万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その34改)―春日野町氷室神社境内―万葉集 巻十九 四二九二

●歌は、「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」である。

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春日野町氷室神社境内万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、春日野町氷室神社境内にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆宇良ゝゝ尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比登里志於母倍婆

                 (大伴家持 巻十九 四二九二)

 

≪書き下し≫うらうらに照れる春日(はるひ)にひばり上(あ)がり心悲(かな)しもひとりし思へば

 

(訳)ぼんやりと照っている春の光の中に、ひばりがつーん、つーんと舞い上がって、やたらと心が沈む。ひとり物思いに耽(ふけ)っていると。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うらうらに:やわらかくほんのりしてかすんでいる様子。左注の「遅ゝ(ちち)」に同じ。

 

 序詞は、「廿五日作歌一首」<二十五日に作る歌一首>である。

左注は、「春日遅ゝ鶬鶊正啼 悽惆之意非歌難撥耳 仍作此歌式展締緒 但此巻中不偁作者名字徒録年月所處縁起者 皆大伴宿祢家持裁作歌詞也」<春日遅ゝ(ちち)にして鶬鶊(さうかう)正(ただに)啼(な)く 悽惆(せいちう)の意、歌にあらずしては撥(はら)ひかたきのみ。よりて、この歌を作り、もちて締緒(しめを)を展(の)ぶ。 但し、この巻の中に作者の名字を偁(い)はずして、ただ、年月所處(しょしょ)縁起のみを録(しる)せるは、皆大伴宿祢家持が裁作(つくる)歌詞なり。>である。

 

(訳)春の日はうららかに、うぐいすは今まさに鳴いている。悲しみの心は、歌でないと払いのけられない。そこでこの歌をつくって、鬱屈したこころを散じるのである。ただし、この巻の中で、作者の名字を示さず、ただ年月と事情だけを記してあるのは、みな大伴宿祢家持の作った歌である。(神野志隆光氏訳)

 (注)春日遅ゝにして:暮近い日光の遅く進むさま。

(注)鶬鶊(さうかう):鴬の類

(注)悽惆(せいちう):痛み悲しむ心

(注)この歌:四二九〇~四二九二 春愁を詠う三首。春愁三首と呼ばれる。

(注)締緒(しめを):固定するためのひも。笠についている紐など

   

 この歌は。家持が越中守から都に帰任した翌々春の二月二五日につくった歌である。

 天平勝宝三年(751年)八月、家持は少納言となり、希望に胸をふくらませて越中から都に戻って来たのだが、都は不安な様相を帯びていた。藤原仲麻呂の台頭の頃である。家持が身を寄せるべき橘諸兄は、仲麻呂の巧みな謀略により、影が薄くなっていた。

 このような憂うべき現状が「春愁三首」の背景にあると思われる。

 中西 進氏は「万葉の心」(毎日新聞社)のなかで、「彼には何が悲しかったのか。それは可視的な物では、一切ない。自分がいまここにいること、人間であることのもろもろをせおいこんだ、存在そのものの空無の思いに、いま家持はふれたのであろう。勝宝五年(七五三年)、三七、八歳であった。」と述べられている。

 

 

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氷室神社

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氷室神社境内の桜と三笠山


 

 

 氷室神社から近鉄奈良駅に向かう途中のホテルの前に、二月堂のお水取りに使われた松明が展示されていた。

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お水取りに使われた松明

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 

            神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉の心」 中西 進 (毎日新聞社

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「万葉ゆかりの地を訪ねて~歌碑めぐり~」(奈良市HP)

★「Weblio古語辞書」