万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット&フルーツデザート190224(万葉集時代区分・第3期<その1>)

●コツコツ毎朝サンドイッチとフルーツフルデザートを作っている。自分でもよく飽きないものだとほめてやっている。

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2月24日のモーニングセット

 デザートは、りんごの縦切りを組み合わせオブジェ風に。ブドウ使いはいつもの通り。ふるさと納税の返礼品の簀巻きに簀をデザート皿の下に敷いた。ちょっとした工夫で雰囲気が違ってくる。

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2月24日のデザート

 

 万葉集時代区分第3期を自分なりに見ていく。日本の歴史、その時間軸上の歌人たちの物事の観方、考え方などにも少しでも触れればとの思いである。

 

万葉集時代区分・第3期(その1)

 

(1)第3期の特徴

  第3期は、律令制社会が確立した時代であり、一般に万葉集個性開花の時代とい

 われる。社会全体にゆとりが生まれた結果でもあろう。しかし、ある意味では、これ

 までの時代は、「しばり」がなかった時代、自然発生的な秩序が存在する社会にあっ

 ては、四季折々の感動、恋愛等々個人のこころの中に生まれた感情発露が歌となっ

 て表現されていたともいえる。それに対して律令等合理的な秩序が前提とされる社会

 にあっては、何らかの制約が個々人に忍び寄ることは否めない。

  そんな中にあっても社会のゆとりは各分野それぞれで個性を発揮する場を提供して

 いくことになったと考えられる。

 

(2)第3期の代表的な歌人

  ①山部赤人、笠金村、車持千年らは宮廷歌人として個性を発揮

  ②大伴旅人山上憶良は、筑紫の国で、個性を発揮、現代のサラリーマン社会にも

   通じるような歌も歌うのである。

  ③高橋虫麻呂は、伝説叙事の世界を取り上げ個性を発揮

 

(3)山部赤人の歌

  宮廷歌人である山部赤人天皇の吉野行幸に際して詠った歌をみてみよう。

  

  (題詞)山部宿祢赤人作歌二首幷短歌

◆八隅知之(やすみしし) 和期大王乃(わがおおきみの) 高知為(たかしらす) 芳野宮者(よしののみやは) 立名附(たたなづく) 青垣隠(あをかきごもり) 河次乃(かはなみの) 清河内曽(きよかふちぞ) 春部者(はるへは) 花咲乎遠里(はなさきををり) 秋去者(あきされば) 霧立渡(きりたちわたる) 其山之(そのやまの) 弥益ゝ尓(いやますますに) 此河之(このかはの) 絶事無(たゆることなく) 百石木者(ももしきの) 大宮人者(おおみやびとは) 常将通(つねにかよはむ)

                        (山部赤人 巻六 九二三)

   反歌二首

◆三吉野乃(みよしのの) 象山際乃(きさやまのはの) 木末尓波(こぬれには) 幾許毛散和口(ここだもさわく) 鳥之聲可聞(とりのこえかも)

                        (山部赤人 巻六 九二四)

◆烏玉之(ぬばたまの) 夜乃深去者(よるのふけゆけば) 久木生留(ひさぎおふる) 清河原尓(きよきかはらに) 知鳥數鳴(ちどりしばなく)

                         (山部赤人 巻六 九二五)

 

  長歌の意味は、「わが大王(おおきみ)がお建てになった吉野宮は幾重にも青垣が重なる山の中の川に沿ったご領地で清いところで、春には花が咲き誇り、秋には霧が立ち上る、あちらの山、こちらの河が絶えることなくいついつまでも大宮人はいつもこの宮に通ってくるだろう」であり、

  短歌二首の凡その意味は、前者は「み吉野の象山の山間の木々の梢では、じつにたくさん鳴き騒いでいる鳥の声であることよ」であり後者は、「夜が更けていくと、楸の生えている清らかな川原で千鳥がしきりに鳴いていることよ」である。

 長歌は、山と川、春と秋、花と霧の対比構成をもち、短歌も朝と夜を対比させてある。

 柿本人麻呂の宮廷人としての歌と比較しても、赤人の場合は、自然描写、自然讃歌のウエイトが高くなっているように思える。宮をほめたたえているが、それを取り囲む大自然を歌い上げ、間接的に宮廷歌人としての役割を果たしているように思えるのである。

  社会全体としてある意味「しばり」が強くなるが、個々人の自我という面では時代とともに解き放たれてきている風にも思える、同じ宮廷歌人として見た場合でも、それぞれの考え方や仕事への取り組み姿勢は異なるので一概には言えないが、今に通じる面が強いのは興味深い点である。