歌は、「あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」である。
●歌碑は、平城京羅城門跡公園にある。
●歌をみてみよう。
◆青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
(小野老 巻三 三二八)
≪書き下し≫あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり
(訳)あおによし奈良、この奈良の都は、咲き誇る花の色香が匂い映えるように、今こそ真っ盛りだ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)今:最近都の空気に触れて来たのでこの表現があるらしい。(伊藤脚注)
奈良県のHPの「奈良県景観資産―朱雀大路を体感できる羅城門橋付近」によると、「この付近には奈良時代の羅城門があり、この場所から遠方に小さく見える平城京の朱雀門<復元>まで平城京の朱雀大路が通っていました。」とある。全長4kmのメインストリートであったと言われている。
この公園には、小倉百人一首の伊勢大輔の歌碑「いにしえの奈良の都の八重櫻けふ九重ににほひぬるかな」や、同じく小倉百人一首の阿部仲麻呂の歌碑「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」などがある。
題詞は、「大宰少貮小野老朝臣(おののをゆあそみ)歌一首」とある。少弐は大弐とともに大宰府の次官。奈良の都をほめたたえた歌としてこれ以上の歌はないといわれる。小野老の都に対する憧憬の深さが出ている。単なる描写でないところがこの歌を引き立たせているのである。
「万葉の小径シリーズ(その21)さくら」の稿でも紹介したが、大伴旅人宅に集まって宴を催し、梅を愛でて歌を詠った宴会には、多種多様の人が集まっており、小野老の名前も②で挙がっている。
① 大貮紀卿(きのまへつきみ)(八一五)
② 小貳小野大夫(八一六)=小野老朝臣(おののおゆあそみの)
③ 小貳粟田大夫(あはたのまへつきみ)(八一七)
④ 筑前守山上大夫(やまのうえのまへつきみ)(八一八)=山上憶良
⑤ 築後守大伴大夫(八一九)
⑥ 築後守葛井大夫(八二〇)
⑦ 笠沙弥(かさのさみ)(八二一)
⑧ 主人(八二二)=大伴旅人
⑨ 大監伴氏百代(八二三)=大伴宿祢百代(おほとものすくねももよ)
⑩ 小監阿氏奥嶋(あじのおきしま)(八二四)
⑪ 小監土氏百村(とじのももむら)(八二五)
⑫ 大典史氏大原(しじのおほはら)(八二六)
⑬ 小典山氏若麻呂((さんじのわかまろ)八二七)
⑭ 大判事丹氏麻呂(たんじのまろ)(八二八)
⑮ 薬師張氏福子(八二九)
⑯ 筑前介佐氏子首(さじのこびと)(八三〇)
⑰ 壹岐守板氏安麻呂(八三一)
⑱ 神司荒氏稲布(こうじのいなしき)(八三二)
⑲ 大令史野氏宿奈麻呂(八三三)
⑳ 小令史田氏肥人(でんじのうまひと)(八三四)
㉑ 薬師高氏義通((かうじのよしみち)八三五)
㉒ 陰陽師磯氏法麻呂(八三六)
㉓ 笇師志氏大道(しじのおほみち)(八三七)
㉔ 大隅目榎氏鉢麻呂(八三八)
㉕ 筑前目田氏真上((でんじのまかみ)八三九)
㉖ 壹岐目村氏彼方(そんじのをちかた)(八四〇)
㉗ 對馬目高氏老(かうじのおゆ)(八四一)
㉘ 薩摩目高氏海人(かうじのあま)(八四二)
㉙ 土師氏御道(はにしうじのみみち)(八四三)
㉚ 小野氏國堅(をのにしくにかた)(八四四)
㉛ 筑前拯門氏石足(もんじのいそたり)(八四五)
㉜ 小野氏淡理((をののうじたもり)八四六)
参考までに、職位の読み方を記す。
大弐(だいに)、少弐(しょうに)、大監(だいげん・だいじょう)、少監(しょうげん)、大典(だいてん・おおさかん)、少典(しょうてん)
(参考文献)
★「萬葉集」鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「奈良県景観資産―朱雀大路を体感できる羅城門橋付近」(奈良県のHP)
★「万葉ゆかりの地をたずねて~万葉歌碑めぐり~」(奈良市HP)
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