万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その57改)―奈良県天理市新泉町の大和神社―万葉集 巻五 八九四~八九六

●歌は、「好去好来歌一首反歌二首」である。

 

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奈良県天理市新泉町大和神社境内万葉歌碑(山上憶良

●歌碑は、奈良県天理市新泉町の大和神社にある。

 

長歌ならびに反歌二首をみてみよう。
 

 題詞は、「好去好來(かうきよかうらい)歌一首反歌二首」である。

 

 ◆神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨<反云大命> 載持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 <反云布奈能閇尓> 道引麻志遠 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手行掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿遅可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢

           (山上憶良 巻五 八九四)

 

≪書き下し≫神代より 言ひ伝(つ)て来(く)らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高光る 日の大朝廷(おほみかど) 神(かむ)ながら 愛(め)での盛りに 天(あめ)の下(した) 奏(まを)したまひし 家の子と 選ひたまひて 勅旨(おほみこと)<反(かへ)して「大命」といふ> 戴き持ちて 唐国(からくに)の 遠き境に 遣はされ 罷(まか)りいませ 海(うみ)原の 辺(へ)にも沖にも 神(かひ)づまり うしはきいます もろもろの 大御神(おほみかみ)たち 船舳(ふなのへ)に<反して「ふなのへに」といふ> 導きまをし 天地(あめつち)の 大御神たち 大和の 大国御魂(おほくにみたま) ひさかたの 天(あま)のみ空ゆ 天翔(あまがけ)り 見わたしたまひ 事終(をは)り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳(ふなのへ)に 御手(みて)うち懸けて

墨縄(すみなは)を 延(は)へたるごとく あぢかをし 値嘉(ちか)の崎より 大伴の 御津(みつ)の浜びに 直(ただ)泊てに 御船は泊てむ 障(つつ)みなく 幸(さき)くいまして 早(はや)帰りませ

 

(訳)神代の昔から言い伝えて来たことがある。この大和の国は、皇祖の神の御霊(みたま)の尊敬極まりない国、言霊(ことだま)が幸いをもたらす国と、語り継ぎ言い継いで来た。このことは今の世の人も悉く目のあたりに見、かつ知っている。大和の国には人がいっぱい満ち満ちているけれども、その中から、畏(かしこ)くも日の御子天皇(すめらのみこと)の、とりわけ盛んな御愛顧のままに、天下の政治をお執りになった名だたるお家の子としてお取立てになったので、あなたは勅旨(おおみこと)を奉じて、大唐の遠い境に差し向けられて御出発になる。ご出発になると、岸にも沖にも鎮座して大海原を支配しておられるもろもろの大御神たちは、御船の舳先に立ってお導き申し、天地の大御神たち、中でも大和の大国魂の神は、天空をくまなく駆けめぐってお見わたしになり、使命を終えてお帰りになる日には、再び大御神たちが御船の舳先に御手を懸けてお引きになり、墨縄をぴんと張ったように、値嘉岬から大伴の御津の浜辺に、真一文字に御船は到着するであろう。障りなく無事においでになって、一刻も早くお帰りくださいませ。(伊藤 博著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)そらみつ:枕詞。「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。

        「そらにみつ」とも。

(注)さきはふ【幸ふ】:自動詞➡幸福になる。栄える。 

他動詞➡幸福を与える。栄えさせる。

(注)さはに【多に】:たくさん。

(注)かむづまる【神づまる】:神としてとどまる。鎮座する。

(注)うしはく【領久】:支配する。領有する。

(注)あぢかをし:値嘉の枕詞か

(注)値嘉の崎(美祢良久の崎=三井楽)

    「好去好來に歌」は、第九次遣唐大使多治比真人広成に山上憶良が贈った

    「つつがなく無事に出発されて、早くお帰り下さい」という送別の歌である。

    「値嘉」は平戸から五島列島にかけてを指し、「値嘉の崎」は遣唐使の寄港

    地であった三井楽を指すといわれる。

       (平成21年度第3回長崎ゆかりの文学企画展)

          資料「長崎と古典文学~万葉集から去来まで~」より)

 

 反歌

◆大伴 御津松原 可吉掃弖 和礼立待 速歸坐勢

               (山上憶良 巻五 八九五)

 

≪書き下し≫大伴の御津(みつ)の松原かき掃きて我れ立ち待たむ早(はや)帰りませ          

(訳)大伴の御津の松原を掃き清めては、私どもはひたすらお待ちしましょう。早くお帰り下さいませ。(伊藤 博著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 
◆難波津尓 美船泊農等 吉許延許婆 紐解佐氣弖 多知婆志利勢武
≪書き下し≫難波津に御船泊(は)てぬと聞こえ来(こ)ば紐解き放(さ)けて立ち走りせむ

 

(訳)難波津に御船が着いたとわかりましたなら、うれしさのあまり私は帯紐を解き放したままで、何はさておき躍り上がって喜ぶことでしょう。(伊藤 博著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上 

大唐大使卿記室」

≪書き下し≫天平五年の三月の一日に、良が宅にして対面す。献(たてまつ)るは三日なり。 山上憶良謹上

      大唐大使卿(だいたうたいしのまへつきみ)記室

 

 大和神社は、HPによると、日本最古の神社で、御祭神は日本大國魂(やまとおおくにたま)大神。奈良時代、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ唐遣使が、出発に際して、同神社に参詣し、交通安全を祈願したとある。

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大和神社鳥居と神社碑

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大和神社拝殿

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞書」

★「『平成21年度第3回長崎ゆかりの文学企画展』資料

          『長崎と古典文学~万葉集から去来まで~』」

★「大和神社HP」

 

※20211023朝食関連記事削除、一部改訂