万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その67改)―奈良県桜井市箸中車谷(山の辺の道)穴師川小橋付近―万葉集 巻七 一二六九

●歌は、「巻向の山邊とよみて行く水のみなあわの如し世の人われは」である。

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奈良県桜井市箸中車谷万葉歌碑(柿本人麻呂

 

●歌碑は、奈良県桜井市箸中車谷(山の辺の道)穴師川小橋付近、県道50号線沿いにある。

 

◆巻向之 山邊響而 往水之 三名沫如 世人吾等者

               (柿本人麻呂 巻七 一二六九)

 

≪書き下し≫巻向の山辺響(とよ)みて行く水の水沫(みなわ)のごとし世の人我れは

(訳)巻向の山辺を鳴り響かせて流れて行く川、その川面の水泡のようなものだ。うつせみの世の人であるわれは。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)とよみ【響み】:大きな音や声が鳴り響くこと。また、人が大声を上げて騒ぐこと。大笑い。「どよみ」とも。

                           

 堀内民一氏は「大和万葉―その歌の風土」の中で、この歌について、「仏教的無常観ではない。このはかなさは、水垢離をとる川の水泡に感じた、さわやかな寂寥感とみるべきだ。一種の空虚感である。穴師川の磐に激して流れる水の泡沫の、瞬間を味わったかなしみだろう。『水泡の如し』と切ったところに、人間の空虚感がある。神を祭る際のみそぎの水の泡沫と同じ清爽感である。」と述べられている。

(注)水垢離(みずごり):神仏に祈願するため、冷水を浴びて体のけがれを去り、清浄にすること。

 

 この日(4月22日)県道50号線から山の辺の道に入り、桧原神社に車を止めた。山の辺の道に入ってすぐに、ルームミラーに、道端の歌碑らしいものが写っている。細い道なので車を止めようがない。しばらく行くと神社が見えて来た。駐車場の車を止める。まず、「神社近く」とある柿本人麻呂歌碑を探す。見当たらないので、聞くことに。社務所では、御朱印をいただく女性が二人いた。終わるのを待って、柿本人麻呂の歌碑を尋ねたが残念ながらわからないとのことであった、井寺池のことを教えてもらいそちらを優先した。順調に回れたので、駐車場で、桜井市HPの歌碑めぐりの地図を見直す。50号線沿いにもそこそこの数の歌碑がある。再挑戦を決める。ちょうど、タクシーが上って来た。山の辺の道を引き返すより道幅は広そうと判断し、急がば廻れと、井寺の池から山を下り国道169号線に戻り、再度50号線を登ることにする。しかしこの選択の方が危険度は高かった。下り阪なのにほぼ直角に左折するところがある。ガードレール無し。よそ見していたらドスンの危険性大。しばらく行くと、車幅いっぱいの鉄製の橋が待っていた。ゆっくり、ゆっくり進む。途中、大神神社の大鳥居を遠望できるため池の近くで休憩する。

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大神神社の大鳥居の遠望

 漸く、169号線から県道50号線に。歌碑を見落すまいとややスピードを落として走った。穴師川の小橋手前に車を止める。山の辺の道の歌碑らしきものを歩いて確認に行くため車を降りる。なんと、車の後方に歌碑がある。それが、今回の歌碑であった。ここを基点に足で歌碑を巡った。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 (創元社

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「weblio古語辞書」

 

※20190409朝食関連記事削除、一部改訂