●歌は、「藻刈り舟沖漕ぐ来らし妹が島形見の浦に鶴翔る見ゆ」である。
●歌碑は、和歌山市加太 城ケ崎海岸にある。
●歌をみていこう。
◆藻苅舟 奥榜来良之 妹之嶋 形見之浦尓 鶴翔所見
(巻七 一一九九)
≪書き下し≫藻刈(もか)り舟沖漕(こ)ぎ来(く)らし妹(いも)が島形見(かたみ)の浦に鶴(たづ)翔(かけ)る見(み)ゆ(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(訳)海藻(も)を刈り取る海人の舟が沖を漕いでやってくるらしい。今しも、妹が島の形見の浦に鶴が飛び交(か)っている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)もかりぶね【藻刈り舟】名詞:海藻を刈るのに用いる小舟。「藻舟」「めかりぶね」とも(学研)
(注)妹が島:所在未詳
海藻ならびに藻刈り舟に関して、廣野 卓氏は、その著「食の万葉集 古代の食生活を科学する」(中公新書)の中で、「海藻は、潮間帯の岩礁に着生するものが多く採集も容易である。まして、引き潮どきには、ほとんどの海藻が鎌で刈り取れる範囲にあり、あちこちの磯で採集風景が見られただろう。深場の海藻は竿に鎌を海中を手操(たぐ)るようにして刈り取る。この動作から『玉藻刈る』という表現が生まれる。藻刈舟もあるので、干潮時に波間に頭を出す深場の海藻を舟から刈り取ることもあった。この作業は現代も変わらない。」と書いておられる。
(注)たまもかる【玉藻刈る】分類枕詞:玉藻を刈り採っている所の意で、海岸の地名「敏馬(みぬめ)」「辛荷(からに)」「乎等女(をとめ)」などに、また、海や水に関係のある「沖」「井堤(ゐで)」などにかかる。
(注の注)たまも【玉藻】名詞:藻の美称。 ※「たま」は接頭語。
海藻を詠んだ歌をいくつかみてみよう。
■なのりそ「ホンダワラ」
題詞は、「山部宿祢赤人歌六首」<山部宿禰赤人が歌六首>である。
◆美沙居 石轉尓生 名乗藻乃 名者告志弖余 親者知友
(山部赤人 巻三 三六二)
≪書き下し≫みさご居(ゐ)る磯(いそ)みに生(お)ふるなのりその名は告(の)らしてよ親は知るとも
(訳)みさごの棲んでいる荒磯に根生えているなのりそではないが、名告ってはいけない名前、その名は大切だろうが名告っておくれ。たとえ親御は気付いても。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)みさご【鶚・雎鳩】名詞:鳥の名。猛禽(もうきん)で、海岸・河岸などにすみ、水中の魚を捕る。岩壁に巣を作り、夫婦仲がよいとされる。(学研)
(注)上三句は序。「名」を起こす。
(注)なのりそ 名詞:海藻のほんだわらの古名。正月の飾りや、食用・肥料とする。(学研)➡「勿告りそ」の意を懸ける。
(注)名は告らしてよ:旅先の女に求婚したことを意味する。三六一歌を承けたかたち。
この歌ならびに他の首および、題詞「或本歌曰」<或る本の歌に日はく>の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その614)」で紹介している。
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■あらめ「アラメ」
いかにあらめ(どうなることでしょう)を、書き手が遊び心で「あらめ」を「荒海藻」と記したのである。それだけ身近な存在だったのであろう。
◆豫 人事繁 如是有者 四恵也吾背子 奥裳何如荒海藻
(大伴坂上郎女 巻四 六五九)
≪書き下し≫あらかじめ人言(ひとごと)繁(しげ)しかくしあらばしゑや我(わ)が背子(せこ)奥(おく)もいかにあらめ
(訳)今のうちから人の噂がいっぱいです。こんなだったら、ああいやだ、あなた、この先もどうなることでしょう、まっくらです。(同上)
(注)あらかじめ【予め】副詞:前もって。かねて。
(注)しゑや 感動詞:えい、ままよ。※物事を思い切るときに発する語。(同上)
(注)おく【奥】名詞:①物の内部に深く入った所。②奥の間。③(書物・手紙などの)最後の部分。④「陸奥(みちのく)」の略。▽「道の奥」の意。⑤遠い将来。未来。行く末。
⑥心の奥(同上) ※ここでは、⑤の意
■みる「ミル」 ここでは「なのりそ」も詠われている。
題詞は、「過敏馬浦時山部宿祢赤人作歌一首 幷短歌」<敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。
◆御食向 淡路乃嶋二 直向 三犬女乃浦能 奥部庭 深海松採 浦廻庭 名告藻苅 深見流乃 見巻欲跡 莫告藻之 己名惜三 間使裳 不遣而吾者 生友奈重二
(山部赤人 巻六 九四六)
≪書き下し≫御食(みけ)向(むか)ふ 淡路(あはじ)の島に 直(ただ)向(むかふ 敏馬の浦の 沖辺(おきへ)には 深海松(ふかみる)採(と)り 浦(うら)みには なのりそ刈る 深海松の 見まく欲(ほ)しけど なのりその おのが名惜しみ 間使(まつかひ)も 遣(や)らずて我(わ)れは 生けりともなし
(訳)大御食(おおみけ)に向かう粟(あわ)ではないが、その淡路(あわじ)の島にまともに向き合っている敏馬の浦、その浦の、沖の方では深海松(ふかみる)を採り、浦のあたりではなのりそを刈っている。その深海松の名のように、あの方を見たいと思うけれど、なのりその名のように、我が名の立つのが惜しいので、使いの者すら遣(や)らずにいて、私はまったく生きた心地もしない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)みけむかふ【御食向かふ】分類枕詞:食膳(しよくぜん)に向かい合っている「䳑(あぢ)」「粟(あは)」「葱(き)(=ねぎ)」「蜷(みな)(=にな)」などの食物と同じ音を含むことから、「味原(あぢふ)」「淡路(あはぢ)」「城(き)の上(へ)」「南淵(みなぶち)」などの地名にかかる。(学研)
(注)深海松:海中深く生える海松
(注)間使:二人の間を行き来する使い。
■わかめ「ワカメ」
◆比多我多能 伊蘇乃和可米乃 多知美太要 和乎可麻都那毛 伎曽毛己余必母
(作者未詳 巻十四 三五六三)
≪書き下し≫比多潟(ひたがた)の礒(いそ)のわかめの立ち乱(みだ)え我(わ)をか待つなも昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も
(訳)比多潟(ひたがた)の礒に入り乱れて茂り立つわかめのように、門に立ち身も心も千々に乱れて私を待っているのであろうか、あの子は。夕べに引き続き今夜も。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「立ち乱え」を起こす。
(注)なも 助動詞特殊型:《接続》動詞型活用語の終止形、ラ変型活用語には連体形に付く。 ※上代の東国方言。助動詞「らむ」に相当する。(学研)
■和歌山市加太 田倉崎燈台➡同 城ケ崎海岸
加太湾沿いに北上、城ケ崎にでる。ここも近くには駐車場がない。少し余裕のありそうな場所にぎりぎりに車を停め、雨がパラ付く中、小走りで先端部へ。
ここら辺は磯釣りのメッカであるようだ。竿を担いだ釣り人が海岸の方から歩いてくる。何が釣れるかなど聞きたかったが、車が気になるので急ぐことに。
番所公園のように突端までほぼ平らなところに出るが、草ぼうぼうである。
歌碑と城ケ崎の説明案内板を撮影すると、小走りで車に向かう。体力勝負である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓氏 著 (中公新書)