万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その97改)―桜井市慈恩寺欽明天皇磯城嶋金刺宮址―万葉集 巻十三 三二五四

●歌は、「しきしまの大和の国は言霊のさきはふ国ぞまさきくありこそ」である。

 

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奈良県桜井市欽明天皇磯城嶋金刺宮跡万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、桜井市慈恩寺欽明天皇磯城嶋金刺宮址(きんめいてんのうしきしまかなさしのみやあと)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆志貴嶋 倭國者 事霊乃 所佐國叙 真福在与具

      (柿本人麻呂 巻十三 三二五四)

 

≪書き下し≫磯城島(しきしま)の大和(やまと)の国は言霊(ことだま)の助くる国ぞま幸くありこそ

 

(訳)我が磯城島の大和の国は、言霊が幸いをもたらしてくれる国なのです。どうかご無事で行って来て下さい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より) 

(注)しきしまの【磯城島の・敷島の】分類枕詞:「磯城島」の宮がある国の意で国名「大和」に、また、転じて、日本国を表す「やまと」にかかる。「しきしまの大和」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことだま【言霊】名詞:言葉の霊力。言葉が持っている不思議な力。 ⇒参考:古代社会では、言葉と現実との区別が薄く、「言」は「事」であり、言葉はそのまま事実と信じられていた。たとえば、人の名はその人自身のことであり、女性が男性に自分の名を教えることは、相手に我が身をゆだねることを意味した。また、名を汚されると、その人自身が傷つくとも考えられた。このような考え方から、呪詛(じゆそ)(=他人に災いが起こるように神に祈ること)・祝詞(のりと)などの、言葉による呪術(じゆじゆつ)(=まじない)が成立した。(学研)

(注)まさきく【真幸く】副詞:無事で。つつがなく。 ※「ま」は接頭語。(学研)

 

 

この歌は反歌である。長歌をみてみよう。

 

◆葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾

       (柿本人麻呂 巻十三 三二五三)

 

≪書き下し≫葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国は 神(かむ)ながら 言挙げせぬ国 言挙げぞ我(わ)がする 言幸(さき)く ま幸くいませと 障(つつ)みなく 幸くいまさば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波(ももへなみ) 千重波(ちへなみ)にしき 言挙げす我(わ)れは 言挙げす我は

 

(訳)神の国葦原の瑞穂の国、この国は天つ神の神意のままに、人は言挙げなど必要としない国です。しかし、私はあえて言挙げをするのです。この言(こと)のとおりにご無事でいらっしゃい。障(さわ)ることなくご無事で行って来られるならば、荒磯の寄せ続ける波のように、変わらぬ姿でまたお目にかかることができるのだ、と、百重に寄せる波、千重に寄せる波、その波のように繰り返し繰り返して、言挙げするのです、私は。言挙げするのです、私は。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)

(注)ことあげ【言挙げ】名詞 <「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる>:言葉に出して特に言い立てること。 ※上代語。 ⇒参考:上代、不必要な「言挙げ」は不吉なものとしてタブーとされ、あえてそのタブーを犯すのは重大な時に限られた。用例の歌は、そのあたりの事情を詠んでいる。(学研)

(注)言幸(ことさき)く:この言葉が幸くあるとおりに。(伊藤脚注)

(注)つつむ【恙む・障む】自動詞:障害にあう。差し障る。病気になる。(学研)

(注)ありそなみ【荒磯波】分類枕詞:同音の繰り返しで「あり」にかかる。(学研)

(注)ちへなみ 【千重波・千重浪】名詞:幾重にも重なって寄せる波。(学研)

(注)しく【頻く】自動詞:次から次へと続いて起こる。たび重なる。(学研)

 

三二五三、三二五四歌の題詞は、「柿本朝臣人麻呂が歌集に日(い)はく」である。

(注)この歌は、大宝元年(701年)の遣唐使に贈った人麻呂自身の歌らしい。(伊藤脚注)

(注の注)両歌の作者名は、伊藤氏脚注に基づき「柿本人麻呂」としております。

 

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂が歌集の歌に日(い)はく」である。

 桜井市HPでは、柿本人麻呂の歌としているが、中西 進氏は「万葉の心」(毎日新聞社)では、作者未詳としている。

 

 この歌から「言霊」について述べておく必要があろう。「言霊」とは、コトバンク(世界大百科事典第2版の解説)によると、「ことばに宿る霊の意。古代の日本人は,ことばに霊が宿っており,その霊のもつ力がはたらいて,ことばにあらわすことを現実に実現する,と考えていた。言霊という語は,《万葉集》の歌に,3例だけある。(後略)」

巻五 八九四歌、巻十一 二五〇六歌そして、巻十三 三二五四歌(上述)の三首である。

 八九四歌は遣唐使派遣の際の歌で、三二五四歌も。そうであろうといわれている。

大和の国は「言霊の助くる国」「言霊の幸はう国」という表現は、唐国(外国)に対して、明確に日本国(自国)を意識して用いているのである。

 

 八九四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて―その57―」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 二五〇六歌もみてみよう。

◆事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依

       (作者未詳 巻十一 二五〇六)

 

≪書き下し≫言霊(ことだま)の八十(やそ)の衢(ちまた)に夕占(ゆふけ)問ふ占(うら)まさに告(の)る妹は相(あひ)寄らむ

 

(訳)言霊の振るい立つ八十(やそ)の道辻(みちつじ)で夕占(ゆううら)を問うた。すると、占のお告げにはっきりと出た。「お前の思う子はお前にきっと靡(なび)き寄るだろう」。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)言霊の八十の衢:言霊の振るい立つ四通八達の道筋(伊藤脚注)

(注)夕占:言霊の活動する夕方、辻で、行き交う人の言葉の片端から吉凶を占うこと。(伊藤脚注)

 

 桜井市HP「万葉歌碑>歌碑一覧(山の辺の道コース)」に、「番号:19 所在:桜井市水道局 万葉集:巻13~3254 著者:柿本人麿 筆者:平泉澄」と紹介されており、これまで3度ほど挑戦したが見つけられなかった。桜井市水道局での検索が失敗だった。万葉歌碑マップ(山の辺の道コース)には、「欽明天皇磯城嶋金刺宮跡」付近に番号19と45の印が重なるようにある。45の歌碑の所在地が「慈恩寺、新佐野橋近く」となっているのも判断を誤らせたのである。グーグルマップで「欽明天皇磯城嶋金刺宮跡」を検索したら歌碑の写真まで確認できた。今までの思い込みを大いに反省した。

中和道路の下の地道と大和川の間の緑地に欽明天皇磯城嶋金刺宮跡があった。その碑の横に歌碑はあった。

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欽明天皇磯城嶋金刺宮跡の碑

 

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欽明天皇磯城嶋金刺宮跡の碑と並ぶ万葉歌碑

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角)川ソフィア文庫)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「コトバンク

★「weblio古語辞典」

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社


 20220326朝食記事削除、一部改訂。二五〇六歌追記

 20220330三二五三・三二五四歌(注)追記補強