万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1563,1564,1565)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P52、P53、P54)―万葉集 巻十一 二七五〇、巻六 九七一、巻一 二九

―その1563―

●歌は、「我妹子に逢はず久しもうましもの阿倍橘の苔生すまでに」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P52)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P52)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右

       (作者未詳 巻十一 二七五〇)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうましもの阿倍橘(あへたちばな)の苔生(こけむ)すまでに

 

(訳)あの子に逢わないで随分ひさしいな。めでたきものの限りである阿倍橘が老いさらばえて苔が生えるまでも。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うまし【甘し・旨し・美し】形容詞:おいしい。味がよい。(学研)

(注)阿倍橘:「集中に詠まれた『阿倍橘』は、『和名抄』・『本草和名』に「橙(だいだい)・阿倍多知波奈(あべたちばな)」と記されているところから、現在ダイダイに比定されている。しかし、クネンボとする異説もる。」(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1494)」で紹介している。

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だいだい【橙/臭橙/回青橙】の実は、冬に熟して黄色になるが、木からは落ちないで翌年の夏に再び青くなる。実が木についたまま年を越すところから「代々」として縁起が良いものとされている。

万葉びとは、このような自然の営みを鋭く、細やかに観察し歌に詠んだ。

この時代には、「佐味虫麻呂ミカン出世物語」があった。佐味朝臣虫麻呂は、唐からもたらされた柑子の種を植え実らせたので神亀二年(725年)に従五位下を賜わっているのである。当時の唐文化の吸収、あくなき美味の追及意欲がうかがい知れる一件である。

驚いたことに、天平元年(729年)の長屋王の変で、藤原宇合らと共に衛門佐として、王宅を取り囲んでいる。その後、中務少丞、備前守中宮大夫などを歴任したのである。

 

 

 

―その1564―

●歌は、「・・・竜田道の岡辺の道に丹つつじのにほはむ時の桜花咲きなむ時に・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P53)万葉歌碑<プレート>(高橋虫麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P53)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

      (高橋虫麻呂 巻六 九七一)

 

≪書き下し≫白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色(いろ)づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い行いきさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

 

(訳)白雲の立つという龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰ってきて下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花が咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃったならば。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)

(注)五百重山(読み)いおえやま:〘名〙 いくえにも重なりあっている山(コトバンク精選版 日本国語大辞典

(注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)

(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(学研)

(注)そき:そく(退く)の名詞形<そく【退く】自動詞:離れる。遠ざかる。退く。逃れる(学研)➡山のそき:山の果て

(注)あかつ【頒つ・班つ】他動詞:分ける。分配する。分散させる。(学研)

(注)たにぐく【谷蟇】名詞:ひきがえる。 ※「くく」は蛙(かえる)の古名。(学研)

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(学研)

(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。(学研)

(注)につつじ【丹躑躅】:赤い花の咲くツツジ。特に、ヤマツツジのこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞;「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)

 

 歌碑(プレート)の植物名は、「つつじ(ヤマツツジ)」と書かれている。

 この歌ならびに葛城山の自生のヤマツツジについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1475)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の引用句のつぎに「山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば」と詠われている。

 「山たづ」は、この歌ともう一首(衣通王 巻二 九〇歌)で歌われている。

 

 九〇歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1464)」で紹介している。

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「やまたづ(ニワトコ)」については、「庭木図鑑 植木ペディア」に、「本州、四国及び九州に分布するガマズミ科ニワトコ属の落葉樹。山野の林内や日当たりのよい野原に自生するが食用あるいは薬用となるため、かつては好んで庭植えされ、その名残が住宅地近くの藪などに見られる。ニワトコという名の由来は不詳だが、古い和名のミヤツコギ(美夜都古木)が転訛したとする説、京都の方言とする説などがある。ニワトコの仲間は中国や朝鮮半島にも自生し、中国では『接骨木』と表記するが、これは葉や根を骨折の治療に用いる薬としたことによる。」と書かれている。



 

―その1565―

●歌は、「・・・神のことごと栂の木のいや継ぎ継ぎに天の下・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P54)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P54)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」<近江(あふみ)の荒れたる都(みやこ)を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌>である。

(注)近江の荒れたる都:天智天皇の近江大津京の廃墟。

(注)過ぐる時:立ち寄って通り過ぎる時に宮跡を見て、の意

 

◆玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従<或云自宮> 阿礼座師 神之盡樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎<或云食来> 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎越<或云虚見倭乎置青丹吉平山越而> 何方 御念食可<或云所念計米可> 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流<或云霞立春日香霧流夏草香繁成奴留> 百磯城之 大宮處 見者悲毛<或云見者左夫思母>

        (柿本人麻呂 巻一 二九)

 

≪書き下し≫玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御世(みよ)ゆ<或いは「宮ゆ」といふ> 生(あ)れましし 神のことごと 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 天(あめ)の下(した) 知らしめししを<或いは「めしける」といふ> そらにみつ 大和(やまと)を置きて あをによし 奈良山を越え<或いは「そらみつ 大和を置きて あをによし 奈良山越えて」といふ> いかさまに 思ほしめせか<或いは「思ほしけめか」といふ> 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇(すめろき)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿(おほとの)は ここと言へども 春草の 茂(しげ)く生(お)ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる<或いは「霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ> ももしきの 大宮(おほみや)ところ 見れば悲しも<或いは「見れば寂しも」といふ>

 

(訳)神々しい畝傍の山、その山のふもとの橿原の日の御子の御代(みよ)以来<日の御子の宮以来>、神としてこの世に姿を現された日の御子の悉(ことごと)が、つがの木のようにつぎつぎに相継いで、大和にて天の下を治められたのに<治められて来た>、その充ち充ちた大和を打ち捨てて、青土香る奈良の山を越え<その充ち充ちた大和を捨て置き、青土香る奈良の山を越えて>、いったいどう思しめされてか<どうお思いになったのか>畿内を遠く離れた田舎ではあるけれど、そんな田舎の 石走(いわばし)る近江の国の 楽浪(ささなみ)の大津の宮で、天の下をお治めになったのであろう、治められたその天皇(すめろき)の神の命(みこと)の大宮はここであったと聞くけれど、大殿はここであったというけれど、春草の茂々と生(お)いはびこっている、霞(かすみ)立つ春の日のかすんでいる<霞立つ春の日がほの曇っているのか、夏の草が生い茂っているのか、何もかも霞んで見える>、ももしきの 大宮のこのあとどころを見ると悲しい<見ると、寂しい>。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)                    

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)

 (注の注)たまだすき【玉襷】名詞:たすきの美称。たすきは、神事にも用いた。 ※「たま」は接頭語。(学研)

(注)ひじり【聖】名詞:①天皇。▽高い徳で世を治める人。②聖人。▽徳の高いりっぱな人。③達人。名人。▽その道で最も優れた人。④高徳の僧。聖僧。⑤修行僧。僧。法師。(学研)ここでは①の意で、初代神武天皇をさす。

(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。(学研)

(注)しらしめす【知らしめす・領らしめす】他動詞:お治めになられる。▽「知る・領(し)る」の尊敬語。連語「知らす」より敬意が高い。 ⇒参考 動詞「しる」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」からなる「しらす」に尊敬の補助動詞「めす」が付いて一語化したもの。上代語。中古以降は「しろしめす」。(学研)

(注)そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。(学研)

(注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(学研)

(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。 ⇒参考 『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。(学研)

(注)かすみ-たつ 【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1141)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物名は、「つがのき(ツガ)」と書かれている。

 「ツガ」については、「庭木図鑑 植木ペディア」には、「福島県以西の本州、四国及び九州(屋久島まで)に自生するマツ科の常緑針葉樹。(中略)同じような場所に分布するモミノキに似た大木となる。万葉集にはツガを詠んだ歌があり古くから親しまれる。細かな葉が次々に展開していくことを意味する『継ぐ』、あるいは長短の葉が継ぎ合うように生じる様子を表す『つがう』が転化してツガと命名された。」と書かれている。

 

 「つがのき」が詠まれているのは全部で五首、すべてが長歌である。この内四首は「いやつぎつぎに」というフレーズを引き出すための序詞や枕詞として使われている。

 家持の四〇〇六歌のみが、植物としての「つが」を詠んでいるのである。

 

 二九歌以外のポイントだけをみてみよう。

 

◆みもろの神なび山に五百枝(いほえ)さし繁(しじ)に生ひたる栂(つが)の木のいや継(つ)ぎ継ぎに・・・

      (山部赤人 巻三 三二四)

 

(訳)神の来臨する神なび山にたくさんの枝をさしのべて盛んに生い茂っている栂の木、その名のようにいよいよ次々と、・・・(同上)

(注)「みもろの神なび山に五百枝さし繁に生ひたる栂の木の」まで序。類音の「継ぎ継ぎに」を起こす。(伊藤脚注)

 

 

◆滝の上の三船(みふね)の山に瑞枝(みづえ)さし繁(しじ)に生ひたる栂(とが)の木のいや継ぎ継ぎに・・・

       (笠金村 巻六 九〇七)

 

(訳)み吉野の激流のほとりの三船の山に瑞々しい枝をさし延べて生い茂っている栂(とが)の木、その栂の木のとがという名のようにつぎつぎと

(注)「滝の上の三船の山に瑞枝さし繁に生ひたる栂の木の」まで序。「継ぎ継ぎに」を起こす。(伊藤脚注)

(注の注)原文は「刀我乃樹能」となっている。

 

 

◆あしひきの八峯(やつを)の上(うへ)の栂(つが)の木のいや継々(つぎつぎ)に・・・

       (大伴家持 巻十九 四二六六)

 

(訳)山のあちこちの峰に生い茂る、栂(つが)の木の名のようにいよいよ次から次へと、・・・

(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その270)」で紹介している。

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◆かき数(かぞ)ふ 二上山(ふたがみやま)に 神(かむ)さびて 立てる栂(つが)の木 本(もと)も枝(え)も 同(おや)じときはに はしきよし・・・

       (大伴家持 巻十七 四〇〇六)

 

(訳)一つ二つと指折り数えるその二上山に、神々しい生い立っている栂の木、この栂の木は幹も枝先も同じようにいつも青々と茂っているが、・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1348表④)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク精選版 日本国語大辞典

★「庭木図鑑 植木ペディア」

★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市

万葉歌碑を訪ねて(その1560、1561、1562)・沖島、賤ヶ岳山頂歌碑巡り―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P49、P50、P51)―万葉集 巻二 一三三、巻十四 三四三五、巻一 一二五

―その1561―

●歌は、「笹の葉はみ山もさやにさやけども我は妹思ふ別れ来ぬれば」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P49)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P49)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆

        (柿本人麻呂 巻二 一三三)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我(わ)れは妹思ふ別れ来(き)ぬれば

 

(訳)笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋にあの子のことを思う。別れて来てしまったので。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども」は、高角山の裏側を都に向かう折りの、神秘的な山のそよめき(伊藤脚注)

(注の注)ささのはは…分類和歌:「笹(ささ)の葉はみ山もさやに乱るとも我は妹(いも)思ふ別れ来(き)ぬれば」[訳] 笹の葉は山全体をざわざわさせて風に乱れているけれども、私はひたすら妻のことを思っている。別れて来てしまったので。 ⇒鑑賞:長歌に添えた反歌の一つ。妻を残して上京する旅の途中、いちずに妻を思う気持ちを詠んだもの。「乱るとも」を「さやげども(=さやさやと音を立てているけれども)」と読む説もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さやに 副詞:さやさやと。さらさらと。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1272)で紹介している。

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 一三一から一三九歌は、「石見相聞歌」といわれている。

 すべての歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1290~7)で紹介している。

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中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、「離別とは、愛への告別である。だから死が愛をもって語られたように、愛もまた死をもって語られなければならなかったのである。死によって透かし見た愛がこの壮絶な結びを呼んだのではなかったか。」と書いておられる。「死によって」とあるが、梅原 猛氏が「水底の歌 柿本人麿論 上」(新潮文庫)で主張されていた、妻依羅娘子と別れ、鴨島に向かう「死」を覚悟したが故の壮絶さと考えると納得させられるものがある。

 

 歌碑(プレート)の植物名は「ささ(クマザサ)」となっている。

プレートには、「さようなら、愛しい人よ!」と書かれ、馬に乗った人麻呂が振り返っている姿が描かれている。プレートの土台が、歌のおり深みと重さを物語っている。

「ささ」という現実の世界と人麻呂の心の内にある「死」を覚悟したが故の壮絶さが愛を通した悟りといった境地をも感じさせているのである。

 

 「クマザサ」については、「庭木図鑑 植木ペディア」に「京都を原産とするササの一種。来歴はよく分かっていないが、庭園などに用いるため人手を介して全国に広がり、野生化したものが日本海側の北海道や本州、四国及び九州の山地に分布する。」と書かれている。

 「クマザサ」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

 

―その1562―

●歌は、「伊香保ろの沿ひの榛原我が衣に着きよらしもよひたへと思えば」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P50)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P50)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊可保呂乃 蘇比乃波里波良 和我吉奴尓 都伎与良之母与 比多敝登於毛敝婆

       (作者未詳 巻十四 三四三五)

 

≪書き下し≫伊香保(いかほ)ろの沿(そ)ひの榛原(はりはら)我(わ)が衣(きぬ)に着(つ)きよらしもよひたへと思へば

 

(訳)伊香保の山の麓の榛(はん)の木の原、この原の木は俺の着物に、ぴったり染まり付くようないい具合だ。着物は一重で裏もないことだし。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ひたへ:一重(ひとへ)の訛り。裏がなくて純心の意。(伊藤脚注)

(注)上二句が相手の女の譬え。(伊藤脚注)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その337)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物は、「はり(ハシバミ)」と書かれている。

「ハシバミ」については、国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 関西支所HPに、「秋に実るドングリに似た堅果には渋みなどがなく、古くから食用にされてきました。四国を除く日本全土に分布する落葉低木です。特に東北、北海道では普通に見られます。(カバノキ科)」と書かれている、

「ハシバミ」 「国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所       関西支所HP」より引用させていただきました。

 

 

 

―その1562―

●歌は、「橘の蔭踏む道の八衢に物をぞ思ふ妹に逢はずして」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P51)万葉歌碑<プレート>(三方沙弥)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P51)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而  <三方沙弥>

       (三方沙弥 巻一 一二五)

 

≪書き下し≫橘(たちばな)の蔭(かげ)踏(ふ)む道の八衢(やちまた)に物をぞ思ふ妹(いも)に逢はずして  

 

(訳)橘の木影を踏んで行く道のように、岐(わか)れ岐れのままにあれやこれや物思いに悩むことよ。あの子に逢わないままでいて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「八衢に(あれやこれや)」を起こす。(伊藤脚注)

(注の注)やちまた【八衢・八岐】名詞:道が幾つにも分かれている所。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 三方沙弥の歌は七首収録されている。これについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その198)」で紹介している。

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■■■沖島・賤ヶ岳山頂他歌碑巡り■■■

 

梅雨の合間の天気を見ていつでも出動できるように、琵琶湖周辺でこれまでの歌碑巡りで行けていなかった、また撮りそびれた歌碑などに再挑戦する計画を温めていた。

天気予報を見て、6月23日決行すべく前日に最終確認を行った。

琵琶湖の沖島に令和元年に万葉歌碑が設置されたことを思い出し、計画の練り直しを行なった。

最終案は、沖島⇒水茎の岡⇒妹背の里⇒賤ヶ岳山頂である。

 

 水茎の岡は、前回のトライでも見つけることが出来なかった歌碑で、妹背の里は月曜日が休園日だったという単純確認ミスによるものであった。

 賤ヶ岳は冬場の閉鎖や他所との組み合わせがうまくいかず延び延びになっていたことによる。

 

沖島

 沖島近江八幡市沖合約1.5kmのびわ湖最大の島で、湖に人が暮らす日本で唯一の島である。

 近江八幡市側の堀切港と沖島の間は「おきしま通船」が運航している。堀切港7:05発に乗船しようと5時に家を出る。

 「来島者用駐車場」(300円)に車を泊める。パンフレット「沖島さんぽ」「海なし県の離島 沖島」を頂く。

船の時刻表

 約10分の船旅である。船旅による歌碑巡りは初めて。船に乗ることも何年ぶりであろうか。

 片道500円。島の関係者は顔パスのようである。

 

沖島コニュニティーセンターの前に歌碑は建てられていた。

 

沖島コニュニティーセンター




 

沖島万葉歌碑(柿本人麻呂

 

 沖島8:00の便で戻ることにし、その間に藤原不比等が建立したという「奥津嶋神社」にお参りをした。

津嶋神社鳥居

  島には車も信号機もない。移動手段は、自転車か三輪自転車でありレトロな雰囲気が漂う街並みであった。梅雨の晴れ間であるから路地路地には洗濯物が干してありアングルが限定的になったのは残念であった。

沖島の町風景

 

■水茎の岡

 二度目の挑戦である。今回も見つけることができず、近江八幡市役所に電話をして確認させていただいた。

 調べて後程ご連絡しますとのことであった。

 1時間ほどして連絡をいただく。先ほど電話を承けていただいた女性の方である。息をきらしての連絡、現場中継さながらである。

 確認のために、自身で現場に行かれたそうである。結果ご自身もみつけることができなかったそうである。

 知ってそうな方に聞いた情報をもとにとのことであった。それらの情報や資料を後日贈って下さるそうである。

 なんと有り難いことであろう。資料等改めてお願いするとともに3度目の挑戦をするとこちらも決意表明をした。

あー幻の「水茎の岡の歌碑」よ。

 

この付近に在るはずなのだが・・・

 

 

■妹背の里

 一度は来たところである。「本日は休園日」の掲示で引き返した苦い経験の地である。

 入口を入ると左手に大社造りのモダンな「妹背の館」が建っている。右手池の奥に円形の小さな小山の頂に中大兄皇子額田王の像が建てられており地面の四方に4つの歌碑が建てられていた。お椀状の柴を自走式芝刈り機が真面目に仕事をこなしていた。

妹背の像



 

■賤ヶ岳山頂

  駐車場は車が3台ほどでがら空きであった。腰の悪い家内は駐車場で待機。いつも申し訳ないなあと思いながら急いでリフトに。

 リフトに乗るのも何年ぶりだろう。今日は、船やリフトを使っての珍しい歌碑巡りである。

 

 リフトを下り、山頂への道を上る。間もなく左手に歌碑があり、笠金村の一五三三歌の、そこから少し上った右手に一五三二歌の歌碑が建てられていた。

笠金村 一五三三歌の歌碑

 

笠金村 一五三二歌の歌碑と山頂


 山頂は目の前であるが、家内を待たせるわけにはいかないので引き返す。

下りリフトの光景

 湖岸沿いのさざ波街道をはしり、道の駅で野菜やゴリのつくだ煮などを買って、のんびり地道で帰った。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 関西支所HP」

★「海なし県の離島 沖島

★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市

万葉歌碑を訪ねて(その1557,1558,1559)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P46、P47、P48)―万葉集 巻二 九六、巻十一 二四六九、巻三 四三四

―その1557―

●歌は、「み薦刈る信濃の真弓我が引けば貴人さびていなと言はむか」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P46)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P46)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人作備而 不欲常将言可聞  (禅師)

       (久米禅師 巻二 九六)

 

≪書き下し≫み薦(こも)刈(か)る信濃(しなの)の真弓(まゆみ)我(わ)が引かば貴人(うまひと)さびていなと言はむかも

 

(訳)み薦刈る信濃、その信濃産の真弓の弦(つる)を引くように、私があなたの手を取って引き寄せたら、貴人ぶってイヤとおっしゃるでしょうかね。 (禅師)

(注)みすずかる【水篶刈る・三篶刈る】分類枕詞:「すず」は篠竹(すずたけ)の意。篠竹の産地であるところから「信濃(しなの)」にかかる。 ⇒参考:現在では「みこもかる」と読む万葉集』の「水(三)薦刈」の表記を、近世の国学者が「みすずかる」と読んだことから慣用化した語。「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)すず【篠・篶】名詞:竹の一種。すずたけ。丈が低くて細い。(学研)

(注)上二句は序。「我が引かば」を起こす。(伊藤脚注)

(注)引かば:手に取って引き寄せたら。(伊藤脚注)

(注)うまひと【貴人・味人】名詞:高貴な人。貴人(きじん)。身分が高く、家柄のよい人。(学研)

(注)-さぶ 接尾語:〔名詞に付いて〕…のようだ。…のようになる。▽上二段動詞をつくり、そのものらしく振る舞う、そのものらしいようすであるの意を表す。「神さぶ」「翁(おきな)さぶ」(学研)

 

 歌碑(プレート)の植物名は、「みこも(スズタケ)」と書かれている。

篶竹(スズダケ) 備考(別名・通称など):コウヤチクスズ釣竿用や竹行李用として利用(weblio辞書 竹図鑑)

また、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」には、「北海道から九州の太平洋側、および朝鮮半島に分布する。名のスズは、ススキと同様に叢生(そうせい)する意味といわれる。」と書かれている。

(注の注)叢生(そうせい):群がって生えることをいう。

 

「スズダケ」 「weblio辞書 竹図鑑」より引用させていただきました。

 

―その1558―

●歌は、「山ぢさの白露重みうらぶれて心も深く我が恋やまず」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P47)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P47)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆山萵苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止

      (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四六九)

 

≪書き下し≫山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて心も深く我(あ)が恋やまず

 

(訳)山ぢさが白露の重さでうなだれているように、すっかりしょげてしまって、心の底も深々と、私の恋は止むこともない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「うらぶれて」をおこす。(伊藤脚注)

(注)うらぶる:自動詞:わびしく思う。悲しみに沈む。しょんぼりする。 ※「うら」は心の意。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1081)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物名は「やまちさ(チシャノキ)」と書かれている。もう一つの方は「アブラチャン」となっている。

 「ちさ」、「やまぢさ」については、この他に「イワタバコ」、「エゴノキ」といった諸説がある。

 

 

―その1559―

●歌は、「風早の三穂の浦みの白つつじ見れどもさぶなき人思へば」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P48)万葉歌碑<プレート>(河辺宮人)



●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P48)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆加座皤夜能 美保乃浦廻之 白管仕 見十方不怜 無人念者 <或云見者悲霜 無人思丹>

       (河辺宮人 巻三 四三四)

 

≪書き下し≫風早(かざはや)の美穂(みほ)の浦みの白(しら)つつじ見れどもさぶしなき人思へば <或いは「見れば悲しもなき人思ふに」といふ>

 

(訳)風早の三穂(みほ)の海辺に咲き匂う白つつじ、このつつじは、いくら見ても心がなごまない。亡き人のことを思うと。<見れば見るほどせつない。亡き人を思うにつけて>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)かざはや【風早】:風が激しく吹くこと。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)三穂:和歌山県日高郡美浜町三尾

 

 四三四から四三七歌の題詞は、「和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首」<和銅四年辛亥(かのとゐ)に、河辺宮人(かはへのみやひと)、姫島(ひめしま)の松原の美人(をとめ)の屍(しかばね)を見て、哀慟(かな)しびて作る歌四首>である。

(注)和銅四年:711年

(注)姫島:ここは、紀伊三穂の浦付近の島(伊藤脚注)

 

 四三四から四三七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その707)」で紹介している。

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 類似の題詞(二二八・二二九歌)がある。これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1095)」で紹介している。

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 なお、四三五歌には、「久米の若子(わくご)」が登場するが、久米の若子が住んでいたという三穂の石室(いはや)を見て詠んだ博通法師の歌三首(三〇七から三〇九歌)について、和歌山県日高郡美浜町三尾海岸の歌碑とともに、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1197)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

★「weblio辞書 竹図鑑」

★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市

万葉歌碑を訪ねて(その1554,1555,1556)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P43、P44、P45)―万葉集 巻十四 三四三四、巻三 三二二、巻二 二一七

―その1554―

●歌は、「上つ毛野安蘓山つづら野を広み延ひにしものをあぜか絶えせむ」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P43)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P43)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆可美都家野 安蘇夜麻都豆良 野乎比呂美 波比尓思物能乎 安是加多延世武

      (作者未詳 巻十四 三四三四)

 

≪書き下し≫上つ毛(かみつけ)野安蘇山(あそやま)つづら野(の)を広み延(は)ひにしものをあぜか絶えせむ

 

(訳)上野の安蘇(あそ)のお山のつづら、このつづらは野が広いので一面に延び連なっているではないか。この延び連なったものが、何でいまさら絶えてしまうことがあろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。作者自身の譬え。(伊藤脚注)

(注)つづら 名詞:①【葛・黒葛】つる草の総称。②【葛籠】つる草または竹で編んだ櫃(ひつ)。主に衣類を入れる(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)延ひにしもの:蔓が一面に延い廻っている。相手に思いを寄せていることの譬え。(伊藤脚注)

(注)あぜ【何】副詞:なぜ。どのように。※上代の東国方言。

 

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1071)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物名は、「つづら(ツヅラフジ)」と書かれている。

オオツヅラフジ(別名ツヅラフジ)は、「本州関東地方南部以西、四国、九州、沖縄、および中国、台湾に分布し、暖地の山地,山麓,谷沿いなどに生える。つる性落葉低木。茎は伸長して長さ10 m以上になり、緑色で平滑、つるは左旋性で、根ぎわから細長い走出枝を出して地上を匍匐する。」(熊本大学薬学部 薬草園HP 「薬草データベース」)


 野原一杯に這い回っている蔓をみて自分の思いを譬える、巧みな万葉びとの植物観察力が活かされた歌である。

 自然と自分、自分と自然、接する機会の多さがこのようなおおらかさに繋がっているのであろう。

 

 

―その1555―

●歌は、「すめろきの神の命の・・・み湯の上の木群を見れば臣の木も生ひ継ぎにけり・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P44)万葉歌碑<プレート>(山部赤人

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P44)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首幷短歌」<山部宿禰赤人、伊予(いよ)の温泉(ゆ)に至りて作る歌一首幷せて短歌>である。

(注)伊予の温泉:愛媛県松山市道後温泉

 

◆皇神祖之 神乃御言乃 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極是疑 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 敲思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸

     (山部赤人 巻三 三二二)

 

≪書き下し≫すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯(ゆ)はしも さわにあれども 島山(しまやま)の 宣(よろ)しき国と こごしかも 伊予の高嶺(たかね)の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌(うた)思ひ 辞(こと)思ほしし み湯(ゆ)の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代(よ)に 神(かむ)さびゆかむ 幸(いでま)しところ

 

(訳)代々の天皇がお治めになっている国のどこにでも、温泉(ゆ)はたくさんあるけれども中でも島も山も足り整った国と聞こえる、いかめしくも険しい伊予の高嶺、その嶺に続く射狭庭(いざにわ)に立たれて、歌の想いを練り詞(ことば)を案じられた貴い出で湯の上を覆う林を見ると、臣の木も次々と生い茂っている。鳴く鳥の声もずっと盛んである。遠い末の世まで、これからもますます神々しくなってゆくことであろう、この行幸(いでまし)の跡所(あとどころ)は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(学研)

(注)ことごと【尽・悉】副詞:①すべて。全部。残らず。②まったく。完全に。(学研) ここでは①の意

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語。(学研)

(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

(注)射狭庭の岡:温泉の裏にある岡の名。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに山部赤人の全歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1149)」で紹介している。

 ➡ 

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 日本の三古泉(道後温泉有馬温泉・白浜温泉)に関わる歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1223)」で紹介している・

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 歌碑(プレート)の植物名は、「おみのき(ムクノキ)」となっている。

 「植物で見る万葉の世界」(國學院大學 萬葉の花の会 著)によると、「『臣(おみ)の木』は、現在の何の木に相当するかは厳密には不明であるが、鎌倉時代万葉集研究家の仙覚がこれを『モミの木』としており異論をはさむ者は少ないという。」

 

(注)モミノキ:秋田県及び岩手県以南の本州から九州、そして屋久島に至るまでの広い範囲に分布するマツ科の常緑針葉樹。クリスマスツリーに使われる代表的な樹木であり西洋風のイメージを持つが、日本に生じるのは我が国の固有種。(庭木図鑑 植木ペディア)

(注)ムクノキ:関東地方以西の本州、四国、九州及び沖縄に分布するニレ科の落葉高木。ケヤキやエノキの仲間で、日当たりのよい身近な低山や丘陵において普通に見られ、公園や街路にも植栽される。その雄大な樹形や異形となりがちな幹の様子から天然記念物や御神木とされることも多い。(庭木図鑑 植木ペディア)

 

 

―その1556―

●歌は、「秋山のしたへる妹なよ竹のとをよる子らはいかさまに思ひ居れるか・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P45)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P45)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「吉備津采女死時、柿本朝臣人麿作歌一首 幷短歌」<吉備津采女(きびつのうねめ)が死にし時に、柿本朝臣人麿が作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)吉備津采女:吉備の国(岡山県)の津の郡出身の采女。(伊藤脚注)

 

◆秋山 下部留妹 奈用竹乃 騰遠依子等者 何方尓 念居可 栲紲之 長命乎 露己曽婆 朝尓置而 夕者 消等言 霧己曽婆 夕立而 明者 失等言 梓弓 音聞吾母 髪髴見之 事悔敷乎 布栲乃 手枕纏而 釼刀 身二副寐價牟 若草 其嬬子者 不怜弥可 念而寐良武 悔弥可 念戀良武 時不在 過去子等我 朝露乃如也 夕霧乃如也

      (柿本人麻呂 巻二 二一七)

 

≪書き下し≫秋山の したへる妹(いも) なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひ居(を)れか 栲縄(たくなは)の 長き命(いのち)を 露こそは 朝(あした)に置きて 夕(ゆうへ)は 消(き)ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝は 失(う)すといへ 梓弓(あづさゆみ) 音(おと)聞く我(わ)れも おほに見し こと悔(くや)しきを 敷栲(しきたへ)の 手枕(たまくら)まきて 剣太刀(つるぎたち) 身に添(そ)へ寝(ね)けむ 若草の その夫(つま)の子は 寂(さぶ)しみか 思ひて寝(ぬ)らむ 悔(くや)しみか 思ひ恋ふらむ 時にあらず 過ぎにし子らが 朝露(あさつゆ)のごと 夕霧(ゆふぎり)のごと

 

(訳)秋山のように美しく照り映えるおとめ、なよ竹のようにたよやかなあの子は、どのように思ってか、栲縄(たくなわ)のように長かるべき命であるのに、露なら朝(あさ)置いて夕(ゆうべ)には消えるというが、霧なら夕に立って朝にはなくなるというが、そんな露や霧でもないのにはかなく世を去ったという、その噂を聞く私でさえも、おとめを生前ぼんやりと見過ごしていたことが残念でたまらないのに・・・。まして、敷栲(しきたへ)の手枕を交わし身に添えて寝たであろうその夫だった人は、どんなに寂しく思って一人寝をかこっていることであろうか。どんなに心残りに思って恋い焦がれていることであろうか。思いもかけない時に逝(い)ってしまったおとめの、何とまあ、朝霧のようにも夕霧のようにもあることか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)あきやまの【秋山の】分類枕詞:秋の山が美しく紅葉することから「したふ(=赤く色づく)」「色なつかし」にかかる。(学研)

(注)したふ 自動詞:木の葉が赤く色づく。紅葉する。(学研)

(注)なよたけの【弱竹の】分類枕詞:①細いしなやかな若竹がたわみやすいところから、「とをよる(=しんなりとたわみ寄る)」にかかる。②しなやかな竹の節(よ)(=ふし)の意で、「よ」と同音の「夜」「世」などにかかる。 ※「なよだけの」「なゆたけの」とも。(学研)ここでは①の意

(注)とをよる【撓寄る】自動詞:しなやかにたわむ。(学研)

(注)たくなはの【栲縄の】分類枕詞:「栲縄(たくなは)」は長いところから、「長し」「千尋ちひろ)」にかかる。(学研)

(注の注)たくなは【栲縄】名詞:こうぞの皮をより合わせて作った白い縄。漁業に用いる。※後世「たぐなは」とも。(学研)

(注)あづさゆみ【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)ここでは②の意

(注)音聞く我れも:はかなくも世を去ったという、その噂を聞く私でさえも。(伊藤脚注)

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。 ※「おぼなり」とも。上代語。(学研)

(注)夫(つま)の子:主人公の夫。采女は臣下との結婚を禁じられていた。(伊藤脚注)

(注)時にあらず過ぎにし子:その時でもないのに思いがけなく逝ってしまった子。自殺したことが暗示されている。(伊藤脚注)

 

 歌碑(プレート)の植物名は、「なよたけ(メダケ)」となっている。

メダケ:関東以西の本州、四国及び九州に分布するイネ科メダケ属の多年生常緑笹。シノダケと呼ばれるものの一つで、マダケなどよりも細くて柔らかな様子からメダケと名付けられたが、ササの仲間。漢字表記は女竹、雌竹、山竹など。(庭木図鑑 植木ペディア)



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「薬草データベース」 (熊本大学薬学部 薬草園HP)

★「庭木図鑑 植木ペディア」

 

万葉歌碑を訪ねて(その1551,1552,1553)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P40、P41、P42)―万葉集 巻三 三三四、巻十六 三八三二、巻十九 四二六八

―その1551―

●歌は、「忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P40)万葉歌碑<プレート>(大伴旅人

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P40)にある。

 

●歌をみていこう。

                           

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

       (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(同上)

 

 「古りにし里」という言い方はほぼ「ふるさと」と同じ意味合いも持つが、「古りにし里」は、期間軸が主体の言い方で、「ふるさと」は空間軸が主体であるように思う。

 「古りにし里」は、なぜか心引かれる言い方である。

 「古りにし里」と詠った歌をみてみよう。

 

 

◆吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後

       (天武天皇 巻二 一〇三)

 

≪書き下し≫我(わ)が里に大雪(おほゆき)降(ふ)れり大原(おほはら)の古(ふ)りにし里に降(ふ)らまくは後(のち)

 

(訳)わがこの里に大雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、ずっとのちのことでござろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 標題は、「明日香清御原宮御宇天皇代 天渟中原瀛真人天皇天武天皇」<明日香(あすか)の清御原(きよみはら)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇の代 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)謚(おくりな)して天武天皇(てんむてんのう)といふ>

 

 題詞は、「天皇賜藤原夫人御歌一首」<天皇、藤原夫人(ふぢはらのぶにん)に賜ふ御歌一首>である。

(注)藤原夫人:藤原鎌足の女(むすめ)、五百重娘(いおえのいらつめ)

 

 明日香の都に降った雪を見て天武天皇が、都からほど近い藤原夫人の住んでいる大原を「古りにし里」であり雪も後から降るのだろうとからかっている歌である。

 空間軸では極めて近隣であるが「古りにし里」と時間軸を持ち込んだ効果的な歌となっている。

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その158改)」で紹介している。

 ➡ 

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◆鶉鳴 故郷念友 何如裳妹尓 相縁毛無寸

       (大伴家持 巻四 七七五)

 

≪書き下し≫鶉(うづら)鳴く古(ふ)りにし里ゆ思へども何(なみ)ぞも妹(いも)に逢ふよしもなき

 

(訳)鶉の鳴く古びた里にいた頃からずっと思い続けてきたのに、どうしてあなたにお逢いするきっかけもないのでしょう。(同上)

(注)うずらなく【鶉鳴く】:[枕]ウズラは草深い古びた所で鳴くところから「古(ふ)る」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)古りにし里ゆ:古さびた奈良の里にいた時代からずっと。(伊藤脚注)

(注)にし 分類連語:…てしまった。(学研)

(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

 

 時間軸が効果的になっている。

 この歌ならびに紀女郎が家持に報(こた)へ贈った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その945)」で紹介している。

 ➡ 

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◆藤原 古郷之 秋芽子者 開而落去寸 君待不得而

       (作者未詳 巻十 二二八九)

 

≪書き下し≫藤原(ふぢはら)の古(ふ)りにし里の秋萩は咲きて散りにき君待ちかねて

 

(訳)藤原の古びた里の秋萩の花は、もう咲ききって散ってしまいました。あなたのお越しを待ちあぐんで。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)藤原の古りにし里:和銅三年(710年)奈良遷都以降、古京となる。(伊藤脚注)

 

もう一首みてみよう。

 

◆人毛無 古郷尓 有人乎 愍久也君之 戀尓令死

      (作者未詳 巻十一 二五六〇)

 

≪書き下し≫人もなき古(ふ)りにし里にある人をめぐくや君が恋(こひ)に死なする

 

(訳)人もいない古びた里に住むお人なのに、気の毒にも、あなたはそのお人を恋死にさせようとなさるのですか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)人もなき古(ふ)りにし里にある人を:人もいない古びた里に住むお人なのに。女自身をいう。(伊藤脚注)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)ここでは①の意

(注の注)めぐくや君が恋に死なする:かわいそうに、あなたは恋死にさせようとするのですか。(伊藤脚注)

 

 プレートにもあるように。「忘れ草」は「ヤブカンゾウ」の事である。

(注)わすれぐさ【忘れ草】名詞:草の名。かんぞう(萱草)の別名。身につけると心の憂さを忘れると考えられていたところから、恋の苦しみを忘れるため、下着の紐(ひも)に付けたり、また、垣根に植えたりした。歌でも恋に関連して詠まれることが多い。(学研)

「忘れ草(ヤブカンゾウ)」 「京都府HP」より引用させていただきました。

 

 前稿でも紹介していたが、忘れ草を詠んだ歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」に記載している。

 ➡ 

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 同じような思いで詠まれた「忘れ貝」「恋忘れ貝」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」で紹介している。

 ➡ 

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―その1552―

●歌は、「からたちの茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P41)万葉歌碑<プレート>(忌部黒麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P41)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

      (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まる【放る】他動詞:(大小便を)する。(学研)

 

 この歌ならびに万葉時代のトイレについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1227)で紹介している。

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 「からたち」については、「万葉植物物語」(広島大学附属福山中・高等学校/編著)(中国新聞社)に次のように書かれている。

 「万葉集のこの歌は上品ではありませんが、万葉時代の日常生活を垣間見ることができます。カラタチの実は、黄色く熟してよい香りを放ちますが、食用にはなりません。普通には、生垣として用いられます。木が寒さや病気に強く、実をたくさん付けるので、カンキツ類の台木として広く利用されています。」

「からたち(カラタチ)」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

 

―その1553―

孝謙天皇歌の題詞、「・・・黄葉せる沢蘭一株を抜き取りて内侍佐々貴山君に持たしめ・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P42)万葉歌碑<プレート>(孝謙天皇歌の題詞)

●プレートは、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P42)にある。

 

●題詞並びに歌をみていこう。

 

 題詞は、「天皇太后共幸於大納言藤原家之日黄葉澤蘭一株抜取令持内侍佐ゝ貴山君遣賜大納言藤原卿幷陪従大夫等御歌一首   命婦誦日」<天皇(すめらみこと)、太后(おほきさき)、共に大納言藤原家に幸(いでま)す日に、黄葉(もみち)せる澤蘭(さはあららぎ)一株(ひともと)を抜き取りて、内侍(ないし)佐々貴山君(ささきのやまのきみ)に持たしめ、大納言藤原卿(ふぢはらのまえつきみ)と陪従(べいじゅ)の大夫(だいぶ)等(ら)とに遣(つかは)し賜ふ御歌一首   命婦(みやうぶ)誦(よ)みて日(い)はく>である。

(注)天皇孝謙天皇

(注)太后天皇の母、光明皇后

(注)大納言:藤原仲麻呂

(注)大納言藤原家:藤原仲麻呂の家。(伊藤脚注)

(注)内侍:内侍の司(つかさ)の女官。天皇の身辺に仕え、祭祀を司る。

(注)陪従大夫:供奉する廷臣たち

(注)命婦:宮中や後宮の女官の一つ

(注)さはあららぎ【沢蘭】:サワヒヨドリの古名。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利

       (孝謙天皇 巻十九 四二六八)

 

≪書き下し≫この里は継(つ)ぎて霜や置く夏の野に 我が見し草はもみちたりけり

 

(訳)この里は年中ひっきりなしに霜が置くのであろうか。夏の野で私がさっき見た草は、もうこのように色づいている。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 プレートの植物名は、「さはあららぎ」(サワヒヨドリ)と書かれている。

(注)サワヒヨドリ:日本全国及び東アジアに分布し、日当たりの良い湿地に自生する多年草。草丈40 〜 70cm。茎は直立し、上部に毛が生える。葉は対生で、葉柄はない。8〜10月、茎先に白〜淡紅色の花を咲かせる。(「福岡で観察できる薬草」福岡市薬剤師会HP)

「さはあららぎ(サワヒヨドリ)」 「福岡市薬剤師会HP」より引用させていただきました。

                 

 

 

 光明皇后藤原不比等の娘であるから、孝謙天皇は孫にあたる。藤原仲麻呂不比等の孫であるので、ここに藤原一族の確固たる政治基盤が出来上がったのを象徴するかのような歌である。

 この題詞ならびに歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1129)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉植物物語」 広島大学附属福山中・高等学校/編著 (中国新聞社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「「庭木図鑑 植木ペディア」

★「福岡市薬剤師会HP」

万葉歌碑を訪ねて(その1548,1549,1550)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P37、P38、P39)―万葉集 巻十一 三〇四八、巻十一 二四七五、巻十 二〇九六

―その1548―

●歌は、「み狩する雁羽の小野の櫟柴のなれはまさらず恋こそまされ」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P37)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P37)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆御獦為 鴈羽之小野之 櫟柴之 奈礼波不益 戀社益

        (作者未詳 巻十一 三〇四八)

 

≪書き下し≫み狩(かり)する雁羽(かりは)の小野の櫟柴(ならしば)のなれはまさらず恋こそまされ

 

(訳)み狩りにちなみの雁羽の小野のならの雑木ではありませんが、あなたと馴れ親しむことはいっこうになさらずに、お逢いできぬ苦しみが増すばかりですが。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)上三句「御獦為 鴈羽之小野之 櫟柴之」は、「奈礼」を起こす序である。「御獦為」は「雁羽(かりは):所在は不明」の同音でかかる枕詞である。

(注)みかり【御狩】〘名〙 (「み」は接頭語):① 天皇や皇子などの狩することを敬っていう語。② 狩の美称。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここでは②の意

(注)櫟柴 (ナラシバ):植物。小楢の別称(コトバンク 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」)

 

「み狩(かり)する雁羽(かりは)の小野の櫟柴(ならしば)の」と「の」の音の繰り返しと、「まさらず」「まされ」とリズミカルに心情を訴えているところが相手には強く響く歌である。

 

 この歌ならびに「み狩り」を詠んだ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1064)」で紹介している。

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 「櫟柴(ならしば)」と詠まれているのは三〇四八歌のみである。また「小楢(こなら)」と詠まれているのも三四二四歌のみである。

 こちらもみてみよう。

 

◆之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟

       (作者未詳 巻十四 三四二四)

 

≪書き下し≫下(しも)つ毛(け)野(の)三毳(みかも)の山のこ楢(なら)のすまぐはし子ろは誰(た)か笥(け)か持たむ

 

(訳)下野の三毳の山に生(お)い立つ小楢の木、そのみずみずしい若葉のように、目にもさわやかなあの子は、いったい誰のお椀(わん)を世話することになるのかなあ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)下野:栃木県

(注)三毳の山:佐野市東方の山。大田和山ともいう。(伊藤脚注)

(注)す+形容詞:( 接頭 ) 形容詞などに付いて、普通の程度を超えている意を添える。 「 -早い」 「 -ばしこい」(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)まぐはし【目細し】:見た目に美しい。(同上)

(注)け【笥】名詞:容器。入れ物。特に、食器。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 左注は、「右二首下野國歌」<右の二首は下野の国の歌>とある。

 

 三四二四歌ならびに「笥(け)」から陶器に関わる歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1145)」で紹介している。

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「こなら(コナラ)」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

―その1549―

●歌は、「我がやどは甍しだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P38)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P38)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生

      (作者未詳 巻十一 二四七五)

 

≪書き下し≫我がやどは甍(いらか)しだ草生(お)ひたれど恋忘(こひわす)れ草見れどいまだ生(お)ひず

 

(訳)我が家の庭はというと、軒のしだ草はいっぱい生えているけれど、肝心の恋忘れ草はいくら見てもまだ生えていない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

 

 二四七五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1082)」で紹介している。

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四句目に「恋忘れ草」とあるが、「忘れ草」は、五首が収録されている。 

「忘れ草」を詠った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で紹介している。

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 「忘れ草」同様、忘れたいが故にすがりたい思いに駆られる「忘れ貝」や「恋忘れ貝」がある。これを詠った歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」で紹介している。

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 春日大社神苑萬葉植物園・植物説明板によると、「『しだくさ』は、羊歯(シダ)植物の一種と考えられており『甍(イラカ)しだ草』又『軒(ノキ)のしだ草』と歌中に詠まれている。軒の下に生えることが名の由来になって『軒忍(ノキシノブ)』が定説になっているが、他説に『下草(したくさ)』と読み『裏白(ウラジロ)』とする説もある。」と書かれている。

 

―その1550―

●歌は、「真葛原靡く秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P39)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P39)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散

       (作者未詳 巻十 二〇九六)

 

≪書き下し≫真葛原(まくずはら)靡(なび)く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野(おほの)の萩の花散る

 

(訳)葛が一面に生い茂る原、その原を押し靡かせる秋の風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花がはらはらと散る。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)阿太の大野:奈良県五條市阿太付近の野。大野は原野の意。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その442)」で紹介している。

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 「葛」が詠われている歌を大まかに分けると、①枕詞(10首)、②真葛原(3首)、③葛引く(2首)、④葛葉(4首)、⑤秋の七種(1首)となる。

 

 「真葛原」と詠まれているのは二〇九六歌の他は、一三四六、三〇六九歌である。

 この二首をみてみよう。

 

◆姫押 生澤邊之 真田葛原 何時鴨絡而 我衣将服

      (作者未詳 巻七 一三四六)

 

≪書き下し≫をみなへし佐紀沢(さきさわ)の辺(へ)の真葛原(まくずはら)いつかも繰(く)りて我(わ)が衣(きぬ)に着む

 

(訳)佐紀沢のあたりの葛の生い茂る野原、あの野の葛は、いつになったら糸に操(く)って、私の着物として着ることができるのだろうか。(同上)

(注)をみなへし【女郎花】 名詞:①おみなえし。②「佐紀(現奈良市北西部・佐保川西岸の地名)」にかかる枕詞。(weblio辞書 「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリー)」)

(注)上三句は少女の譬え。(伊藤脚注)

 

 

◆赤駒之 射去羽計 真田葛原 何傳言 直将吉

        (作者未詳 巻十二 三〇六九)

 

≪書き下し≫赤駒(あかごま)のい行きはばかる真葛原(まくずはら)何の伝(つ)て言(こと)直(ただ)にしよけむ

 

(訳)元気な赤駒でも行き悩む真葛原ではないが、何てまあじれったいこと、言伝てなんて。じかに逢うのがいちばん。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「何の伝て言」を起こす。進めないもどかしさから言う。(伊藤脚注)

(注)何の伝て言:名詞句。何だ、伝言だけだとは。(伊藤脚注)

(注)直にしよけむ:何と言ったってじかに逢うのがよいのだ。(伊藤脚注)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 『Wiktionary日本語版(日本語カテゴリー)』」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 日外アソシエーツ『動植物名よみかた辞典 普及版』」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「庭木図鑑 植木ペディア」

★「野津田公園の生き物たち」 (野津田公園HP)

★「薬草データベース」 (熊本大学薬学部 薬草園HP)

 

万葉歌碑を訪ねて(その1545,1546,1547)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P34、P35、P36)―万葉集 巻十四 三五〇八、巻二十 四一六九、巻十四 三三五〇

―その1545―

●歌は、「芝付の御宇良崎なるねつこ草相見ずあらずば我れ恋ひめやも」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P34)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P34)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安礼古非米夜母

      (作者未詳 巻十四 三五〇八)

 

≪書き下し≫芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なるねつこ草(ぐさ)相見(あひみ)ずあらずば我(あ)れ恋ひめやも

 

(訳)芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)のねつこ草、あの一緒に寝た子とめぐり会いさえしなかったら、俺はこんなにも恋い焦がれることはなかったはずだ(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)。

(注)ねつこぐさ【ねつこ草】〘名〙: オキナグサ、また、シバクサとされるが未詳。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版 )

(注の注)ねつこ草は女性の譬え。「寝つ子」を懸ける。

(注)あひみる【相見る・逢ひ見る】自動詞:①対面する。②契りを結ぶ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1146)」で紹介している。

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「ねつこぐさ」はオキナグサあるいはシバクサと考えられている。

オキナグサは、「本州、四国、九州の日当たりのよい草原や林縁に生える多年草です。花後にできるタネに白く長い毛があり、そのタネが密集して風にそよぐ姿を老人の白髪に見立てて『オキナグサ(翁草)』と呼ばれているといわれます。」(みんなの趣味の園芸 NHK出版HP)


 「しばくさ」は、今日の「芝」と異なり、道などの雑草をいう。「芝付の」は、枕詞っぽい響きがする。雑草の根がしっかりと絡まる「ねつこぐさ」に懸ると考えると、東歌らしい赤裸々さも感じられなくはないように思える。

 

 「ネジバナ」とする考え方もある。


花の蛇行が、絡みつくイメージを醸し出している。可憐な花である。丁度庭に咲いている一枚です。

 

 

 

 

―その1546―

●歌は、「・・・白玉の見が欲し御面直向ひ見む時までは松柏の栄えいまさね貴き我が君」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P35)万葉歌碑<プレート>(大伴家持



●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P35)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆霍公鳥 来喧五月尓 咲尓保布 花橘乃 香吉 於夜能御言 朝暮尓 不聞日麻祢久 安麻射可流 夷尓之居者 安之比奇乃 山乃多乎里尓 立雲乎 余曽能未見都追 嘆蘇良 夜須家奈久尓 念蘇良 苦伎毛能乎 奈呉乃海部之 潜取云 真珠乃 見我保之御面 多太向 将見時麻泥波 松栢乃 佐賀延伊麻佐祢 尊安我吉美 <御面謂之美於毛和>

       (大伴家持 巻二十 四一六九)

 

≪書き下し≫ほととぎす 来鳴く五月(さつき)に 咲きにほふ 花橘(はなたちばな)の かぐはしき 親の御言(みこと) 朝夕(あさよひ)に 聞かぬ日まねく 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にし居(を)れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを 奈呉(なご)の海人(あま)の 潜(かづ)き取るといふ 白玉(しらたま)の 見が欲(ほ)し御面(みおもわ) 直向(ただむか)ひ 見む時までは 松柏(まつかへ)の 栄(さか)えいまさね 貴(たひとき)き我(あ)が君 <御面、みおもわといふ>

 

(訳)時鳥が来て鳴く五月に咲き薫(かお)る花橘のように、かぐわしい母上様のお言葉、そのお声を朝に夕に聞かぬ日が積もるばかりで、都遠く離れたこんな鄙の地に住んでいるので、累々と重なる山の尾根に立つ雲、その雲を遠くから見やるばかりで、嘆く心は休まる暇もなく、思う心は苦しくてなりません。奈呉の海人(あま)がもぐって採るという真珠のように、見たい見たいと思う御面(みおも)、そのお顔を目(ま)の当たりに見るその時までは、どうか常盤(ときわ)の松や柏(かしわ)のように、お変わりなく元気でいらして下さい。尊い我が母君様。<御面は「みおもわ」と訓みます>(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「ほととぎす 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘の」は序。「かぐはしき」を起こす。

(注)かぐはし【香ぐはし・馨し】形容詞:①香り高い。かんばしい。②美しい。心がひかれる。(学研)

(注)みこと【御言・命】名詞:お言葉。仰せ。詔(みことのり)。▽神や天皇の言葉の尊敬語。 ※「み」は接頭語。上代語。(学研)

(注)やまのたをり【山のたをり】分類連語:山の尾根のくぼんだ所。(学研)

(注)よそ【余所】名詞:離れた所。別の所。(学研)

(注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。(学研) ここでは④の意

(注)やすげなし【安げ無し】形容詞:安心できない。落ち着かない。不安だ。(学研)

(注)「奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の」は序。「見が欲し」を起こす。

(注)まつかへの【松柏の】[枕]:松・カシワが常緑で樹齢久しいところから、「栄ゆ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)あがきみ【吾が君】名詞:あなた。あなたさま。▽相手を親しんで、また敬愛の気持ちをこめて呼びかける語。(学研)

 

 題詞は、「為家婦贈在京尊母所誂作歌一首 幷短歌」<家婦(かふ)の、京に在(いま)す尊母(そんぼ)に贈るために、誂(あとら)へられて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。「誂(あとら)へられて作る」とあるので、妻の大嬢に頼まれて家持が代作したのであろう。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1123)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)には、「かへ 栢 かや イチイ科」と書かれている。

(注)かや【榧・柏・栢】〘名〙:① イチイ科の常緑高木。本州の宮城、山形県以南、四国、九州、南朝鮮の山地に生え、庭などに植えられる。観賞用のものも多い。高さ二〇メートル、直径一メートル以上にもなる。・・・葉は臭気があり蚊やりに用いられた。材は黄色を帯び、緻密(ちみつ)で腐りにくいので、建築、器具、造船材とし、とくに碁盤、将棋盤によいとされる。ほんがや。かやのき。かえ。・・・)カヤはカヘが変化したものと思われる。」(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

―その1547―

●歌は、「筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P36)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)



●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P36)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆筑波祢乃 尓比具波波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母

      (作者未詳 巻十四 三三五〇)

   或本歌日 多良知祢能 又云 安麻多氣保思母

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)の新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)しあやに着(き)欲(ほ)しも

   或本の歌には「たらちねの」といふ。また「あまた着(き)欲しも」といふ。

 

(訳)筑波嶺一帯の、新桑で飼った繭の着物はあり、それはそれですばらしいけれど、やっぱり、あなたのお召がむしょうに着たい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)新桑繭(読み)にいぐわまよ :新しい桑の葉で育った繭。今年の蚕の繭。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)みけし【御衣】名詞:お召し物。▽貴人の衣服の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(学研)

(注)あやに【奇に】副詞:むやみに。ひどく。(学研)

 

 新しい桑の葉で育った蚕から採った高価な絹の衣服よりも、あなたの衣服を身に着けたい、「信州信濃の新そばよりも、わたしゃあなたのそばがよい」といったノリである。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その579)」で紹介している。

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絹の歴史、蜻蛉領巾、西市で絹の粗悪品つかまされたという歌等についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1052)」で紹介している。

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「桑」について、「生薬ものしり事典」(Yomeisyu HP)に次の様に書かれている。

「一般的に『桑』と呼ばれているのは、植物分類学で『マグワ』のことです。クワ科、クワ属の植物で、北海道から九州の日本各地と朝鮮半島から中国大陸の山地に分布する中国原産の落葉高木植物です。

桑は古くから、絹糸になるマユを作るカイコの餌としても知られています。

桑は薬用に使用する部位が多くあります。『日本薬局方』には、冬に根を掘り、皮部を剥いで天日乾燥した『桑白皮(そうはくひ)』が収載されています。民間では、葉や実なども薬用とされ、11月頃の葉を採取して天日乾燥したものを『桑葉(そうよう)』といい、4〜6月頃に若い枝を刈り取り、天日乾燥したものを『桑枝(そうし)』、実の部分(果穂)を集めて乾燥したものを『桑椹(そうじん)』と呼んでいます。」

「生薬ものしり事典」(Yomeisyu HP)より引用させていただきました。

桑がこんなに役立つものであるとは驚きである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「庭木図鑑 植木ペディア」

★「生薬ものしり事典」 (Yomeisyu HP)

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市