●ドライブから帰ってまだ通常生活にもどりきっていない。サンドイッチを作ろうと台所へ。何と、食パンがない。あわてて近所のコンビニへ。こういう時はコンビニ様様である。食パンだけでは気が引けるので、お菓子を二つ余分に買ってしまう。
サンドイッチの中身はサニーレタスと焼豚。八分割にし、長方皿に2ブロックに盛り付ける。
デザートはりんごをカットしたものを中心に置き、周りにぶどうの切り合わせを配した。キウイも飾りつけ干しブドウでアクセントをつけた。
余分に買ったお菓子の分もウォーキングで挑戦せねばならない(買わないか、食べなければよいのだが)。
昨日に引き続き、渋谷川沿いの遊歩道の歌を見ていく。
●丘の上古き椎の木春たけて目立たぬ花の強く匂いぬ
丘の上の古い大木となった椎の木が春には花をつけるが目立たない、しかし匂いは強いものである・・・
古く大木となった椎の木は下から見上げるてもなかなか花を確認できない。しかし匂いで気づく。栗の花も同じようなものである。
椎の木に関する歌がこれで2首目である。(2つともコンクリートの打ちっぱなしに彫り込まれた歌である)
何故この二つの歌が選ばれたのかもう一つ理解しがたい。
●咲き誇る桜も良けれ散り初めて若葉いささか混じるさえ良し
咲き誇っている桜の花は良いものであるが、花が散り始めた頃の若葉が少し混じったような様も良いものだ。
たしかにこのころの若葉のみずみずしいフレッシュグリーンは花を引き立たせる。五七五七七の世界で自然の絵画の世界を表している。光景を浮かべながら、寒さに首をすくめて歩いていく。
●泉川渡り瀬深み我が背子が旅行き衣濡れにけるかも(万葉集)
万葉集に謳われている「泉川」は今の木津川のことである。
泉川の瀬が深いので我が夫の旅の衣が濡れてしまうのでは、と夫を心配する妻の心境を謳ったものである。源歌は「ねれにけるかも」ではなく「ひづちなむかも」となっている。
●秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿鳴かむ山そ高野原の上(長皇子 万葉集)
近鉄京都線高の原駅の出口付近には、名前の由来となった万葉集の歌碑がある。
少しずつ歴史を深堀する材料はいくらでもある。機会をとらえて記していきたい。