万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

柿本人麻呂は五七五七七で大きなキャンパスに絵画を描いている(万葉歌碑を訪ねて―その70―)

●人麻呂は、五七五七七で大きなキャンパスに絵画を描いている。中西 進氏は、人麻呂の歌を「理屈を越えて直覚的に訴えてくる表現方法」と評されている。

 

●サンドイッチは、レタスときゅうりと焼き豚である。きゅうりを使ったのは久しぶりである。ちょっとした変化も楽しいものである。デザートは、バナナ、いちご、トンプソン、レッドグローブで飾った。単純な配置で美しく見せる、毎日の挑戦である。人麻呂に学ばなければ。

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5月8日のザ・モーニングセット

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5月8日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その70―

 「あしひきの山かも高き巻向の岸の小松にみ雪降りけり」

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奈良県桜井市箸中車谷万葉歌碑(柿本人麻呂桜井市箸中車谷県道50号線沿い

 

 この歌碑は、奈良県桜井市箸中車谷県道50号線沿いにある。

 

◆足曳之 山鴨高 巻向之 木志乃子松二 三雪落來

               (柿本人麻呂 巻十 二三一三)

 

≪書き下し≫あしひきの山かも高き巻向の崖(きし)の小松にみ雪降りくる

(訳)あしひきの山が高いからか、巻向の崖っぷちの松の梢に、雪が降ってくる。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)小松:「小」は愛称の接頭語

 

 堀内民一氏は「大和万葉―その歌の風土」の中で、「巻向山の崖の小松に雪がふった。とうたい、この山が高いためかと、単純にうたい据えた。五六五メートルくらいの巻向山である。しかし、『あしびきの山かも高き』とうたった点に、巻向山への親しみに若干の畏怖感が雪のように交っていて、『子らが手を巻向山』の冬が、うたわれた。『岸の小松にみ雪ふりけり』が、美しい描写である。」と書かれている。

 「子らが手を巻向山」とは、巻七 一〇九三の「三諸のその山なみに子らが手を巻向山はつぎのよろしも」である。この歌碑は、穴師集落南側、県道50号線沿いにある。

 

 

 この歌は、部立「冬雑歌」の4首の一つである。他の3首をみていこう。

 

◆我袖尓 雹手走 巻隠 不消有 妹高見

                (柿本人麻呂 巻十 二三一二)

 

≪書き下し≫我が袖に霰(あられ)た走る巻き隠し消(け)たずてあらむ妹(いも)が見むため

(訳)私の袖に霰がぱらぱらと飛び跳ねる。包み隠して消さないでおこう。あの子にみせるために。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)巻き隠す:袖に包み隠して

 袖の霰を愛しい人に見せたいという熱い心が伝わる心理描写の歌である。

 

◆巻向之 檜原毛未雲居者 子松之末由 沫雪流

                (柿本人麻呂 巻十 二三一四)

 

≪書き下し≫巻向の檜原(ひはら)もいまだ雲居(くもい)ねば小松が末(うれ)ゆ沫雪(あわゆき)流る

(訳)巻向の檜原にもまだ雲がかかっていないのに、松の梢からはやもう泡雪が流れてくる。

 

◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゝ乎 雪落者 或云 枝毛多和ゝゝ

                 (柿本人麻呂 巻十 二三一五)

 

≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば 或は「枝もたわたわ」といふ

(訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>

 

左注は、「右柿本朝臣人麻呂歌集出也 但件一首 或本云三方沙弥作」(右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。ただし、件(くだり)の一首は、或本には「三方沙弥が作」といふ

 

 この四首の歌は、ある意味単純な描写であるにも関わらず、五七五七七で雪の情景を絵画タッチで見事に美しく訴えているように思えるのである。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「万葉の心」 中西 進 著(毎日新聞社

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)