万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その26改)―奈良市横井1丁目 穴栗神社―巻十七 三九五二

●歌は、「妹が家に伊久里の杜の藤の花今來む春も常かくし見む」である。

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穴栗神社万葉歌碑(高安王)

 

●歌碑は、奈良市横井1丁目677番地にある穴栗神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春母 都祢加久之見牟

               (大原高安真人 巻十七 三九五二)

 

≪書き下し≫妹(いも)が家に伊久里(いくり)の杜(もり)の藤(ふぢ)の花今來(こ)む春も常(つね)かくし見む

 

(訳)いとしい子の家にいくという、ここ伊久里の森の藤の花、この美しい花を、まためぐり来る春にもいつもこのように賞でよう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)大原高安真人(おほはらたかやすのまひと)=高安王(たかやすのおほきみ)

 

 三九四三の歌の題詞が、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」とあり、三九五五までの歌が収録されている。

 

 この歌の題詞は、「古歌一首大原高安真人作年月不審 但随聞時記載玆焉」とあり、左注は「右一首傳僧玄勝誦是也」とある。この宴で、僧玄勝が高安王の古歌を披歴したと考えられる。

 作者の高安王は、天武天皇の皇子長親王の孫にあたる。

 

 穴栗神社(伊久里の杜)のご祭神は、穴栗四社大明神とあり、伊栗社<いぐりしゃ>(太玉命<ふとだまのみこと>)、穴栗社<あなぐりしゃ>(高御産霊尊<たかみむすびのみこと>)、青榊社<あおさかきしゃ>(青和幣<あおにぎて>)、辛榊社<からさかきしゃ>(白和幣<しらにぎて>)である。

 

 こじんまりしているが、なかなか趣深い神社である。

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本殿

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境内の万葉歌碑と屋根付き鳥居

 両部鳥居:本柱の前後に控え柱を立て、貫(ぬき)で本柱とつないだ鳥居。神仏混淆の神社に多く見られる。宮島の厳島神社が代表例。

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本殿の屋根のラインが素晴らしい

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鳥居と参道

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穴栗四社大明神の石碑

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり」(奈良市HP)

★「穴栗神社(伊久里の杜)」(境内の説明案内板)

★「weblio辞書」

 

※20210518朝食関連記事削除、一部改訂