万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット190111(万葉の小径シリーズーその6 つつじ)

●サンドイッチの中身はレタスとトレビスそして焼豚。トレビスを多めに使ってみる。砥部焼の丸皿に盛り付ける。皿の赤絵とサンドイッチがよく似合う。

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1月11日のモーニングセット

 デザート用にりんご「ふじ」をゲット。早速使ってみる。横にスライス、野菜くり抜き型で上部皮つき3個、二段目3個くり抜き、そこに皮付きのくり抜いたものを埋め込む。周辺は2色のぶどうの合わせたものを配して仕上げた。

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1月11日のデザート

 

●万葉の小径シリーズ-その6 つつじ

 

水伝ふ 磯の浦廻(うらみ)の 石(いわ)つつじ 茂(も)く咲く道を またも見むかも

  (日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)の宮の舎人(とねり) 巻二 一八五)

 

 「水傳 磯乃浦廻乃 石上乍自 木丘開道乎 又将見鴨」

 

水の流れている池の磯の辺りに石つつじがいっぱいに咲いている。再びこの美しい景色を見ることがあるだろうか

 

 「石つつじ(イワツツジ)は、水辺の岩の間に咲くツツジ。ここでは、庭園の磯の辺りに咲くツツジをいう。現在、イワツツジと呼ばれる品種は、高地性のものであり、舎人の歌っている場所は飛鳥で、せいぜい標高100メートル程度に過ぎないので、このイワツツジは文字通り岩の辺りに咲くツツジと解される。品種は、ヤマツツジで、常緑低木が多く、四月から六月にかけて、次々と山野で白に紅に花を咲かせる。

 イワツツジの咲く磯も、実は、島の宮と呼ばれる草壁皇子(くさかべのみこ)の住まいの池の磯である。持統三年(六八九)四月、持統の期待もむなしく結局は即位することもなく、皇太子草壁は薨去(こうきょ)した、主人である草壁が健在であればこそ、島の宮の邸に奉仕することができるが、主亡き後は、舎人たちは島の宮を立ち去らねばならない。今咲いている池のイワツツジを、もはや見ることもないだろうとの主を失った舎人たちの悲しみを歌っている。」

(万葉の小径 つつじの歌碑)

 

上述の歌は一七一から一九三までの「皇子の尊の宮の舎人等の、慟傷(かなし)みて作れる歌二十三首の中の一首である。

 

巻二 一七一の歌は、「たかひかる 我が日の皇子の 万代に 国知らさまし 島の宮はも」  である。お仕えする神聖な神の皇子が万年にわたって国をお治めになるはずだったのに。その島の宮よ、と永久の悲傷を歌いあげている。

 

歌碑の歌を含め二十三首は、日のみこ(草壁皇子)に対する悲しみが歌われており、一人の代作者によるものと言われている。墓所で舎人たちが歌ったものとして儀礼的に宮廷信仰にのっとって代作されていると考えられている。草壁皇子は亡き後、尊んで日雙斯(ひなめし)と諡(し)せられた。

 

 

 (参考文献)

★万葉の小径 つつじの歌碑

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社