平城京遷都の約40年前額田王はその地を踏んで飛鳥から近江に向かっている(万葉歌碑を訪ねて―その45―)

●天智六年(667年)近江遷都とある。額田王(ぬかたのおほきみ)は、三輪山は、大和の中で最も崇敬された山だから、三輪山が見えなくなる奈良山の道の隈で三輪山と離れる祭りをしている。大和の地を離れがたい思い、三輪山との別れを惜しむ歌が今日のテーマである。奈良盆地内では三輪山は見えていたのだろう。奈良坂あたりを越えると下りに入り見えなくなる。奈良山地帯のどのあたりかは分からないが地形的にはイメージできる。しかしこの時代に飛鳥から近江へは大変な道のりであったであろう。この約40年後、大津宮飛鳥浄御原宮、藤原宮を経て、奈良山のふもと近く平城京に都ができるとは想像もしていなかったであろう。

 

●今日のサンドイッチは、サンチュとサラダ菜そして焼き豚である。デザートは、りんごの縦切りスライスをグラスに立てる形で使ってみた。真ん中にいちごを配し周りにブドウやバナナを配した。真ん中のイチゴのまわりにヨーグルトを少し流してみた。

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4月16日のザ・モーニングセット

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4月16日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑めぐり―その45―

 「味酒(うまさけ) 三輪(みわ)の山 あをによし 奈良の山の 山際(ま)に

 い隠(かく)るまで 道の隈(くま) い積(つ)もるまでに つばらにも 見つつ

 行かむを しばしばも 見放けむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや」

   反歌

 「三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや」

 

この歌碑は、景行天皇陵近くの山の辺の道にある。

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景行天皇陵近くの山の辺の道の万葉歌碑(額田王

 桜井市のHPの「桜井市観光情報 ひみこの里・記紀万葉のふるさと」に「万葉歌碑めぐり」がある。万葉歌碑をいくつか候補をあげた。まず、景行天皇陵を目指す。

 景行天皇陵の前の駐車スペースに車を止める。すぐ横に山の辺の道の案内板が建っている。陵の周りを探すが見つからない。地図は漠然としておりスマホで検索するも出てこない。

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景行天皇陵説明案内板

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山の辺の道案内板(後ろは三輪山

 

 陵を半周ほど行ったあたりの小高いところに大和三山を見渡せる場所があるが、そのあたりではなさそうである。山の辺の道にあるはず。思い切って陵から離れて三輪方面に歩いてみる。くねった道の三叉路の脇に小さな碑と白い札があった。

 これまで見てきた歌碑からみれば非常に小さい。横の白い札のナンバーと桜井市のHPの歌碑番号と違うので最初は信じられなかった。歌を読んで確信した。漸く見つけることができた。

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遠くに大和三山を望む



●歌をみていこう。

◆味酒(うまさけ) 三輪乃山(みわのやま) 青丹吉(あをによし) 奈良能山乃(ならのやまの) 山際(やまのまに) 伊隠萬代(いかくるまで) 道隈(みちくまの) 伊積萬代尓(いつもるまでに) 委曲毛(つばらにも) 見管行武雄(みつつゆかむを) 數ゝ毛(しばしばも) 見放武八萬雄(みさけむやまを) 情無(こころなく) 雲乃(くもの) 隠障倍之也(くものかくさふべきしや)

                (額田王 巻一 一七)

 

(訳)神々しき三輪の山よ、この山を、青丹(あおに)よし奈良の山の、山の間に隠れるまでも、道の隈々(くまぐま)が幾曲りに重なるまでも、充分に見ながら行きたいのに、いくたびも見はるかしたい山なのに、つれなくも、雲が隠したりしてよいものか。

                   (伊藤 博著「万葉集 一」より)

(注)奈良山:奈良市街地北部一帯の丘陵。平城宮跡の北方を佐紀丘陵、その東を

   佐保丘陵とよび、奈良坂が通じる。(コトバンクデジタル大辞泉」)

(注)くま【隈】:(川や道などの)折れ曲がって入りくんだ所。(Weblio辞書)

(注)つばらに【委曲】<つばらなり:詳しい。十分だ。存分だ。(weblio古語辞書)

(注)しばしば【廔廔】:たびたび。何度も。)(weblio古語辞書)

(注)みさく【見放く】:遠くを望み見る。

 

 

三輪山乎(みわやまを) 然毛隠賀(しかもかすくか) 雲谷裳(くもだにも) 情有南敏(こころあらなも) 可苦佐布倍思哉(かくそうべしや)

                (額田王 巻一 一八)

 

(訳)ああ、三輪の山、この山を何でそんなにも隠すのか。せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。隠したりしてよいものか。よいはずがない。(伊藤 博著「万葉集 一」より)

 

序詞は、「額田王下近江國時作歌井戸王即和歌」とある。「額田王の近江(あふみ)の国に下(くだ)る時に作る歌、井戸王(ゐのへのおほきみ)が即(すなは)ち和(こた)ふるる歌」

 

 左注は、「右二首歌山上憶良大夫類聚歌林日 遷都近江國時 御覧三輪山御歌焉 日本書紀日 六年丙寅春三月辛酉朔己卯遷都干近江」とある。「右の二首の歌は、山上憶良大夫(やまのうへのおくらのまへつきみ)が類聚歌林(ついじうかりん)には「都を近江の国に遷(うつ)す時に三輪山の御覧(みそこなは)す御歌なり」といふ。日本書紀には「六年丙寅(ひのえとら)の春の三月辛酉(かのととり)の朔(つきたち)の己卯(つちのとう)に、都を近江に遷すといふ」

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「別冊國文学 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「万葉の大和路」 犬養 孝 著 (旺文社文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「桜井市観光情報 ひみこの里・記紀万葉のふるさと」(桜井市HP)

★「コトバンクデジタル大辞泉』」

★「Weblio辞書」

★「Weblio古語辞書」