万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その14改)―奈良市西ノ京町 がんこ一徹長屋―万葉集 巻四 六〇八

●歌は、「相思はぬ人を思うは大寺の餓鬼の後ろに額づくがごと」である。

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がんこ一徹長屋 万葉歌碑(笠女郎)

●歌碑は、奈良市西ノ京町 がんこ一徹長屋にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後尓 額衝如

                 (笠女郎 巻四 六〇八)

 

≪書き下し≫相(あひ)思(おも)はぬ人を思ふは大寺(おほてら)の餓鬼(がき)の後方(しりへ)に額(ぬか)づくごとし

 

(訳)私を思ってもくれない人を思うのは、大寺の餓鬼像のうしろから地に額(ぬか)ずいて拝むようなものです。(同上)

(注)餓鬼像:餓鬼道に堕ちた亡者の像。

(注)餓鬼の後方に額づくごとし:餓鬼像を背後から拝んでも効果がない。自嘲の戯れの中に絶望を見せる。

  

 絶望感から、大伴家持に対する思いを断つ決断にいたるクライマックスのような心情が、「餓鬼」という言葉を使っているだけに凄みを感じる。情熱的であったが故の女郎の心情の吐出しにすごさを感じてしまうほどである。

 

  笠女郎については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その2改)」でも紹介したが、大伴家持に対して二十九首もの歌を贈っている。そのうちの五八七から六一〇歌の題詞は、「笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首」<笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌廿四首>と大半を占めている。

 

 このうち、六〇九、六一〇歌には左注があり、「右二首相別後更來贈」<右の二首は、相別れて後に、さらに来贈(おく)る>とある

 

 この二首をみてみよう。

 

◆従情毛 我者不念寸 又更 吾故郷尓 将還来者

                 (笠女郎 巻四 六〇九)

 

<書き下し>心ゆも我(あ)は思はずきまたさらに我(わ)が故郷(ふるさと)に帰り来(こ)むとは

 

(訳)ついぞ思ってもみませんでした。またもや、私が昔住んだ里に帰ってこようなどとは。(同上)

(注)心ゆも:心の片端にさえも。打消しや反語を伴って用いる。

(注の注)ゆ 格助詞《接続》体言、活用語の連体形に付く。:①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段〕…で。…によって。④〔比較の基準〕…より。 ⇒参考 上代の歌語。類義語に「ゆり」「よ」「より」があったが、中古に入ると「より」に統一された。(学研)

 

 

◆近有者 雖不見在乎 弥遠 君之伊座者 有不勝自

                 (笠女郎 巻四 六一〇)

 

≪書き下し≫近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかつましじ

 

(訳)近くにおれば逢えなくてもまだ堪えられますが、いよいよ遠くあなたと離れてしまうことになったら、とても生きてはいられないでしょう。(同上)

(注)かつましじ 分類連語:…えないだろう。…できそうにない。 ※上代語。 ⇒

なりたち 可能の補助動詞「かつ」の終止形+打消推量の助動詞「ましじ」(学研)

 

 絶望感から思いを断つ決断にいたるクライマックスのような心情が情熱的であったが故の女郎の心情の吐出しにすごさを感じてしまうほどである。

 

  別れた後、故郷に帰ってもまだ未練が残っている心情が読み取れる。歌碑のように「餓鬼」という言葉を用いるほどの激しい気持ちをぶつけただけに、この二首には哀れさえ感じてしまう。劇場型の二十四首である。

 

 これに対して家持はお義理のような歌を返しているのである。

  題詞は、「大伴宿祢家持和歌二首」<大伴宿禰家持が和(こた)ふる歌二首>である。こちらもみてみよう。

 

◆今更 妹尓将相八跡 念可聞 幾許吾胸 欝悒将有

                  (大伴家持 巻四 六一一)

 

≪書き下し≫今さらに妹に逢はめやと思へかもここだ我(あ)が胸いぶせくあるらむ

 

(訳)あなたが遠くに行かれた今となっては、もう逢える機会はないと思うせいか、こんなにもひどく、私の胸のうちはうっとうしくて仕方がないのでしょうか。(同上)

(注)いぶせし 形容詞:①気が晴れない。うっとうしい。②気がかりである。③不快だ。気づまりだ。 ⇒参考 「いぶせし」と「いぶかし」の違い 「いぶせし」は、どうしようもなくて気が晴れない。「いぶかし」はようすがわからないので明らかにしたいという気持ちが強い。(学研)

 

 

◆中ゝ者 黙毛有益乎 何為跡香 相見始兼 不遂尓

                  (笠女郎 巻四 六一二)

 

≪書き下し≫なかなかに黙(もだ)もあらましを何なに)すとか相見そめけむ遂(と)げざらまくに 

 

(訳)なまじ言葉などかけず黙りこくっていればよかった。何だって逢いそめたりしたのだろう。どのみち遂げられない思いであったのに。(同上)

 (注)なかなかに 副詞:①なまじ。なまじっか。中途半端に。②いっそのこと。かえって。むしろ。(学研)

 (注)もだ【黙】名詞:黙っていること。何もしないでじっとしていること。▽「もだあり」「もだをり」の形で用いる。(学研)

 

 実際に家持がこの二首を贈ったのだろうか。二十四首もの笠女郎の歌を収録していた基準を考えると、歌のうまさと家持への思いの深さを披歴したい気持ちもあったのだろうか。   編者の立場と家持自身の立場の二面性を配慮して、体裁上お義理の歌をのせたのかもしれない。先にこの二十四首は恋のライフサイクルと書いたが、絶頂期も返しの歌がないということはあり得ないのではと考えてしまう。ある意味、それは公表せず、終わりの二首への返歌で終わらしてしまっているのかもしれない。これも歌物語的な存在としての万葉集たるゆえんか。

 

 しかし、二四首の笠女郎の歌には恋のドラマを感じてしまう。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり」(奈良市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

 

 

※20210708朝食関連記事削除、一部改訂