万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その39改,40改,41改)―奈良市中院町元興寺極楽坊境内、元興寺塔跡、奈良市西新屋町奈良町資料館内―万葉集 巻六 一〇一八、巻六 九九二

―その39―

●歌は、「白玉は人に知らえず知らずともよし知らずとも吾れし知れらば知らずともよし」である。 

f:id:tom101010:20190412222421j:plain

元興寺極楽坊境内万葉歌碑(元興寺之僧)

●歌碑は、奈良市中院町元興寺極楽坊境内にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆白珠者 人尓不所知 不知友縦 雖不知 吾之知有者 不知友任意

       (元興寺之僧 巻六 一〇一八)

 

≪書き下し≫白玉(しらたま)は人に知らえず知らずともよし 知らずとも我(わ)れし知れらば知らずともよし

              

(訳)白玉はその真価を人に知られない。しかし、知らなくてもよい。人知らずとも、自分さえ価値を知っていたら、知らなくてもよい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しらたま【白珠】:白色の美しい玉。また、真珠。愛人や愛児をたとえていうこともある(学研)

 

 題詞は、「十年戌寅元興寺之僧自嘆歌一首」<十年戌寅(つちのえとら)元興寺(ぐわんごうじ)の僧(ほふし)が自(みづか)ら嘆く歌一首>である。

 左注は、「右一首或云 元興寺之僧獨覺多智 未有顕聞 衆諸猥侮因此僧作此歌自嘆身才也」<右の一首は、或は「元興寺の僧、独覚(どくかく)にして多智(たち)なり。いまだ顕聞(けんぶん)あらねば、衆諸(もろひと)狎侮(あなづ)る。これによりて、僧この歌を作り、自(みづか)ら身の才(ざえ)を嘆く」といふ。>である。

 

 この歌は、五七七、五七七の形で旋頭歌である。古くは、問いと答えと相対し、あるいは類句を繰り返して、詠われたが、天平時代にはこの形式はすたれていった。「白珠」「知る」は、ここでは、知的に「知る」(悟る)という意味。「不知友縦(しらずともよし)」「不知友任意(しらずともよし)」と、人の評価を認めたくはないが、それはそれとして受け容れながらも、それでいて、自問自答的に自分自身の思いに納得し、これで良いんだと、嘆きつつも主張を訴えて詠ったのであろう。

 

 元興寺(がんごうじ)東門の横の受付には五人ほど並んでいた。御朱印ブームである。入場料等を支払い、番号札を受け取り、参拝している間に御朱印を作ってもらうようである。

 こちらは、入場料500円を支払う。万葉歌碑の場所を訪ねる。案内図で教えてもらう。「昨日、白いペンキで見やすいようにしておきました。」と言いながらパンフレットを手渡してくれた。

f:id:tom101010:20190412222131j:plain

元興寺

 元興寺蘇我馬子が建立したといわれる日本最古の寺院、飛鳥寺 (法興寺)がその前身である。

 仏教が、中国・朝鮮半島を経てわが国に伝えられたのは、欽明天皇十三年(日本書紀による壬申の年-552年、一説には『元興寺縁記』による戊午の年宣化天皇三年-538年)といわれている。仏教をめぐって、当時の進歩派であった蘇我稲目が崇仏を主張し、一方、保守派であった物部尾輿は排仏を固執し、両者の対立が激化。

 用明天皇二年(587年)になって、蘇我馬子はその甥の子であるとともに娘の婿にもあたる厩戸王(後の聖徳太子)とともに軍を起こし、排仏派の頭領であった物部守屋を打ち破り、ようやくのことで日本の仏教受容の道を開いた。

 その翌年、馬子は、飛鳥の地にはじめて正式の仏寺建立に着手 (588年)。この寺がこの元興寺の前身である法興寺で地名によって飛鳥寺とも言われる寺である。
 百済の国王はこの日本最初の仏寺建立を積極的に支援した。この時作られた日本最初の瓦は、その後この寺が奈良の現在地に移った際も運び移されて、現在の本堂・禅室の屋根に今も数千枚が使用されている。特に重なりあった丸瓦の葺き方は行基葺きともいわれている。

f:id:tom101010:20190412224348j:plain

元興寺極楽坊

 

―その40―

●歌は、「故郷の明日香はあれどあをによし奈良の明日香を見らくしよしも」である。

 

f:id:tom101010:20190413002053j:plain

奈良市芝新屋町元興寺塔跡万葉歌碑(大伴坂上郎女

●歌碑は、奈良市芝新屋町元興寺塔跡にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大伴坂上郎女元興寺之里歌一首」<大伴坂上郎女元興寺(ぐわんごうじ)の里を詠む歌一首>である。

(注)元興寺:奈良遷都後、明日香の法興寺を奈良に建て替えたもの。飛鳥寺とも呼んだ。(伊藤脚注)

 

◆古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見楽思好裳
      (大伴郎女 巻六 九九二)

 

≪書き下し≫故郷(ふるさと)の明日香(あすか)はあれどあをによし奈良の明日香を見らくしよしも

(訳)古京の明日香は明日香としてよい所ではあるが、新京奈良の明日香、この里を見るのはさらにいっそうすばらしい。(同上)

 

f:id:tom101010:20190413002326j:plain

元興寺塔址碑と山門

f:id:tom101010:20190413002500j:plain

塔址と桜

 

―その41―

●歌は、「白玉は人に知らえず知らずともよし知らずとも吾れし知れらば知らずともよし」である。

 

f:id:tom101010:20190413003044j:plain

奈良町資料館内万葉歌碑(元興寺之僧)

●歌碑は、奈良市西新屋町奈良町資料館内にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆白珠者 人尓不所知 不知友縦 雖不知 吾之知有者 不知友任意

       (元興寺之僧 巻六 一〇一八)

 ※ 元興寺極楽坊境内の碑と同じである。

 

f:id:tom101010:20190413003212j:plain

奈良町資料館

 歌碑は、写真の自転車の右側手にちょこんと置かれていた。

 奈良町をあとにし、猿沢の池、興福寺奈良公園を通り、次の目的地、東大寺大仏殿ならびに手向山八幡宮へ向かった。

 

天理市万葉歌碑巡り■

 今日は、昼前から出かけ、ブログのテーマである万葉歌碑を巡る予定にしている。

 都祁水分神社天理市役所、石上神宮石上神宮外苑、近鉄天理駅前、前栽町公民館前、山辺御縣神社、和爾下神社の8か所と欲張る予定を立てた。

 しかし、すべてが頼みのカーナビでヒットするとは限らない。また、例えば、神社に行き着いたとしても広々とした境内を歩き回ることがしばしばである。スマホで検索しても、最終的には、勘頼み。

 結局石上神宮外苑と山辺御縣神社はパスとなってしまった。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文学 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「世界遺産古都奈良の文化財元興寺」(真言律宗 元興寺 パンフレット)

★「万葉ゆかりの地を訪ねて~歌碑めぐり~」(奈良市HP)

 

※20220513朝食関連記事削除、一部改訂