●歌は、「未通女らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我れは」である。
●歌をみていこう。
◆未通女等之 袖振山之 水垣之 久時従 憶寸吾者
(柿本朝臣人麻呂 巻四 五〇一)
≪書き下し≫ 未通女(をとめ)らが袖(そで)布留山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我(わ)れは
(訳)おとめが袖を振る、その布留山の瑞々しい垣根が大昔からあるように、ずっとずっと前から久しいこと、あの人のことを思ってきた、この私は。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)「未通女等之袖」までが「布留」を、上三句が「久しき」を起こす二重の序
(注)ふるやま【布留山】:石上神宮の東方にある円錐形の山、標高266m。
この歌は、題詞が「柿本朝臣人麻呂歌三首」とあり、三首が「思ひ」を主題とする寄物陳思歌として歌群をなしている。
他の二首を見てみる。
◆夏野去(なつのいく) 小壯鹿之角乃(をしかのつのの) 束間毛(つかのまも) 妹之心乎(いもがこころを) 忘而念哉(わすれておもへや)
(柿本朝臣人麻呂 巻四 五〇二)
(訳)草深い夏の野を行く鹿の、生えたての角の短さではないが、そのほんのちょっとの間もあの子のことを思い忘れることなどあろうか。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
◆珠衣乃(たまきぬの) 狭藍左謂沈(さゐさゐしづみ) 家妹尓(いへのいもに) 物不語來而(ものいはずきにて) 思金津裳(おもいかねつも)
(柿本朝臣人麻呂 巻四 五〇三)
(訳)玉衣のさわめきではないが、門出のざわめきが鎮まってみると、家に残したあの子に何も言わないで来たような気持ちで心残りに耐え切れない。伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
●石上神宮
石上神宮は、同神宮HPによると、「大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には『石上神宮』『石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)』『石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)』等と記され、この他『石上社』『布留社』とも呼ばれていました。」とある。
第4駐車場に車を止め、細い道を歩く。右に曲がると大鳥居と参道が目に入って来た。神宮名を記した碑の側、大鳥居の手前に、柿本人麻呂の歌碑があった。
鳥居をくぐりしばらく行くと右手に鏡池が見えてくる。エメラルドグリーンの清らかな感じのする池である。
池を見ながら参道を進むと、前方左側にしめ縄をした場所があり何かが動いている、よく見ると鶏である。最初はしめ縄の所に囲いでもあるかのようにその中で動き回っていたが、一羽が結界を破ったかのように飛び出すと、他の鶏も後に続く。「コケコッコウー」鳴き声を聞いたのは何年前のことだろう。
石段を少し上がると左手に参道に沿って楼門が建っている。楼門を入ると拝殿があり、その奥に本殿がある。楼門は荘厳な造りである。
お参りをして、駐車場に。鶏は鏡池の縁と手洗所のあたりで動き回っている。鶏に別れを告げ、次の歌碑へと向かう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「石上神宮HP]