万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

令和元年スタート! 万葉歌碑を訪ねて(その63改)―奈良県桜井市桧原井寺池畔―万葉集 巻七 一一一八

令和元年五月一日である。

新たな気持ちで万葉集に取り組んでいくつもりである。

 

 

●歌は、「いにしへにありけむ人もわが如か三輪の桧原にかざし折りけむ」である。

 

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奈良県桜井市井寺池畔万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、奈良県桜井市桧原井寺池畔にある。 

 

●歌をみていこう。

 

◆古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃檜原尓 挿頭折兼

                 (柿本人麻呂 巻七 一一一八)

 

≪書き下し≫いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の檜原にかざし折けむ

(訳)遠く過ぎ去った時代にここを訪れた人も、われわれのように、三輪の檜原(ひはら)で檜の枝葉を手折って挿頭(かざし)にさしたことであろうか。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)かざし折けむ:生命力を身につけるため、檜の枝を髪にさしたであろうか。

(注の注)かざし【挿頭】名詞:花やその枝、のちには造花を、頭髪や冠などに挿すこと。また、その挿したもの。髪飾り。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 古代の人は、成長する植物に威大な生命力を感じ、呪力がこもっていると信じていた。祭りなどに参加する人たちは、精進潔斎し、種々の植物の挿頭(黄葉・梅・萩・あざさ・桜・柳・藤など)、蘰(菖蒲草・青柳・桜・稲穂・橘なそ)をつけて参加した。

 

 序詞は「詠葉」である。

 

 桜井市のHPの「万葉歌碑めぐり」をみると、井寺池畔に歌碑が5つある。

 桧原神社から西にだらだらと、大和盆地の景観を眺めながら、10分ほど坂を下っていくと井寺(いでら)池がある。池は二つに分かれ、井寺上池・井寺下池と呼ばれている。

 桜井市観光協会HPによると、「 井寺池そのものの歴史はよくわかっていませんが、大三輪町史によると井寺という名前からもわかるように元々このあたりにお寺があって、下池の北東の瓦片が散在する場所が井寺跡ではないかといわれています。また「箸中名所実記」という古書には井照寺という寺の記載があり関連が注目されます。 」とある。

 

 

 

 井寺池の上池と下池を分かつ堤の中ほどに、古事記の倭建命の歌碑がある。

「大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和し美し」

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奈良県桜井市桧原井寺池畔古事記歌碑(倭建命)

(訳)大和は国の中で一番良いところである。幾重にもかさなりあった青い垣根のような山やまにかこまれた大和はほんとうにうるわしいところであります。(桜井市HPより)

 

 檜原神社へは、国道169号線を南下、巻野内交差点を左折、県道50号線(大和高田桜井線)を東へ進む。4kmほど行ったところで纏向川と交差する。そこを過ぎてすぐのところに三叉路がある。「笠山荒神・左矢印」と「檜原神社・右矢印」の案内板がある。右斜め後ろ方向に曲がり山の辺の道を進む。5分ほどで檜原神社が見えてくる。神社沿いに進み、神社の正面を右折、左側に「桧原お御休処」がある。その先の右側に駐車場がある。

檜原神社正面から西側は二上山が遠望できる絶景ポイントである。

倭建命の歌碑の所からの景色も同様である。

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倭建命の歌碑付近からの二上山遠望

 檜原神社大神神社の摂社である。

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檜原神社からの帰途大神神社の大鳥居をみる

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「桜井市観光協会HP」

 

※20210802朝食関連記事削除、一部改訂