●今朝もサンドイッチを作った。中味はサニーレタスと焼豚。三角形に四等分した。サニーレタスの勢いが良いので、暴れるので、二個づつアルミホイルで囲った。信楽焼の長方皿に盛り付けた。伊予柑の皮をくり抜いた梅の花型を添えた。
デザートは、りんごの皮つきと中味をくり抜き、それぞれ2個づつ皿の周りに並べた伊予柑の内側に配した。中心はブドウの切り合わせを置いた。
今日の万葉の小径の歌碑の紹介は「つき」である。
●万葉の小径シリーズ-その19 つき ケヤキ
とく来ても 見てましものを 山背(やましろ)の
高の槻群(たかのつきむら) 散にけるかも
(高市黒人 巻三 二七七)
速来而母 見手益物乎 山背 高槻村 散去毛奚留鴨
もうすこし早く来て、見ればよかったのに、山背の高にある槻の林は、すっかり黄葉(もみぢば)して散ってしまったことよな
「槻(つき)は、ほぼケヤキと見る説が定着している。それは、牧野植物図鑑に「(ケヤキの)一変種にツキがある。ツキには俗字として槻を用いる。ツキはもともとケヤキの古名であろう」とあるのに、諸説従ってのことである。ケヤキは落葉高木で、他の木よりも抜きんでて高く、ひときわ目立つので、槻には神が宿ると思われていた。また、高木であるので、春の芽吹きや秋の黄葉の美しさも、古代の人の興味をひいていた。実際、ケヤキの新緑の萌木色(もえぎいろ)は鮮やかで、秋の黄褐色の葉も美しく、さらに冬枯れの景色の中で、高い細い枝が天を掃くかのように、すくっと立っている様子は、特に辺りが雪に包まれているときなど、白黒の美これに適うものはない。
暗い夜を照らす月が同じ営みを繰り返すことが人々の目をひいて、そこに永遠不滅を感じたように、いつも目立っている槻が、芽吹き、茂り、黄葉し、枯れることを繰り返す所に永遠性を見ていた。高市黒人は、旅愁をテーマとして、旅の歌ばかりを歌う人である。すでに散ってしまった槻の葉の美を歌うのも。黄葉の盛りを歌うよりは、旅の心にはふさわしいといえよう。」
(万葉の小径 つきの歌碑)
万葉集には、題詞に「高市連黒人羈旅歌八首」があり、二七〇~二七七が収録されている。以下に挙げてみる。
旅為而(たびにして) 物戀敷尓(ものこほしきに) 山下(やましたの)
赤乃曽保船(あけのそほぶね) 奥榜所見(おきをこぐみゆ) (二七〇)
櫻田部(さくらだへ) 鶴鳴渡(たづなきわたる) 年魚市方(あゆちがた)
塩干二家良之(しほひにけらし) 鶴鳴渡(たづなきわたる) (二七一)
四極山(しはつやま) 打越見者(うちこしみれば) 笠縫之(かさぬひの)
嶋榜隠(しまこぎかくる) 棚無小船(たななしこぶね) (二七二)
磯前(いそのさき) 榜手廻行者(こぎたみゆけば) 近江海(あふみのうみ)
八十之湊尓(やそのみなとに) 鵠佐波二鳴(たづさはになく) (二七三)
吾船者(わがふねは) 枚乃湖尓(ひらのみなとに) 榜将泊(こぎはてむ)
奥部莫避(おきへなさかり) 左夜深去來(さよふけにけり) (二七四)
何處(いづくにか) 吾将宿(われはやどらむ) 高嶋乃(たかしまの)
勝野原尓(かちののはらに) 此日暮去者(このひくれなば) (二七五)
妹母我母(いももあれも) 一有加母(ひとつなれかも) 三河有(みかはなる)
二見自道(ふたみのみちゆ) 別不勝鶴(わかれかねつる) (二七六)
(参考文献)
★万葉の小径 つきの歌碑
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)