万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット190114(万葉の小径シリーズーその9 ちさ)

●今日は成人の日である。サンドイッチはロールパンを3か所縦切りにし、サニーレタスと焼豚を挟んだ。サニーレタスが少し大きすぎたのでパンがはっきりせず、野菜サラダのようになってしまった。

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1月14日のモーニングセット

 デザートは、りんごの中心部を縦切りにし、ヘタも残し、種の部分を野菜くり抜き器で模様をつけた。周辺にバナナの輪切りを並べ、2色のぶどうの合わせを配した。

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1月14日のデザートプラスα

 伊予柑を買って来たので、久しぶりに剥き戻しをやってみた。伊予柑の赤道部に包丁を入れ、皮と中味を分離する。皮をちぎらないように慎重にはがしていく。果肉が入っている薄皮をむいて元の形に埋め戻す。結構時間がかかる。まだ伊予柑はやりやすいほうである。グレープフルーツはなかなか手ごわい。出来栄えはグレープフルーツの方が味がある。

 

 

●万葉の小径シリーズ-その9 ちさ エゴノキ

 

大汝(おおむらち) 少彦名(すくなひこな)の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を

見れば貴く 妻子(めこ)見れば かなしく愛(めぐ)し

うつせみの 世の理(ことわり)と かくさまに 言ひけるものを 

世の人の 立つる言立(ことだて)て ちさの花 咲ける盛りに

はしきよし その妻の子と 朝夕(あさよひ)に

笑みま笑まずも うち嘆き 語りけまくは

とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神言(かみこと)寄せて

春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りそよ

離れ居て 嘆かす妹が いつしかも

使ひの来むと 待たすらむ 心さぶしく

南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢りて 射水川(いみづがわ)

流る水沫(みなわ)の 寄るへなみ 左夫流(さぶる)その児に 紐の緒の

いつがりあひて にほ鳥の 二人並び居 奈呉(なご)の海の

沖を深めて さどはせる君が心の すべもすべなさ

                    (大伴家持 巻十八 四一〇六)

 

「於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良久 父母乎

見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之  

宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎

世人能 多都流許等太弖 知佐能花 佐家流沙加利尓

波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓

恵美ゝ恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波

等己之へ尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天

春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽

波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛

都可比能許牟等 末多須良无 心佐夫之苦

南吹 雪消益而 射水

流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能

移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 

於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐

 

この国土を形成された大汝(おおむらち)・少彦名(すくなひこな)二神のいらっしゃった神代の昔から言い伝えて来たことには、父母は貴く妻子はいとしく可愛い、これが世の中の道理だと言ってきた。

世間の人の立てる誓いに、ちさの花の満開の頃に、いとしい妻と笑い合ったり、嘆いたりして語ったことには、永遠にこうであろうか、今に天地の神々のお助けによって春の花のように栄えるときもあるだろうと語り待っていた春がやってきたよ。遠く離れて都にいる妻は、早く使いが来てほしいと寂しく待っているだろう。ところが、あなたは南風が吹いて雪解け水の溢れている射水川に流れている水沫がどこにも寄れないように、寄るべのない佐夫流とつながってしまって、二人で並んで座って奈呉の海の沖が深いように迷ってしまったあなたの心はどうしようもないことよ。

 

 「えごのきの別名はチシャノキというので、この歌にいうちさも、えごのきの琴であろう。エゴノキは、落葉小高木でほととぎすの鳴き始める五月中頃に、たくさんの白い花を咲かせる。えごのきの林はまだ知らないが、一本二本ならば万葉風土のあちこちで目にする花である。また、同じくチシャという名の植物に、ヨーロッパ原産の二年草のチシャがあるが、岳が低い草であって、この歌には当たらない。」

                         (万葉の小径 ちさの歌碑)

 

(注)四一〇六

・大汝(おおむらち)は、大国主命(おおくにぬしのみこと)のこと。

・少彦名(すくなひこな)は、大国主命とともに国づくりに参加した神。

射水川は、富山県の七大河川の一つ、富山湾に注ぐ。

・奈呉の海は、富山県射水市付近の海。

・「佐夫流」は遊女の名前:四一〇八の注に「言佐夫流者遊行女婦之字也」とある。

 

この長歌反歌が四一〇七~四一〇九の三首である。

「あをによし 奈良にある妹が 高々に 待つらむ心 しかにはあらじか」

                                  四一〇七

「里人の 見る目恥ずかし 佐夫流子に さどはす君が 宮出後姿(みやでしりぶり)」

                                  四一〇八

「紅は うつろふものぞ 都流波美能(つるはみの) なれにし来ぬに なほしかめやも」

                                  四一〇九

大伴家持は、万葉末期の相聞作家の中心人物である。女性遍歴は、その残したおよそ130首の恋歌からその片鱗が知れる。笠女郎、山口女王、大神(おおみわ)女郎、河内百枝娘子、巫部麻蘇娘子、粟田女娘子、豊前国娘子大宅女、安都扉娘子、丹波大女娘子などがあがっている。

 

 万葉集のなかで473首が家持の作で、そのうち220余首が越中で歌われたという。かつて、高岡市の伏木の地には、奈良時代越中の国(現在の富山県)の国府が置かれていた。この国府大伴家持が国守として赴任してきたのは、天平十八年(746)29歳の時。5年滞在とある。

 

(参考文献)

★万葉の小径 ちさの歌碑

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「高岡市万葉歴史館」HP

★「とやま観光ナビ」HP