●今日のサンドイッチは、丸型のフランスパンの四分の一をスライスして、切れ目をいれ、そこにサニーレタスと焼豚を挟んだ。時期のサラダボールに盛り付けた。サンドイッチの花が咲いたみたいに見える!
デザートは、真ん中にブドウの合わせたものを置き周りに二色のぶどうの8等分にしたものを円形に並べた。外周にはバナナのスライスを配し、バナナの隙間をキウイを楔のように並べた。干しブドウでアクセントをつけた。
信楽焼の茶壷の文字から上狛の茶問屋にいきついたが、どうしても現地を確認してみたい衝動にかられた。
年末の大掃除が一段落したので、グーグルで検索し位置を確かめる。福寿園の資料を
見つける。時計を見ると、14時前。資料によると、開館は10~12時、13時~16時までと書いてあったので、急いで出かける。車で15分程度。
まず資料館へと急ぐ。なんと今日は休みであった。不定休とは書いてあったが、祝日でも休みとは。年末だからか。ここはまた出直そう。
資料館の反対側に、伊右衛門で有名な福寿園の看板(作り直したもので昔のは、福寿園CHA遊学パークに保存してある)が目に入った。福寿園のHPの福寿園の歴史に、創業は寛政二年で山城国上狛に福井伊右衛門により茶商として始まると書かれていた。
資料館を通り過ぎ、茶問屋ストリートと呼ばれるところにでる。出たところに、「山城茶業之碑」がたてられている。明治17年この地の茶業者によって組織された相楽郡茶業組合に始まる山城茶業組合が創立120周年を記念して建てたものである。
碑の前に「上狛茶問屋街」の説明案内板も設置されている。
江戸時代末の神戸港開港による茶の輸出により生産量が飛躍的に伸びたとある。山城とその周辺地域で摘まれた茶が運ばれ、茶商の手により加工精製され、上狛浜から木津川と淀川を経て神戸港から海外へ輸出されたことから、茶問屋街として栄えたとある。
通りの両サイドに、布団屋や呉服店も軒を連ねていた。綿業の名残か。
あたりを散策しようとしたところ、ぽつぽつと雨が、次第に大粒に。家内の「洗濯ものが!」との一言で、引き返すことに。ドタバタである。次回の楽しみでもある。