万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

三輪山平等寺は島津義弘公ゆかりの寺である(万葉歌碑を訪ねて―その77―)

奈良県桜井市三輪にある三輪山平等寺は、慶長5年(1600年)9月15日関ヶ原の合戦で敗れた薩摩の領主、島津義弘主従がこの寺に逃げ込み70日間滞在し、無事薩摩に帰ったことで知られている。「島津義弘公ゆかりの寺」の、のぼり旗が掲げられていた。

 

●今日のサンドイッチはピーナツぺーストを使った。デザートはヨーグルトに、縦切りりんごを浮かべ、バナナ、トンプソン、レッドグローブで加飾した。

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5月14日のザ・モーニングセット

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5月14日のフルーツフルデザート

 

●万葉歌碑を訪ねて―その77―

  「わが衣色に染めなむうまさけ三室のやまはもみぢしにけり」

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奈良県桜井市三輪山平等寺境内万葉歌碑(柿本人麻呂

 

 この歌碑は、奈良県桜井市三輪三輪山平等寺にある。

 平等寺は、三輪交差点を東に折れ、JR万葉まほろば線の踏切を越えてほぼ直線状に進んだところにある。

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平等寺山門

 万葉歌碑は、この山門を入ってすぐ左手にあった。

 同寺HPによると、開基は聖徳太子によると伝えられているいる。鎌倉時代の初期、中興の祖、慶円上人(三輪上人1140~1223)を迎えるに及び、東西500m、南北330mの境内に、本堂、護摩堂、御影堂、一切経堂、開山堂、赤門、鐘楼堂のほか、12坊舎の大伽藍を有し三輪社奥の院として、由緒ある名刹となった。平等寺は三輪別所とも呼ばれた。鎌倉時代平等寺には、仏法、学問の奥義を求めて多くの人々が参詣した。 室町、江戸時代には醍醐寺三宝院、南部興福寺とも深く関係し、80石の朱印地を持ち修験道の霊地でもあった。また、慶長5年(1600年)9月15日関ヶ原の合戦で敗れた薩摩の領主、島津義弘主従がこの寺に逃げ込み70日間滞在し無事帰国とある。しかし、明治維新になって、廃仏毀釈(仏を廃し神を敬する)の令きびしく、大神神社の神宮寺であった平等寺は、ことさらにそのあらしを強く受け、堂塔ことごとく整理を迫られ。廃仏毀釈より100年目を迎えた昭和52年6月4日付で平等寺と寺号が復興され本堂、鐘楼堂、鎮守堂、翠松閣、釈迦堂(二重塔)の復興をはじめ前立本尊十一面観世音菩薩が造立された。

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平等寺境内

 

歌をみていこう。

◆我衣 色取染 味酒 三室山 黄葉為在

               (柿本人麻呂 巻七 一〇九四)

 

≪書き下し≫我が衣ににほひぬべくも味酒(うまさけ)三室(みむろ)の山は黄葉(もみち)しにけり

(訳)私の着物が美しく染まってしまうほどに、三輪の山は見事に黄葉している。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

(注)ぬべし:①(「べし」が推量の意の場合)きっと~だろう。

                 ~てしまうにちがいない。

        ②(「べし」が可能の意の場合)できる~はずである。

        ③(「べし」が意思の意の場合)~てしまうつもりである。

                 きっと~しよう。  

(注)うま-さけ 【味酒・旨酒】分類枕詞

    味のよい上等な酒を「神酒(みわ)(=神にささげる酒)」にすることから、

   「神酒(みわ)」と同音の地名「三輪(みわ)」に、また、「三輪山」のある

   地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにかかる。」

      参考:枕詞としては「うまさけの」「うまさけを」の形でも用いる。

 

 堀内民一氏は「大和万葉―その歌の風土」のなかで、「色づいた三輪山を見て、その神秘な感じに思い入った内省的な歌。」と述べておられる。

  

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「三輪山平等寺HP」

★「weblio古語辞書」