞:心をこめて。熱心に。「ねもごろ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌の題詞は、「絹歌一首」<絹が歌一首>である。

(注)絹:伝未詳。土地の遊行女婦か。

 

 吉野川域の「六田」を詠った歌は三首収録されているが、他の二首もみてみよう。

 

◆今敷者 見目屋跡念之 三芳野之 大川余杼乎 今日見鶴鴨

               (作者未詳 巻七 一一〇三)

 

≪書き下し≫今しくは見めやと思ひしみ吉野(よしの)の大川淀(おほかわよど)を今日(けふ)見つるかも

 

(訳)当分は見られないと思っていたみ吉野の大川淀、その淀を、幸い今日はっきりとこの目に納めることができた。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)今しく:当分は。「今しく」は形容詞「今し」の名詞形。

(注)大川淀:吉野川六田の淀。

 

一一〇五歌は、吉野川の六田(むつた)の淀を詠った歌である。こちらもみてみよう。

 

 

◆音聞 目者末見 吉野川 六田之与杼乎 今日見鶴鴨

               (作者未詳 巻七 一一〇五)

 

≪書き下し≫音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田(むつた)の淀(よど)を今日見つるかも

 

(訳)噂に聞くだけで、この目で見たこともない、吉野川の六田の淀、その淀を今日やっと見ることができた。(同上)

(注)六田:吉野町六田・大淀町北六田あたり。近くに近鉄吉野線の「六田駅」があるが、今は「むだえき」とよんでいる。

 

この三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その767)」の中で紹介している。

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 「柳」と「楊」について、春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板に次のように説明されている。

「『ヤナギ』は万葉集中に三十九首も表現されているが、日本在来の枝葉があがる『楊(ヤナギ)』と、中国から渡来した枝葉が垂れ下がる『柳(ヤナギ)』とがあり、『楊』の字は『カワヤナギ』を表し、『柳』の字は『シダレヤナギ』を表している。(中略)『川柳(カワヤナギ)』は・・・『猫柳(ネコヤナギ)』とも呼ばれ・・・早春の生け花にネコヤナギの雄花が使われ、挿し木をしてもすぐ根付くほど旺盛な生命力があるので春を感じさせる植物として親しまれる。」

 

 

「カワヤナギ」を詠んだ歌は万葉集に四首収録されている。この四首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その262改)で紹介している。

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 一七二三歌を含む一七二〇から一七二五歌は、巻七に収録された「柿本人麻呂歌集に出(い)づ」の一群で「吉野」を詠っている。

 他の五首をみてみよう。

 題詞は、「元仁(がんじん)が歌三首」である。

 

◆馬屯而 打集越来 今日見鶴 芳野之川乎 何時将顧

              (元仁 巻九 一七二〇)

 

≪書き下し≫馬並(な)めて打(う)ち群(む)れ越え来(き)今日(けふ)見つる吉野(よしの)の川(かは)をいつかへり見む

 

(訳)馬をあまた並べて、鞭(むち)くれながらみんなで越えて来て、今日この目でしっかと見た吉野川、この美しい川の流れを、いつの日また再びやってきて見られるだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆辛苦 晩去日鴨 吉野川 清河原乎 雖見不飽君

              (元仁 巻九 一七二一)

 

≪書き下し≫苦しくも暮れゆく日かも吉野川(よしのがは)清き川原(かはら)を見れど飽(あ)かなくに

 

(訳)残念ながら今日一日はもう暮れて行くのか。吉野川の清らかな川原は、いくら見ても見飽きることはないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)くるし【苦し】形容詞:①苦しい。つらい。②〔上に助詞「の」「も」を伴って〕困難である。③心配だ。気がかりだ。④〔下に打消・反語を伴って〕不都合だ。差しさわりがある。⑤不快だ。見苦しい。聞き苦しい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

吉野川 河浪高見 多寸能浦乎 不視歟成嘗 戀布莫國

              (元仁 巻九 一七二二)

 

≪書き下し≫吉野川川波高み滝(たき)の浦を見ずかなりなむ恋(こひ)しけまくに

 

(訳)吉野川の川波がこんなに高くては、滝の浦を見ないままになってしまうのではなか。あとで悲しくてならないであろうに。(同上)

(注)滝(たき)の浦:宮滝付近の湾曲部。

 

 元仁の三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その445)」で紹介している。

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題詞は、「嶋足歌一首」<島足(しまたり)が歌一首>である。

 

◆欲見 来之久毛知久 吉野川 音清左 見二友敷

                 (島足 巻七 一七二四)

 

≪書き下し≫見まく欲(ほ)り来(こ)しくもしるく吉野川音(おと)のさやけさ見るにともしく

 

(訳)見たい見たいと思ってやって来たその思いどおりに、吉野川の瀬音の何とすがすがしいことか。見れば見るでますます心がひきつけられてしまって。(同上)

(注)ともし 形容詞:【羨し】①慕わしい。心引かれる。②うらやましい。(学研)

 

 

題詞は、「麻呂歌一首」<麻呂が歌一首>である。

 

◆古之 賢人之 遊兼 吉野川原 雖見不飽鴨

                 (麻呂 巻七 一七二五)

 

≪書き下し≫いにしへの賢(さか)しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも

 

(訳)去(い)にし世の賢人たちが来て遊んだという吉野の川原、この川原は、見ても見ても見飽きることがない。(同上)

(注)いにしへの賢(さか)しき人:天武天皇の「淑(よ)き人」(二七歌)を意識している。

 

 吉野、吉野川は、名の持つ響きと大自然の情景と相まって、神々しさを感じさせる。機会をみてもう一度訪れ、じっくり溶け込んでみたいものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

万葉歌碑を訪ねて(その1098)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(58)―万葉集 巻二十 四三五二 

●歌は、「道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(58)万葉歌碑<プレート>(丈部鳥)

●歌碑は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(58)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟

                (丈部鳥 巻二十 四三五二)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆(まめ)のからまる君をはかれか行かむ

 

(訳)道端の茨(いばら)の枝先まで延(は)う豆蔓(まめつる)のように、からまりつく君、そんな君を残して別れて行かねばならないのか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)うまら【茨・荊】名詞:「いばら」に同じ。※上代の東国方言。「うばら」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。

(注)「延(は)ほ」:「延(は)ふ」の東国系

 

左注は、「右一首天羽郡上丁丈部鳥」<右の一首は天羽(あまは)の郡(こほり)上丁(じやうちゃう)丈部鳥(はせつかべのとり)

(注)天羽郡:千葉県富津市南部一帯

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(355)」で紹介している。

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 四三四七から四三五九歌までの歌群(十三首)に対する左注は「二月九日上総國防人部領使少目従七位下茨田連沙弥麻呂進歌數十九首 但拙劣歌者不取載之」<二月の九日、上総(かみつふさ)の国(くに)の防人部領使(さきもりのことりづかひ)少目(せうさくわん)従七位下茨田連沙弥麻呂(まむだのむらじさみまろ)。進(たてまつ)る歌の数十九首、ただし、拙劣(せつれつ)の歌は取り載せず>である。

 

 上総国(千葉県中央部)からの防人達は、防人部領使(さきもりのことりづかひ)に連れてこられ、難波の国で中央の役人に引き継がれるのである。

 大伴家持は、中央の役人、兵部少輔としての仕事をしていたので、防人達の歌は家持の手に渡ったのである。この上総国の場合は、十九首が家持の手に渡ったのであるが、「拙劣の歌」六首は没になり、十三首が収録されたのである。

 防人は、壱岐対馬、筑紫など九州北部に配属された主に東国出身の防衛最前線の兵士である。防人歌ともなると、ある意味戦意高揚の意味合いも強く、決意とか誓いと意味合いの「言立て(ことだて)」の歌と考えられるが、万葉集にあっては、「わたくしごと」が大半を占めており、中には家族の歌も含まれている。

 万葉集は、「歌集」であることに徹しているのである。

 

 四三七三歌のように「今日よりはかへりみなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ我は」(今日という今日からはうしろなど振り返ったりすることなく、大君の醜の御楯として出立して行くのだ、おれは。<伊藤訳>)というような言立の歌は少なく、また、上総国の歌にもあるように(四三五八歌)、「大君の命畏(かしこ)み」と詠いだすも全体が言立ての歌に徹していないのも見受けられるのである。

 

 上記のような事例を上総の防人歌でみてみよう。

 

 まず、家族の歌の場合である。

 

◆伊閇尓之弖 古非都ゝ安良受波 奈我波氣流 多知尓奈里弖母 伊波非弖之加母

                 (日下部使主三中父 巻二十 四三四七)

 

≪書き下し≫家にして恋ひつつあらずは汝(な)が佩(は)ける大刀(たち)になりても斎(いは)ひてしかも

 

(訳)家に残って恋い焦がれてなどいないで、お前がいつも腰に帯びる大刀、せめてその大刀にでもなって見守ってやりたい。(同上)

(注)てしかも 終助詞 《接続》活用語の連用形に付く。:〔詠嘆をこめた自己の願望〕…(し)たいものだなあ。 ※上代語。願望の終助詞「てしか」に詠嘆の終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

左注は、「右一首國造丁日下部使主三中之父歌」<右の一首は国造丁(くにのみやるこのちやう)日下部使主三中(くさかべのおみみなか)が父の歌>である。

 

 本人の歌もあるのでみてみよう。

 

◆多良知祢乃 波々乎和加例弖 麻許等和例 多非乃加里保尓 夜須久祢牟加母

                  (日下部使主三中 巻二十 四三四八)

 

≪書き下し≫たらちねの母を別れてまこと我れ旅の仮廬に安く寝むかも

 

(訳)母さん、ああ母さんと別れて、ほんとうにこのおれは、旅の仮小屋なんぞで、気安く眠ることができるであろうか。(同上)

 

 日下部使主三中は、母のことをこれほどに思った歌を詠んでおり、父の歌まで持参しているので、母が詠った歌は、「拙劣(せつれつ)の歌」として「取り載せず」であったかもしれない。

 父の歌の「・・・も」が二カ所あるが「・・・母」としているのは、書き手の遊び心「加母」しれない。

 

「大君の命畏(かしこ)み」と詠いだすも全体が言立ての歌に徹していない事例をみてみよう。

 

 

◆於保伎美乃 美許等加志古美 伊弖久礼婆 和努等里都伎弖 伊比之古奈波毛

                   (物部竜 巻二十 四三五八)

 

≪書き下し≫大君の命畏み出で来れば我の取り付きて言ひし子なはも

 

(訳)大君の仰せを恐れ畏んで、門出をして来た時、おれにしがみついてあれこれ言ったあの子は、ああ。(同上)

(注)「我の」:「我に」の訛りか。

 

 

 任地についてもいないのにもう「帰る」ことに思いを馳せている歌もある。

 

◆都久之閇尓 敝牟加流布祢乃 伊都之加毛 都加敝麻都里弖 久尓々閇牟可毛

                  (若麻続部羊 巻二十 四三五九)

 

≪書き下し≫筑紫辺(つくしへ)に舳(へ)向(む)かる船のいつしかも仕(つか)へまつりて国に舳向かも

 

(訳)筑紫の方へ舳先を向けているこの船は、いつになったら、勤めを終えて故郷(くに)の方に舳先をむけるのであろうか。(同上)

(注)向かる:「向ける」の東国形

(注)向かも:「向かむ」の東国形

 

 「わたくしごと」でも如何かと考える「防人歌」であるが、戦意高揚の阻害要因となると思われる歌まで収録されているところに、万葉集のおおらかさが見て取れるのである。

 ここにも万葉集の魅力が潜んでいるように思える。

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『野薔薇(ノイバラ)』は原野に自生する落葉小低木で繁殖力が強く、山野でよく見かけられる。『うまら(茨)』はイバラの古語でトゲあるものの総称を示し、歌中で『道の辺の茨(ウマラ)』と詠われていることから『野薔薇(ノイバラ)』と考えられる。」とある。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

万葉歌碑巡り(その1097)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(57)―万葉集 巻六 一〇四八

●歌は、「たち変り古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(57)万葉歌碑<プレート>(田辺福麻呂

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(57)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異煎

                 (田辺福麻呂 巻六 一〇四八)

 

≪書き下し≫たち変り古き都となりぬれば道の芝草(しばくさ)長く生(お)ひにけり

 

(訳)打って変わって、今や古びた都となってしまったので、道の雑草、ああこの草も、丈高く生(お)い茂ってしまった。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たちかわり〔‐かはり〕【立(ち)代(わ)り】[副]:代わる代わる。たびたび。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 一〇四七から一〇四九歌の歌群の題詞は、「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」<寧楽の故郷を悲しびて作る歌一首 并(あは)せて短歌>である。

(注)故郷:古京の意。

 

 この歌群の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1083)」で紹介している。

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 この歌群の前に、題詞「傷惜寧樂京荒墟作歌三首  作者不審」<寧楽(なら)の京の荒墟(くわうきよ)を傷惜(いた)みて作る歌三首 作者審らかにあらず>の一〇四四から一〇四六歌の歌群が収録されている。

(注)寧楽の京の荒墟:天平十二年(740年)から同十七年奈良遷都まで古京と化したのである。

 聖武天皇の「彷徨の五年」と呼ばれる時期である。

 

こちらもみてみよう。

 

◆紅尓 深染西 情可母 寧樂乃京師尓 年之歴去倍吉

                 (作者未詳 巻六 一〇四四)

 

≪書き下し≫紅(くれなゐ)に深く染(し)みにし心かも奈良の都に年の経(へ)ぬべき

 

(訳)紅に色深く染まるように都に深くなじんだ気持ちのままで、私はこれから先、ここ奈良の都で年月を過ごせるのであろうか。(同上)

(注)紅:ベニバナのことである。花は紅色の染料に、種子は食用油にと利用価値の高い植物であった。別名を「呉藍(くれあい)」という。呉の国から来た藍を意味する。

 

 

◆世間乎 常無物跡 今曽知 平城京師之 移徙見者

                  (作者未詳 巻六 一〇四五)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)を常(つね)なきものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば

 

(訳)世の中とはなんとはかないものなのかということを、今こそ思い知った。この奈良の都がひごとにさびれてゆくのをみると。(同上)

 

 

◆石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨

                 (作者未詳 巻六 一〇四六)

 

≪書き下し≫岩つなのまたをちかへりあをによし奈良の都をまたも見むかも

 

(訳)這(は)い廻(めぐ)る岩つながもとへ戻るようにまた若返って、栄えに栄えた都、あの奈良の都を、再びこの目で見ることができるであろうか。(同上)

(注)岩綱【イワツナ】:定家葛の古名、岩に這う蔦や葛の総称(weblio辞書 植物名辞典)

(注の注)「石綱(イワツナ)」は「石葛(イワツタ)」と同根の語で岩に這うツタのことだが、延びてもまた元に這い戻ることから「かへり」にかかる枕詞となる、(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著)

(注)をちかへる【復ち返る】自動詞:①若返る。②元に戻る。繰り返す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 奈良の都が突然廃都となり、伊勢行幸の後に恭仁京遷都となるが、作者未詳とはいえ、この三首に見られる、無常観、虚無感ははかりしえない。

 

 「彷徨の五年」の当事者の歌をみてみよう。

 聖武天皇の歌である。

 

◆妹尓戀 吾乃松原 見渡者 潮干乃滷尓 多頭鳴渡

              (聖武天皇 巻六 一〇三〇)

 

≪書き下し≫妹(いも)に恋ひ吾(あが)の松原見わたせば潮干(しほひ)の潟(かた)に鶴(たづ)鳴き渡る

 

(訳)あの子に恋い焦がれて逢える日を我(あ)が待つという吾(あが)の松原、この松原を見わたすと、潮が引いた干潟に向かって、鶴が鳴き渡っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)いもにこひ【妹に恋ひ】( 枕詞 ):妹に恋い「我(あ)が待つ」の意から、地名「吾(あが)の松原」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

題詞は、「天皇御製歌一首」<天皇(すめらみこと)の御製歌一首>である。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その423)」で紹介している。

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さらに随行した家持が、関の仮宮で詠った歌もみてみよう。

 

◆河口之 野邊尓廬而 夜乃歴者 妹之手本師 所念鴨

               (大伴家持 巻六 一〇二九)

 

≪書き下し≫河口(かはぐち)の野辺(のへ)に廬(いほ)りて夜(よ)の経(ふ)れば妹(いも)が手本(たもと)し思ほゆるかも

 

(訳)河口の野辺で仮寝をしてもう幾晩も経(た)つので、あの子の手枕、そいつがやたら思われてならない。(同上)

 

題詞は、「十二年庚辰冬十月依大宰少貮藤原朝臣廣嗣謀反發軍 幸于伊勢國之時河口行宮内舎人大伴宿祢家持作歌一首」<十二年庚辰(かのえたつ)の冬の十月に、大宰少弐(だざいのせうに)藤原朝臣廣嗣(ふぢはらのあそみひろつぐ)、謀反(みかどかたぶ)けむとして軍(いくさ)を発(おこ)すによりて、伊勢(いせ)の国に幸(いでま)す時に、河口(かはぐち)の行宮(かりみや)にして、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持が作る歌一首>である。

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その399)」で紹介している。

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 一般の人々は、都が転々とする絶望感、虚無感、無常観の中で悲痛な歌を詠っているのに対し、当事者は「妹に恋ひ吾の松原見わたせば」とか「妹が手本し思ほゆるかも」などと詠ているのである。

 万葉の時代から、日本の社会というのは、懐の広く深い社会であったのだろう。万葉集の収録も超寛大な気持ちから行われていたのかもしれない。

 ああ、万葉集とは・・・。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「weblio辞書 植物名辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉