●万葉集は様々なジャンルの歌が収録されている。
今回紹介するのは、湯原王(ゆはらのおおきみ)の歌である。
歌碑の歌ともう一つは、「娘子」との恋の駆け引きの歌である。11首の駆け引きの歌と最後は振られた湯原王の負け惜しみの歌である。
東大寺大仏殿北西部の、正倉院に近いところにある、光明皇后の歌碑(その42)の写真を撮り、次の目的地である手向山八幡宮へと向かう。
大仏殿の後ろ側を通り二月堂へ。石段と石畳、そして瓦土塀が連なる、風情ある道である。
瓦土塀といえば、東大寺南大門と大仏殿のほほ真ん中あたりで、県庁方面に向かう道があるが、この道沿いにある真言院の瓦土塀も趣がある。
石段と石畳を上ると二月堂が見えてくる。登りきったところを右折し、手向山八幡宮へと向かう。二月堂はお水取りで有名である。正確には修に会(しゅにえ)」という。例年、3月1日から14日まで本行が行われ、終わるころには冬が明けていることから、春を告げる行事ともいわれる。奈良時代から続く伝統行事で、752年以来、途絶えたことがないそうである。
三月堂を左手に、四月堂を右手に見ながら進むと、鹿が出迎えてくれる。
三月堂に面した北側の鳥居をくぐり境内に入る。
若草山の山麓に面した南側の鳥居近くに万葉歌碑がある。またしても鹿が案内してくれた。歌は鹿の声をはるか遠くに聞くと歌っているが、間近で案内してくれるとは有り難いことである。
歌は、
「秋萩の散りのまがひに呼び立てて 鳴くなる鹿の聲の遥けさ」
◆秋芽之(あきはぎの) 落乃乱尓(おちのまがひに) 呼立而(よびたてて) 鳴奈流鹿之(なくなるしかの) 音遙者(こゑのはるけさ)
(湯原王 巻八 一五五〇)
題詞は、「湯原王鳴鹿歌一首」とある。
(略訳)秋の野の萩が散り乱れている。そのようななか、牝を呼ぶ鹿の声がなんとはるか遠いことよ
(注)まがひ:(いろいろなものが)入り混じること。
まじり乱れること。また、入り混じって見分けがつかないこと。
(注)よびたてて<よびたつ:①声を張りあげて呼ぶ。呼び立てる。
②呼び寄せる。
- 湯原王(ゆはらのおおきみ)
奈良中期の歌人。父は志貴皇子(しきのみこ)。伝未詳。技巧的な歌風であるが気品に富む。万葉集に一九首を残す。
巻四 六三一の題詞に、「湯原王贈娘子歌二首 志貴皇子之子也」とある。
六三一と六三二の二首を見てみる。
◆宇波弊無(うはへなき) 物可聞人者(ものかもひとは) 然許(かくばかり) 遠家路乎(とほきいへぢを) 令還念者(かへさくもへば)
(湯原王 巻四 六三一)
(訳)不愛想なんだなあ、あなたという人は。これほどに遠い家路なのに、その家路を空しく追い返されることを思うと。(伊藤 博著「万葉集 一」より)
(注)うはへなき:上っ面の愛想の意か。(同)
◆目二破見而(めにはみて) 手二破不所取(てにはとらえぬ) 月内之(つきうちの) 楓如(かつらのごとき) 妹乎奈何責(いもをいかにせむ)
(湯原王 巻四 六三二)
(訳)目には見えても手には取らえられない月の内の桂の木のように、手を取って引き寄せることのできないあなた、ああどうしたらよかろう。(同)
これに対して、「娘子報贈歌二首」(六三三、六三四)がある。続いて、
「湯原王亦贈歌二首」(六三五、六三六)
「娘子復報贈歌一首」(六三七)
「湯原王亦贈歌一首」(六三八)
「娘子復報贈歌一首」(六三九)
「湯原王亦贈歌一首」(六四〇)
「娘子復報贈歌一首」(六四一)
と、やり取りが続く。
そして、「湯原王歌一首」(六四二)は、別れる時は、こうでも言おうと思っていたのであろう、いわば、湯原王の負け惜しみの歌で終わっている。
◆吾妹兒尓(わぎもこに) 戀而乱者(こひてみだれば) 久流部寸二(くるへきに) 懸而縁与(かけてよせむと) 余戀始(あがこひそめし)
(湯原王 巻四 六四二)
(訳)あの子に恋い焦がれて心が乱れたならば、乱れ心を糸車にかけて、うまいこと搓(よ)り直せばよいと、そう思って恋い初(そ)めただけのことさ・・・・・。(同)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉ゆかりの地を訪ねて~歌碑めぐり~」(奈良市HP)
★「Weblio古語辞書」
★「コトバンク」