万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その69改)―奈良県桜井市箸中車谷 県道50号線沿い―万葉集 巻七 一〇八七

●歌は、「痛足河、河波立ちぬ巻目の由槻が嶽に雲居立てるらし」である。

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奈良県桜井市箸中車谷万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、奈良県桜井市箸中車谷 県道50号線沿いにある。

 県道をゆっくり車を走らせて探したときは見つからなかったが、車を止めて、歩いて探したのが正解であった。道から少し川沿いにあるので車からは見落す位置にあった。

 

●歌をみていこう。

 

◆痛足河 ゝ浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志

         (柿本人麻呂歌集 巻七 一〇八七)

 

≪書き下し≫穴師川(あなしがは)川波立ちぬ巻向(まきむく)の弓月が岳(ゆつきがたけ)に雲居(くもゐ)立てるらし

 

(訳)穴師の川に、今しも川波が立っている。巻向の弓月が岳に雲が湧き起っているらしい。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は「雲を詠む」であり、一〇八八の左注に「右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出」(右の二首は柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ)とある。

 

 もう一首をみてみよう。

◆足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡

          (柿本人麻呂 巻七 一〇八八)

 

≪書き下し≫あしひきの山川(やまがは)の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立わたる

 

(訳)山川(やまがわ)の瀬音(せおと)が高鳴るとともに、弓月が岳に雲立わたる。(同上)

(注)なへ(接続助詞):《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・     進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。(学研)

 

 中西 進氏は、「万葉の心」(毎日新聞社)のなかで、「驟雨いたらんとする前の、緊迫した情景を耳と目にとらえたものである。(中略)名状しがたい迫力がこの歌の美しさであろう。」と述べておられる。「あしひきの山川の瀬の鳴る」と「弓月が岳に雲立わたる」を「なへに」でつなぎ、論理性がないなかで感情に訴えるそこに万葉集の魅力があると言われている。

 確かに、単純に訳して字面を追っただけでは「それで、どうなるの?」と突っ込みを入れたくなる。しかし、自分がその場にいるとして、情景を思い描きつつ、驟雨の状況を勘案していくと時間軸による迫力が加わってくる。この2首が逐次的であるとすると、川波が立ち、弓月が岳に雲が湧き起り、次の展開では、瀬音が高まり、(風も強くなり)、雲が立渡る、次の瞬間、雨が・・・となる。

 

 堀内民一氏は「大和万葉―その歌の風土」のなかで。「この歌は、水の信仰の深い斎槻が嶽(ゆづきがたけ)の神に献じたともいうべき、本格的な万葉きっての自然詠である。」と絶賛されている。「夏の日照りがつづくと、巻向、穴師の人たちは、お神酒を携えて、斎槻が嶽に登り、その頂上池畔に祭られている神祠に供えて雨を祈ったという。穴師川は斎槻が嶽信仰のための、禊の場だったという。

 「高鳴る山河の瀬の音を耳にしたとき、人麻呂の心は、たちわたる斎槻が嶽の雲に、雨を祈った上古大和人への心に動いていただろう。民間の素朴な祈念を歌の上にあらわしたのである。」とも。

 

 「万葉集」というのは、いわば歌の博物館のようなもの。それぞれの歌は、それぞれの時代に、それぞれの場所で生まれたものである。歌を本当に理解するためには、常に歴史の中に、時代の中に、そしてまた、生まれた風土の中に置いて考えるべきである。

(犬養 孝著「万葉の人びと」新潮文庫より)

 

 万葉集の歌を本当に理解するためには、常に歴史の中に、時代の中に、そしてまた、生まれた風土の中に置いて考える必要があることを痛感させられた。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

※20230409一部改訂