万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その96改)―桜井市立東中学校校庭―万葉集 巻六 九九一

万葉歌碑を訪ねて―その96―

●歌は、「岩走りたぎち流るる泊瀬川たゆる事なくまたも来てみむ」である。

 

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桜井市立東中学校校庭万葉歌碑(紀朝臣鹿人)

●歌碑は、桜井市立東中学校校庭にある。

 

●歌をみていこう。

◆石走 多藝千流留 泊瀬河 絶事無 亦毛来而将見

                 (紀朝臣鹿人 巻六 九九一)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)りたぎち流るる泊瀬川(はつせがわ)絶ゆることなくまたも来て見む

 

(訳)磐に激しくほとばしり流れる泊瀬川よ、お前の流れが絶えないように、絶えることなくまた必ずやって来て流れを見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

(注)たぎち【滾ち・激ち】激流。また、その飛び散るしぶき。

 

 題詞は、「同鹿人至泊瀬河邊作歌一首」<同じき鹿人、泊瀬(はつせ)の川辺(かはへ)に至りて作る歌一首>

 

 

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桜井東中学校正門

 この日の歌碑めぐりは順調に予定をこなしてきた。(5月14日)

 あと2か所である。「出雲、初瀬川沿い」の但馬皇女と「桜井東中学校校庭」の紀朝臣鹿人の2つである。

 マップを見ると長谷寺方面に進み、出雲そして東中学校の順である。

 まず、但馬皇女の歌碑探しからである。出雲という地名と、歌碑のある場所を示す地図では、大和川(初瀬川)と165号線が接近していることを手掛かりに探すも結局は見つからず。あきらめて東中学校へ。

 帰宅時間であろうか何人もの中学生たちが校門から出てくる。校門近くに車を止め、正門から中へ。前庭的な所に目を配るがそれらしきものはない。校門正面の体育館の前で先生らしき方が坐って女子中学生と話をしていらっしゃる。

 正門からお邪魔をして、思い切って、万葉歌碑の場所を訪ねる。先生は立ち上がられ、丁寧に案内していただく。「遠いところをご苦労様です。」とも。

 歩いて行くと、右手の校舎の前に中学生らが何人か固まっている。突然男子生徒が「先生、ちゃんこ鍋ってどんなの」と先生に振ってくる。生徒たちに慕われている先生のようである。良い先生に出逢えてよかったと思った。

 ちゃんこから、桜井市の相撲神社の話などをしながら先生についていく。

 立ち止まり指さされたところに歌碑が。「これが歌碑です。横に資料が入っている箱がありますので宜しければどうぞ。」とまでおっしゃっていただく。

 御礼を申し上げ、歌碑を撮影、資料もいただく。

 

「桜井東中学校校庭にある万葉歌碑」と題し、原文と読みかた、「紀朝臣鹿人至泊瀬河邊作歌一首」と書き添えてある。

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東中学校万葉歌碑資料

  中学校として、万葉歌碑を大切に思っている感じがして、なぜかうれしく、すがすがしい気持ちになった。

 

 見つからなかった出雲の歌碑は、帰宅してから、グーグルマップのストリートビューで、探したエリア以外を消去法的に目星をつけ、画面道路上をじっくりと探索。あった、見つけた。三叉路の広告塔の足元の、車で走っていれば見落す草むらの中ににあった。次回リベンジである。

 

 

 

 万葉集には、紀朝臣鹿人(きのあそみかひと)の歌は三首収録されている。他の歌もみていこう。

 

◆茂岡尓 神佐備立而 榮有 千代松樹乃 歳之不知久

                 (紀朝臣鹿人 巻六 九九〇)

 

≪書き下し≫茂岡に神(かむ)さび立ちて栄たる千代松の木の年の知らなく

 

(訳)茂岡に神々しく立って茂り栄えている、千代ののちを待つという松の木、この木の齢の見当もつかない(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

◆射目立而 跡見乃岳邊之 瞿麦花 総手折 吾者将去 寧楽人之為

                 (紀朝臣鹿人 巻六 一五四九)

 

≪書き下し≫射目(いめ)立てて跡見(とみ)の岡辺のなでしこの花、ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人(ならひと)のため

 

(訳)跡見の岡辺に咲いているなでしこの花。この花をどっさり手折って私は持ち帰ろうと思います。奈良で待つ人のために。(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

(注)いめたてて【射目立てて】:射目(狩りをするとき、弓を射る人が隠れる所)を立てて獲物の足跡を調べる意から、「跡見(とみ)」にかかる枕詞。

(注)とみ【跡見】:狩猟の時、鳥や獣の通った跡を見つけて、その行方を推しはかること。また、その役の人。

 

 題詞は、「典鑄正紀朝臣鹿人至衛門大尉大伴宿祢稲公跡見庄作歌一首」<典鑄正(てんちうのかみ)紀朝臣、衛門大尉(ゑもんのだいじょう)大伴宿祢稲公(おほとものすくねいなきみ)が跡見(とみ)の庄(たどころ)に至りて作る歌一首>

(注)典鑄正:典鑄司(金属製品・玉製品・ガラスや瑠璃製品や鋳造品などの製作をつかさどる)の長官。正六位上相当。

(注)衛門大尉:衛門府(古代,禁中の守衛,諸門の開閉などを司った役所)の三等官。従六位下相当

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典」

★「コトバンク

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)