万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

「挽歌」は、中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌をいうところからきているそうである(万葉歌碑を訪ねて―その94―)

万葉集三大部立とは、「相聞」「雑歌」「挽歌」である。

「挽歌」は、中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌をいうところからきているそうである。

「相聞」はもともと中国伝来の語で、「往復存問」の意だそうである。

「雑歌」は「相聞」「挽歌」の属さないすべての歌をいう。

 

●サンドイッチは、定番のサニーレタスと焼き豚である。デザートは、りんごの型抜きを使い、バナナ、トンプソンとレッドグローブで飾りつけた。

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5月31日のザ・モーニングセット

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5月31日のフルーツフルデザート

 

 

 ●万葉歌碑を訪ねて―その94-

 「こもりくの泊瀬の山の山の際にいざよふ雲は妹にかもあらむ」

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桜井市立朝倉小学校正門前万葉歌碑(柿本人麻呂

 

この歌碑は、朝倉小学校校門前にある。

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朝倉小学校

 

 脇本春日神社横の歌碑の次は、朝倉小学校前のにある歌碑である。165号線から案内に従って坂を上る。朝倉小学校校門の前の民家側にこの歌碑がある。

 

 をみてみよう。

◆隠口能 泊瀬山之 山際尓 伊佐夜歴雲者 妹鴨有牟

               (柿本人麻呂 巻三 四二八)

≪書き下し≫こもりくの泊瀬の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ

(訳)隠り処の泊瀬、この泊瀬の山の山あいに、行きもやらずにたゆとう雲、あれはわがいとしい人なのであろうか。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「土形娘子火葬泊瀬山時柿本朝臣人麻呂作歌一首」<土形娘子(ひぢかたのをとめ)を泊瀬(はつせ)の山に火葬(やきはぶ)る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首>

(注)土形娘子については伝不詳とある。

 

 堀内民一氏は「大和万葉―その歌の風土」のなかで、「火葬の煙に対する印象が、自然の雲に転じている。火葬した泊瀬山の印象を悲傷の言葉をつかわないで、真情がにじみでている。」と書かれている。

 

類似歌としては、巻七 一四〇七がある。

◆隠口乃 泊瀬山尓 霞立 棚引雲者 妹尓鴨或武

 

「泊瀬」「初瀬」については、古事記伝に「初瀬川、川上は猶は遠ければ、此地ぞ上瀬なれば初瀬の意か」とあると、また、埋葬地であることから「果(は)つ狭(せ)」とも。

 

泊瀬の地が埋葬地であることにつながる歌として次のような歌もある。

 

◆狂語香 逆言哉 隠口乃 泊瀬山尓 廬為云

                   (作者未詳 巻七 一四〇八)

 

≪書き下し≫たはことかおよづれことかこもりくの泊瀬の山に廬(いほ)りせりといふ

 

(訳)たわけ言(ごと)のでたらめ、それとも人惑わしの空事(そらごと)であろうか、私のいとしい子が、泊瀬の山の仮小屋の籠(こも)っているというのは。

 

(注)およづれ【妖・逆言】:妖言(およづれごと)の略。人をまどわすことば。

(注)いほる【庵る・廬る】:仮小屋を造って宿る。

 

いずれも部立は「挽歌」である。

「挽歌」の意味をしらべてみよう。Weblio辞書(三省堂大辞林)によると次のようである。

 

ばんか 【挽▼歌・輓▼歌】

〔中国で葬送の時、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く者が歌った歌をいうところから〕

  • 人の死を悼む詩歌。挽詩。哀悼(あいとう)歌。

②  万葉集で、相聞(そうもん)・雑歌(ぞうか)とともに三大部立ての一。人の死を悲しみ悼む歌。古今集以後の「哀傷」にあたる。 → 相聞 ・雑歌

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio辞書」

★「コトバンク

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)