●歌は、「神山の山邊真蘇木綿みじか木綿かくのみ故に長くと思ひき」である。
●歌碑は、奈良県桜井市箸中車谷 県道50号線から山の辺の道に入ってすぐのところにある。
●歌をみていこう。
◆神山之 山邊真蘇木綿 短木綿 如此耳故尓 長等思伎
(高市皇子 巻二 一五七)
≪書き下し≫三輪山(みわやま)の山邊(やまべ)真蘇木綿(まそゆふ)短木綿(みじかゆふ)かくのみゆゑに長くと思ひき
(訳)三輪山の麓に祭る真っ白な麻木綿(あさゆふ)、その短い木綿、こんなに短いちぎりであったのに、私は末長くとばかり思い頼んでいたことだった。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)真蘇木綿(まそゆふ):麻を原料とした木綿 (ゆう)
題詞「十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首」<十市皇女(といちのひめみこ)の薨(こう)ぜし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作らす歌三首>のうちの一首である。
他の二首をみてみよう。
◆三諸之 神之神須疑 巳具耳矣自得見監乍共 不寝夜叙多
(高市皇子 巻二 一五六)
≪書き下し≫みもろの神の神杉(かむすぎ)巳具耳矣自得見監乍共(第三、四句、訓義未詳)寝(い)ねる夜(よ)ぞ多き
※第三、四句:①こぞのみをいめにはみつつ
②いめにだにみむちすれども
③よそのみをいめにはみつつ
④いめにのみみえつつともに
(訳)神の籠(こも)る聖地大三輪の、その神のしるしの神々しい杉、巳具耳矣自得見監乍共、いたずらに寝られない夜が続く(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
◆山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴
(高市皇子 巻二 一五八)
≪書き下し≫山吹(やまぶき)の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
(訳)黄色い山吹が咲き匂っている山の清水、その清水を汲みに行きたいと思うけれど、どう行ってよいのか道がわからない。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)「山吹」に「黄」を、「山清水」に「泉」を匂わす。
左注は、「紀曰七年戌寅夏四月丁亥朔癸巳十市皇女卒然病發薨於宮中」とある。
左中の書き下しは、「紀には「七年戌寅(つちのえとら)の夏の四月丁亥(ひめとゐ)の朔(つきたち)の癸巳(みずのとみ)に、十市皇女、にはかに病(やまひ)発(おこ)りて宮の中(うち)の薨(こう)ず」といふ。
この歌碑のある山辺の道をしばらく進むと桧原神社に出る。
桧原神社からほぼ西に二上山が遠望できる。山を眺めていると、大伯皇女が弟大津皇子が二上山に葬られたとき哀傷(かなし)みて作られた歌「うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を兄弟(いろせ)とわが見む」が頭に浮かんでくる。
悲劇のあとの妹、弟に対するうつそみの兄、姉の「情」がひしひしと伝わって来る。
十市皇女に関しては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その38)」に紹介している。(下記タイトルには初期ブログのためサンドイッチの写真が写っていますが本文では削除してあります。ご容赦ください)
➡
県道50号線の穴師川の小橋の手前に車を止め、山の辺の道を眺めると歌碑らしきものが見えるので、歩いて確かめに行った。(写真の手前の灰色の道が県道50号線で山裾のラインが山の辺の道。中央付近に見えるのが歌碑)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)