●「高高なり」は、今か、今かと首を長くして、爪立つ思いをいう。今も昔も「待つ身」の思いは同じであろう。
今日のサンドイッチは、サニーレタスと焼き豚である。デザートはりんごの縦スライスと甘夏を組み合わせた。ブドウはアクセントとして飾った。
●万葉歌碑を訪ねて―その51―
「石上布留の高橋高々に妹が待つらむ夜ぞ更けにける」
◆石上(いそのかみ) 振之高橋(ふるのたかはし) 高ゝ尓(たかたかに) 妹之将待(いもがまつらむ) 夜曽深去家留(よぞふけにける)
(作者未詳 巻十二 二九九七)
(訳)石上の布留の高橋、その高橋のように、高々と爪立つ思いであの子が今頃待っているだろうに、夜はもうすっかり更けてしまった。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
(注)たかだかに<たかだかなり【高高なり】:(待ち望んで)高く背伸びをして見ている。
「通い婚」の時代、待つ身はときめきと辛さの思いであろう。
この歌は待つ「あの子」の気持ちは「たかたか」なのだろうと男が慮っている。
男女それぞれの思いを詠った歌をいくつか挙げてみる。
⦿「待つ身」でなく、通う男の気持ちを詠った歌。
◆妹が目の見まく欲しけく夕闇の木の葉隠(こも)れる月待つごとし
(作者未詳 巻十一 二六六六)
(訳)あの子の顔を一目見たいと思うこの気持ちは、夕闇の木の茂みに籠っている月を待ち焦がれるのとそっくりだ。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
⦿待っている間も、可能であれば顔を見ていたしという気持ちの歌。
◆夕闇は路たづたづし月待ちていませわが背子その間にも見む
(豊前国娘子大宅女 巻四 七〇九)
(訳)夕闇は路が暗くて心もとのうございます。月の光を待ってお帰りなさいませ、あなた。その間にもお顔を見ていたく思います。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)豊前国娘子大宅女:とよのみちのくちのをとめおほやけめ 遊行女婦か。
(注)たづたづし:「たどたどし」に同じ。
⦿月の夜は逢えるのに嵐で逢えないこの悔しい気持ちを詠った歌。
◆窓越しに月おし照りてあしひきの嵐吹く夜は君をしそ思ふ
(作者未詳 巻十一 二六七九)
(訳)窓越しに月が皎皎(こうこう)と差し込み、山の嵐が吹きすさぶ夜、こんな夜にはあの方のことばかりを思いつめている。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
⦿月が早く沈んでしまったのであなたはもう帰ってしまったと嘆く歌。
◆夕月夜 暁闇の朝影にわが身はなりぬ汝を思ひかねに
(作者未詳 巻十一 二六六四)
(訳)夕方出ていた月が沈んで暁の闇が明けた朝、その朝の日に映る影法師に我が身はなってしまった。あなたへの思いに堪えかねて。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
⦿雨のせいで、逢いたいのに逢えない気持ちを詠った歌。
◆心なき雨にもあるか 人目守り乏しき妹に今日だに逢はむを
(作者未詳 巻十二 三一二二))
(訳)何とまあなさけ知らずの雨であることか。普段は人目をはばかるばかりでめったに逢ってくれないあなたに、せめて人目につかぬ今日だけでも逢いたいのに。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
これからも機会あるたび、万葉集相聞の海に漕ぎ出でな
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス)
★「Weblio古語辞書」