万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット190124(万葉の小径シリーズーその18まゆみ)

●今日のサンドイッチは、サニーレタスと焼豚。中味は変わり映えしないが、継続が力である。備前の丸皿に盛り付ける。

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1月24日のモーニングセット

 デザートはリンゴの4つ1をさらに4つにカット、皮側の真ん中に切り目を入れ、ブドウの輪切りを挟み込んで立体構造にした。周囲はブドウと干しブドウで飾り付けた。 

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1月24日のデザート

 皮の弧が弓のようなイメージである。今日の万葉の歌碑の紹介は、「まゆみ」である。

 

●万葉の小径シリーズ-その18 まゆみ マユミ

 

南淵(みなぶち)の 細川山(ほそかはやま)に 立つ檀(まゆみ)

 弓束纏(ゆづかま)くまで 人に知らえじ

                       (作者未詳 巻七 一三三〇)

 

南淵之 細川山 立檀 弓束纒及 人二不所知

 

南淵の細川山に立っている檀の木、その木を材に弓束を巻いて立派な弓に仕上げるまで、誰にもしられたくないよ。

 

 「マユミは落葉低木で、初夏に淡緑色の花を咲かせ、秋に赤い小さな実をたくさん付ける。カバノキ科の梓(あずさ)とともに、真弓や梓弓と呼ばれるように、弓の良質の材であった。

 南淵の細川山は、奈良県高市郡明日香村の石舞台北東の山であるが、この歌は細川山の木をそのまま詠んだものではない。表面的には、まだ弓として作り上げる以前の南淵の細川山に生える、素敵な檀の木を見つけ、この木を丁寧に扱って真弓として作り上げるまでは、他の人が見つけないで欲しいと願っているが、「弓に寄する」の題詞どおり、本当は自分が恋している娘子が、他の男の目に入らない間に成人し、自分の妻となって欲しいと願っている歌である。

 万葉の頃は「妻問婚」の時代で、男はそれほどしばしば会には行けない。夕べに女の許へ通い朝には帰る男にとって、親の存在や人目人事(ひとめひとごと:人の見る目と人の噂)は、恐ろしいものであった。通うのをためらっている間に恋人を他の人に取られ、こんなことなら早くに標(しるし:自分の所有の印)をつけておけばよかったと嘆く歌も多い。」

                        (万葉の小径 まゆみの歌碑)

 

 この歌の題詞は、「寄弓」(寄と弓の間には返り点があるが省略している)とある。巻七には、譬喩歌として、一二九六~一四一七がある。他には巻三の三九〇~四一四にあり、また巻十にもみられる。

 

 伊藤 博氏は、その著の中で「萬葉歌には、その特色ある表現形態として、景物に寄せて思いを述べる歌が非常に多い。(中略)主流となるものは、歌の前段において景物を提示し、後段でその景物に寄せて人事内容をうたう序の歌、すなわち序詞を持つ歌の様式である。」「こうした序詞は、萬葉集において、雑歌や挽歌には非常に少なく、相聞歌に集中している感がある。」「序詞に託しておのが心情を開陳する発想法は、相聞歌の常式、すなわち、恋する男女特有の様式であると言っても、いいすぎではないほどだ。それだけ、序詞の持つ美しさを知ることは、男女の心情の本質を会得する上に、大切だということになる。」と述べている。

 五七五七七の三一文字に込められた男女の心情、しかもそこに秘められたほとばしる情熱、間接的でありながら直接的を超越した心情の吐露、等々あらためて萬葉集の魅力に引き込まれていく。

 記録として残された歌が、万葉仮名と呼ばれる漢字の音で表記し収録され今に伝えられている萬葉集集大成の事業そして歴史の重みを感じざるをえない。

 

   

(参考文献)

★万葉の小径 まゆみの歌碑

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房