●サンドイッチの中味は、ジャガイモをスマッシュして玉子と混ぜ合わせ、レンジでチンしふっくらとさせたものと、ベーコンそしてレタスである。
デザートは、リンゴの飾り切りを中央におき、みかんの輪切りの半分を挟み、周りにブドウと干しブドウを飾り付けた。
●万葉の小径シリーズーその2 はぎ
高円(たかまど)の 野辺(のべ)の秋萩(あきはぎ) いたづらに 咲きが散るらむ 見る人なしに (笠金村歌集 巻二 二三一)
「高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓」
高円の野辺に咲く秋萩は、むなしく咲きむなしく散っていくのか。もはやそれを見る人もなく。
「ハギの種類は一五種ほどあるが、古来、萩と呼びならわされているのは、ヤマハギのことを指す。ヤマハギは、落葉性低木で九月の中頃から紅紫色の小さな花を咲かせる。万葉集には約一四〇回も歌われ、草の花ではもっとも多く歌われている。今日では、萩は木の分類に入っているものの、万葉の頃は、柔らかい枝を開花直前に延ばし可愛い花を咲かせるので、草の花とみられていたようだ。
当時、ハギは芽とか芽子とかの文字で表されることが多く、萩の字を用いて表された草はない。もちろん古代から中国に萩の字は存在したが、それはキク科の多年生草木の萩(よもぎ又はくさよもぎ)を指し、ハギとはまったく異なる植物である。
笠金村(かさのかなむら)は高円一帯の秋を飾る萩が、空しく咲き空しく散るのを今後も繰り返すだろうと歌って。悲しみの心を表している。それは歌の数こそ少ないが、万葉集の中に一つの歌風のようなものを残した志貴皇子(しきのみこ)の死を悼んでの歌である。今の白毫寺(びゃくごうじ)辺りに居をかまえていた皇子が亡くなって、高円山の西麓で野辺の送りが営まれた時の歌であろうか。
萩という字は、草冠に秋と書くので、「秋」の「草」であることを示す。」
(万葉の小径 はぎの歌碑)
高円と秋萩を歌った歌には、大伴宿禰家持の歌がある。
高円の 野辺の秋萩 このころの 暁露(あかときつゆ)に 咲きにけむかも(巻八 一六〇五)
「高圓之 野邊乃秋芽子 此日之 暁露余 開兼可聞」
奈良の旧都の郊外の高円の野辺の萩の花は、この幾日か以来、夜明け方の露に、もはや咲いたことでだろう。
白毫寺は奈良市白毫寺町にある。奈良市市街地の東南部、春日山の南に連なる高円山の山麓にある。五色椿と萩が名高い。
花だより 五色椿 3月下旬~4月上旬
ヤブ椿 3月~4月
萩 9月中旬~下旬 参道と境内の一部
紅葉 11月下旬~12月上旬
(参考文献)
★万葉の小径 はぎの歌碑
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大和万葉」 堀内民一 著 (創元社)