●今日のサンドイッチはサニーレタス、サンチュそして焼き豚である。備前焼の丸皿に盛り付けた。
デザートはりんごの真ん中を梅の花の型抜きを使った。周りにりんごの縦切りを配し、初めてスィートスプリングという柑橘を使った。バナナの輪切りにブドウの切り合わせを飾りつけた。
今日の万葉の小径歌碑の説明はももである。
●春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ
(大伴家持 巻十九 四一三九)
春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立感嬬
多くの花が咲き乱れる春の庭園、中でも桃の花が紅色に一段と美しい。その桃の花で明るく思われる木の下道に、娘子(おとめ)が立っているよ。
「バラ科の落葉高木ウメ・サクラ・モモの中では、モモは中国では古く詩経の中にも見え、桃源郷として憧れを持たれ、桃李と言い習わされているのに、万葉集にわずか七首にしか歌われず、もっとも数少ない。それも、桃の花としては大伴家持が二首に唯一歌うのみで、他は毛桃というように桃の実が、あるいは桃花染め(つきぞめ)のように染の材として歌われるばかりである。
中国の絵でも思わせるこの歌は、天平勝宝二年三月一日に越中国庁(現、富山県高岡市伏木町勝興寺(しょうこうじ)付近)の夕暮れ時に、守(現在の知事にあたる)大伴家持が桃李を歌った二首の中の一首である。花が好きであった大伴は、特にこの年三月一日から三日の間に、桃、李、かたかご(今のカタクリ)の花、桜、椿など、やつぎばやに花の歌を歌い、ものに憑かれたように美に酔っている。
詩経の「桃夭(とうよう)」という詩は、嫁いで行く乙女を桃に見立てて、褒め称え、桃のように美しく、桃のように葉の繁る、桃のよう実がたくさんできる乙女が嫁いだ先は、将来栄えるに違いないと寿いだものだ。家持の幻想的に歌う娘子も、美しい上に何か呪術的なものを宿しているようである。」(万葉の小径歌碑 もも)
この歌はの題詞は、「天平勝寳二年三月一日之暮眺曯春苑桃李花作二首」である。
もう一首は次の通りである。
🔹吾園之(わかそのの) 李花可(すもものはなか) 庭尓落(にわにちる) 波太礼能未(はだれのいまだ) 遣在可母(のこりたるかも)
(同 四一四〇)
私の庭のすももの花かあるいは、庭に降った斑雪が未だに残っているのだろうか。
家持は精力的に歌を詠んでいる。
🔹春儲而(はるまけて)物悲尓(ものかなしきに)三更而(さよふけて) 羽振鳴志藝(はぶきなくしぎ) 誰田尓加須牟(たがたにかすむ)
春を待ちかなて物悲しい気持ちでいると夜更けに羽を震わせ鴫が鳴いている、誰の田んぼにいるのだろうか
翌二日、柳を詠んでいる。
🔹春日尓(はるのひに) 張流柳乎(はれるやなぎを) 取持而(とりもちて) 見者京之(みればみやこの) 大路所念(おほちしおもほゆ)
この歌の題詞は、「二日攀柳黛思京師歌一首」とある。
柳の黛とは、萌え出たばかりの柳の葉をいう。
さらにカタクリ花も詠んでいるのである。
🔹物部乃(もののふの) 八十※嬬等之(やそをとめらが) 挹乱(くみまがふ) 寺井之於乃(てらゐのうえの) 堅香子之花(かたかごのはな)
※の字は「女+感」である。※嬬で、をとめと読む
堅香子(かたかご)は、カタクリのことである。
国庁に近い国分寺の井戸だろう。
三日には、家持の館で三首を歌っているので、三日間で十五首(四一三九〜四一五三)である。
参考文献
★万葉の小径歌碑 もも
★「萬葉集」 鶴 久 ・ 森山 隆 編 (桜楓社)