万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット&フルーツデザート190221(万葉集時代区分・第2期<その1>)

●どんよりと曇った朝である。サンドイッチはいつものように作った。窓の外の鉢植えのクリスマスローズが一重のものと、八重のものが花を咲かせている。庭の地植えしたローズ色の花も下向きにしっかりと花をつけている。アカバナマンサクも咲き出した。

 前のお宅の枝垂れ梅が毎年この時期にピンク色の花を咲かせる。見事な一本立ちの梅である。いろいろな木々につぼみが膨らんでいる。春を今か今かと待ちわびているようである。

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2月21日のモーニングセット

 デザートは、りんごと八朔の縦切りを交互に並べデザイン化した。4隅にはイチゴを丸ごと飾った。2色のブドウも配したが、赤と黄を基本ベースにした。

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2月21日のデザート

 万葉集第2期について書いているが、参考図書とにらめっこ。なかなか理解するのが難しいところがあるが、今は「学ぶ」姿勢でと、門前の小僧ではないが、今の理解度での書きぶりとなっている、

 

万葉集第2期

(1)万葉集第2期の概略

672年の壬申の乱の後、大海人皇子(おおあまのみこ)は、都を大津から飛鳥(飛鳥浄御原宮)に移され、即位し天武天皇(在位672~686年)となる。飛鳥浄御原京は、天武天皇十四年間在位の後、皇后の持統天皇(在位686年~697年)が立たれ694年藤原京遷都まで続く。藤原京は、持統天皇文武天皇(在位697~707年)、元明天皇(在位707~715年)の3代にわたり、710年の平城京遷都まで続いた。この672年から710年が第2期とされている、

 

(2)第2期の主な歌人

 主な歌人としては、天武天皇持統天皇、大伯皇女(おおくのひめみこ)、大津皇子柿本人麻呂高市黒人志貴皇子などがあげられる。第1期に比べて皇族以外の歌人たちが増えてきているのも大きな特徴といえよう。

 第2期は、律令国家完成期、中央集権制完成期、天皇の絶対権確立期といわれている。この時代であるから、柿本人麻呂天皇絶対礼賛の歌を詠むのである。また、柿本人麻呂の時代といってもよいほどである。

 

(3)柿本人麻呂と枕詞

 枕詞とは、世界大百科事典第2版によると、「おもに和歌に用いられる古代的な修辞の一つ。和歌においては5音1句に相当する句(4音や6音もある)をなし、独自の文脈によって一つの単語や熟語にかかり、その語を修飾しこれに生気を送り込む。一首全体に対しても、気分的・象徴的に、または声調上・構成上に、微妙な表現効果をもたらす。枕詞の起源は古代の口誦詞章の決まり文句で、そのうち最も重要なのは神名や地名にかぶせる呪術的なほめことばである、記紀歌謡において枕詞を受ける単語や熟語の半数以上が固有名詞であるのは、その辺の消息を示すものにはかならない。」

 枕詞は、口誦時代の決まり文句的なものであったが。柿本人麻呂は、口誦レベルのものから文字による記録を前提とした客観的な歌の表現とすることに努めたとお言われている。

 それでは、具体的に記紀歌謡における神名ならびに地名に掛る枕詞を挙げてみる。  

  ①神名にかかる枕詞

   「高光る」➡日の御子

   「やすみしし」➡大君 など

  ②地名にかかる枕詞

   「八雲立つ」➡出雲

   「神風の(かむかぜの)」➡伊勢

   「青土よし」➡奈良、など

 

 次いで、人麻呂の歌の枕詞を複数使っている例を見てみる

潮気立つ 荒磯にはあれど 行く水の 過ぎにし妹が 形見とそ來し 

                           (巻九 一七九七) 

 意味は、「潮の香りがする荒磯ではあるが、流れてしまう水のようにこの世を去ってしまった愛しい人の思い出の場所にやって来た」であるが、この「潮気立つ」が「荒磯」に、「行く水の」が「過ぎ」にかかる枕詞である。潮気立つが、そいて行く水が、古い時代から呪的な感覚で枕詞として使われていたのではなく、人麻呂による新しい抒情的な表現として用いられたものである。

 

ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉(もみちば)の 過ぎにし君が 形見とそ來し

                           (巻一 四七)

 意味は、「(この阿騎の野は)ま草(屋根などを葺くのに使う草の意味)が生い茂る荒野ではあるが、ちょうど黄葉が散るようになくなってしまった(草壁)皇子の思い出の場所にやって来た」、である。二つの歌を見れば、形見にやって来る歌のテンプレートにも思えるが、それはさておき、この歌にあっても、「ま草刈る」が「荒野」に、「黄葉の」が「過ぎ」にかかる枕詞である。

 

 「黄葉の君」というのは亡くなられた尊い方をいう比喩的表現と記されているものもあるが、「過ぎ」の文言がある以上、「過ぎ」にかかる枕詞として考えたほうが良いように思う。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「世界大百科事典第2版」他、ネット検索

 

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アカバナマンサクの花