2024-11-01から1ヶ月間の記事一覧
●歌は、「川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて(吹芡刀自 1-22)」である。 【波多の横山】 「吹芡刀自(ふふきのとじ)(巻一‐二二)(歌は省略) 十市皇女(とをちのみめみこ)は大海人(おおあま)皇子(天武天皇)と額田王(ぬかたのおほ…
●歌は、「河口の野辺に廬りて夜の経れば妹が手本し思ほゆるかも(大伴家持 6-1029)」である。 【河口の野】 「大伴家持(巻六‐一〇二九)(歌は省略)聖武天皇の天平一二年(七四〇)一〇月・・・広嗣の反に呼応するもののあろうことを恐れてか、天皇は一〇…
●歌は、「我妹子をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも(石上麻呂 1-44)」である。 【いざみの山】 「石上麻呂(巻一‐四四)(歌は省略) いざみの山は、三重県飯南(いいなみ)郡と奈良県吉野郡との境の高見山といわれている。・・・もともと要路…
●歌は、「我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ(当麻真人麻呂妻1-43)」である。 本稿から三重県となります。 【名張の山】 「当麻麻呂妻(たぎのまろのめ)(巻一‐四三)(歌は省略)・・・この歌は、おそらく持統天皇の六年(六九二…
●歌は、「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも(柿本人麻呂 4-496)」である。 【浜木綿】 「柿本人麻呂(巻四‐四九六)(歌は省略)紀州の浜木綿(はまゆう)はすっかり有名になって観光にも利用されるようになったが、歌は万葉にこの一首…
●歌は、「苦しくも降り来る雨か神の崎狭野の渡りに家もあらなくに(長忌寸意吉麿 3-265)」である。 【佐野・三輪崎】 「長奥麻呂(ながのおきまろ)(巻三‐二六五)(歌は省略) 作者の長奥麻呂は万葉第二期の持統朝のころの人だが、どういう事情の旅である…
●歌は、「荒磯ゆもまして思へや玉の浦の離れ小島の夢にし見ゆる(作者未詳 7-1202)」である。 【玉の浦】 「作者未詳(巻七‐一二〇二)(歌は省略)・・・『人麻呂歌集』所出の歌に『玉の浦』(巻九‐一六九二)とあってその題詞に『紀伊国作歌』とあるから…
●歌は、「山越えて海渡るともおもしろき今城のうちはわすらゆましじ(斉明天皇 斉明紀)」である。 【紀の湯】 「斉明天皇(斉明紀)(歌は省略)こんにち白(しら)浜(西牟婁(にしむろ)郡)は天下にきこえた観光地となって紀の湯(万葉には紀温泉・紀温…
●歌は、「南部の浦潮な満ちそね鹿島にある釣りする海人を見て帰り来む(作者未詳 9-1669)」である。 【みなべ・鹿島】 「作者未詳(巻九‐一六六九)(歌は省略)岩代から東へ目津(めつ)崎をまわると、西南面した半月形の・・・南部(みなべ)の浜と東南角…
●歌は、「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた返り見む (有間皇子 2-141)」と「家なれば笱に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(同 2-142)」である。 【岩代】 「有間皇子(巻二‐一四一)(巻二‐一四二)(いずれも歌は省略)・・・松のそよぎ…
●歌は、「我が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ(中皇命 1-12)である。 【野島】 「中皇命(巻一‐一二)(歌は省略)・・・野島は島でなく、御坊(ごぼう)市名田(なだ)町野島(のしま)の地で、もと岬の台地状の地形に発する名か、西の出…
●歌は、「はだ薄久米の若子がいましける三穂の石室は見れど飽かぬかも(博通法師 3-307)、「常磐なす石室は今もありけれど住みける人ぞ常なかりける(同 3-308)」、「石室戸に立てる松の木汝を見れば昔の人を相見るごとし(同 3-309)」である。 【三穂の…
●歌は、「風早の三穂の浦みを漕ぐ舟の舟人騒く波立つらしも(作者未詳 7-1228)」である。 【三穂の浦】 「作者未詳(巻七‐一二二八)(歌は省略)日ノ岬の日ノ山の東方に小さく北に入りこんだ湾入があり、・・・そこに三尾(みお)の漁村がある。いまは日高…
●歌は、「白崎は幸くあり待て大船に真梶しじ貫きまたかへり見む(作者未詳 9-1668)」である。 【白崎】 「作者未詳(巻九‐一六六八)(歌は省略)・・・白崎(しらさき)は付近の緑の山とはひとくぎりをなしたまっ白な石灰岩の岬で、数十年来、セメント原料…
●歌は、「妹がため玉を拾ふと紀伊の国の由良の岬にこの日暮らしつ(藤原卿 7-1220)」である。 【由良の崎】 「藤原卿(巻七‐一二二〇)(歌は省略)・・・この歌の『由良の崎』も、・・・(日高郡由良町)の神谷(かみや)崎や下山(しもやま)鼻のあたりで…
●歌は、「足代過ぎて糸鹿の山の桜花散らずもあらなむ帰り来まで(作者未詳 7-1212)」である。 【糸鹿の山】 「作者未詳(巻七‐一二一二)(歌は省略)・・・有田郡はもと安諦(あて)郡といわれた。この歌の『足代(あて)』は有田川畔などにあった郷名であろ…
●歌は、「大崎の神の小浜は狭けども百舟人も過ぐと言はなくに(作者未詳 6-1023)」である。 【大崎】 「石上乙麻呂か(巻六‐一〇二三)(歌は省略)大崎は下津(しもつ)湾口の港で、港の口もとは湾に向い、北に深く長く入り込んだ天然の良港である。・・・…
●歌は、「藤白の御坂を越ゆと白栲の我が衣手は濡れにけるかも(作者未詳 9-1675)」である。 【藤白のみ坂】 「作者未詳(巻九‐一六七五)(歌は省略)・・・こんにち、藤白神社(藤白王子)からすこし西にいった坂の登り口、俗称椿の地蔵さんのところに有間…
●歌は、「黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻(作者未詳 9-1672)」である。 【黒牛潟】 「作者未詳(巻九‐一六七二)(歌は省略)・・・黒江湾・・・北の毛見(けみ)崎の丘陵と南の急峻な藤白山脈とにはさまれたしずかな入海で、湾奥には北から、…
●歌は、「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る(山部赤人 6-919)」である。 【玉津島・わかの浦(二)】 「山部赤人(巻六‐九一九)(歌は省略)この第二の反歌では、長歌と第一の反歌とに応じて、景観は一転し満潮時の実景となる。・・・…
●歌は、「やすみしし我ご大君の常宮と仕へ奉れる雑賀野ゆそがひに見ゆる沖つ島清き渚に風吹けば白波騒き潮干れば玉藻刈りつつ神代よりしかぞ貴き玉津島山(山部赤人 6-917)」 「沖つ島荒礒の玉藻潮干満ちい隠りゆかば思ほえむかも(山部赤人 6-918)」であ…
●歌は、「我妹子に我が恋ひ行けば羨しくも並び居るかも妹と背の山(作者未詳 7-1210)」である。 【妹と背の山】 「作者未詳(巻七‐一二一〇)(歌は省略)紀ノ川の河谷は広いが、まつち山付近と、伊都(いと)郡かつらぎ町の背(せ)の山(背山(せやま)、…
●歌は、「白栲ににほふ真土の山川に我が馬なづむ家恋ふらしも(作者未詳 7-1192)」である。 【まつちの山川】 「作者未詳(巻七‐一一九二)(歌は省略) 紀和国境の峠の山としての「まつち山」・・・むかしは待乳(まつち)山が国境になっていたが、こんに…
●歌は、「時つ風吹飯の浜に出で居つ贖ふ命は妹がためこそ(作者未詳 12-3201)」である。 【吹飯の浜】 「作者未詳(巻十二‐三二〇一)(歌は省略)深日(ふけ)浦は、大阪府の最南西端に、和泉山脈をうしろにして、泉南(せんなん)郡岬(みさき)町深日(…
●歌は、「妹が手を取石の池の波の間ゆ鳥が音異に鳴く秋過ぎぬらし(作者未詳 10-2166)」である。 【取石の池】 「作者未詳(巻十‐二一六六)(歌は省略)・・・戦前まで、・・・高石町土生(はぶ)(現高石市取石)の東北に、小栗旧街道(熊野街道)の東側…
●歌は、「大伴の高石の浜の松が根を枕き寝れど家し偲はゆ(置始東人 1-66)」である。 【高師の浜】 「置始東人」(巻一‐六六)(歌は省略)・・・この歌の『大伴の』は枕詞とみる説もあるが、大阪から堺にかけての一帯は、古く大伴氏の所領であったらしく、…
●歌は、「霰打つ安良礼松原住吉の弟日娘子と見れど飽かぬかも(長皇子 1-65)」である。 【あられ松原】 「長皇子(巻一‐六五)(歌は省略)・・・堺の浅香山のかけて湾入した住吉浦は、浅沼小野、遠里小野(とおさとのおの)を背後にして、白砂青松の好風を…
●歌は、「住吉の浅沢小野のかきつはた衣に摺り付け着む日知らずも(作者未詳 7-1361)」である。 【浅沢小野】 「作者未詳(巻七‐一三六一)(歌は省略)住吉(すみよし)の一帯は地形がひどくかわってしまっているので、万葉に出てくる諸地もここと定めるこ…
●歌は、「そらみつ 大和の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波に下り 住吉の 御津に船乗り 直渡り 日の入る国に・・・(作者未詳 19-4245)」である。 【住吉の大神】 「作者未詳(巻十九‐四二四五)(歌は省略) 住吉は、当時はすべて『スミノエ』(須…
●歌は、「明日香川黄葉流る葛城の山の木の葉は今し散るらし(作者未詳 10-2210)」である。 【河内の飛鳥川】 「作者未詳(巻十‐二二一〇)(歌は省略) 大和の飛鳥(あすか)はあまりにも有名だが、河内にも飛鳥がある。二上(にじょう)山西方一帯の地で、…