●今朝は雨、サンドイッチを作った。八つ切りにして、網代模様のように並べた。窓の向こうの庭が雨に濡れていつもと違う趣である。
デザートは、久しぶりにイチゴを使った。スライスして花弁のイメージで並べる。レッドグローブの輪切りをカットしたものも使う。細かい作業である。
昨日のブログでは、万葉集の時代区分について大まかに書いてみたが、少し掘り下げた形で各期ごとにテーマを見つけ書いていきたい。
●万葉集第1期(その1)
第1期は、舒明天皇以降、壬申の乱(672年)まで、第2期は、壬申の乱の後、飛鳥浄御原宮を経て藤原宮に移り、平城京遷都の710年までをいう。平城(なら)の都の時代は、784年に長岡京に遷都されるまで続くが、万葉集では天平五年(733年)までを第3期、それ以降淳仁(じゅんにん)天皇の天平宝宇三年(759年)までを第4期という。<ブログ「ザ・モーニングセット&フルーツデザート190218(万葉時代区分)」の略表参照
●万葉集各期の主な作者
第1期
第2期
天武天皇、持統天皇、大伯皇女、大津皇子、柿本人麻呂、高市黒人、志貴皇子など
第3期
大伴旅人、山上憶良、山部赤人、笠 金村、高橋虫麻呂、大伴坂上郎女など
第4期
中臣宅守、狭野茅上娘子、大伴家持、笠 女郎、田辺福麻呂、防人など
万葉集には舒明期以前の作品として、磐姫皇后、雄略天皇、聖徳太子など、伝承上に著名な天皇や皇族の歌が収録されているが、いずれも後の時代に仮託されたのではないかといわれている。
●仮託されたのではないかといわれる理由-磐姫皇后の歌を例にとってみてみる。
万葉集巻第二の冒頭の歌が、磐姫皇后の歌である。磐姫(いわのひめ)は仁徳天皇の皇后である。
歌の題詞は、「磐姫皇后思天皇御作歌四首」
◆君之行(きみがゆき) 氣長成奴(けながくなりぬ) 山多都祢(やまたづね)
迎加将ㇾ行(むかへかゆかむ) 待尓可将ㇾ待(まちにかまたむ)
(磐姫皇后 巻二 八五)
◆如此許(かくばかり) 戀乍不ㇾ有者(こひつつあらずば) 高山之(たかやまの)
磐祢四巻手(いはねしまきて) 死奈麻死物呼(しなましものを)
(磐姫皇后 巻二 八六)
◆在管裳(ありつつも) 君乎者将ㇾ待(きみをばまたむ) 打靡(うちなびく)
吾黒髪尓(あがくろかみに) 霜乃置萬代日(しものおくまでに)
(磐姫皇后 巻二 八七)
◆秋田之(あきのたの) 穂上尓霧相(ほのへにきらふ) 朝霞(あさかすみ)
何時邊乃方二(いつへのかたに) 我戀将ㇾ息(あがこひやまむ)
(磐姫皇后 巻二 八八)
この四首については、漢詩の起承転結にもなぞられるような連作的構成をもっており、明らかに「記載レベル」の作品であるといわれている。
古事記の歌謡や古歌集に類似の歌があり、それらをもとに連作されたのではないかとも言われている。
最初の「君之行」の歌の左注には、「右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉」とある。山上憶良の類聚歌林に一首のみ収録されていることは、万葉集の編纂のころにはまだ、四首連作とはなっていなかったのでないかとされている。
上記の四首に続いて、万葉集の八九番目の歌も理由の一つと考えられる。
この歌の題詞は「或本歌曰」であり、歌は、
「居明而(いあかして) 君乎者将ㇾ待(きみをばまたむ) 奴婆珠能(むばたまの)
吾黒髪尓(あがくろかみに) 霜者零騰分(しもはふるとも)」
そして、左注は「右一首古歌集中出」とある。
このことから、万葉集第一巻の巻頭の雄略天皇の歌にも同様のことが想像され、第一巻、第二巻が収録されている過程にあっては、これらは含まれていなかった可能性も否定できないとも言われている。
ちなみに、聖徳太子の歌をあげてみる。
◆家有者(いへにあらば) 妹之手将纏(いもがてまかむ) 草枕(くさまくら)
客尓臥有(たびにこやせる) 此旅人何怜(このたびとあはれ)
(聖徳太子 巻三 四一五)
題詞には、「上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首」である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久 ・ 森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)