万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集巻七 一二八二~一二八四歌は、柿本人麻呂歌集にある旋頭歌で、若き日々を回想し思い出に浸る歌である(万葉歌碑を訪ねて―その107―)

万葉集巻七 一二八二~一二八四歌は、柿本人麻呂歌集にある旋頭歌で、若き日々を回想し思い出に浸る歌である。それゆえ、一二八二歌の歌碑は、桜井市立高齢者総合福祉センター前に立てられているのであろう。

 

●サンドイッチは、定番のサニーレタスと焼き豚である。デザートは、グレープフルーツの輪切りを8分割、円形に並べ、間にバナナをかました。中央部にトンプソンとレッドグローブの切合わせを配し、周りも加飾した。

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6月12日のザ・モーニングセット

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6月12日のザ・モーニングセット

●万葉歌碑を訪ねて―その107―

 「梯立の倉橋山に立てる白雲みまく欲りわがするなべに立てる白雲」

 

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桜井市立高齢者総合福祉センター前万葉歌碑(作者未詳)

 この歌碑は、桜井市高齢者総合福祉センター前にある。

 吉備春日神社境内で大津皇子漢詩の碑を見つけたが、大来皇女の歌碑は見つからなかった。吉備池畔にも大津皇子大来皇女の万葉歌碑があるので探す予定にしていたが、雨で足元も悪く、池の周りの道も草ぼうぼうであり、とても一周できる状況ではなかったので、これもあきらめ、沈んだ気持ちで福祉センターに向かったのである。(ブログ拙稿「その106」に書いているが、吉備春日神社境内の歌碑は漢詩の後半スペースに大来皇女の万葉歌が彫られていたことが後日、判明した)

 福祉センター前に到着したら、入口にチェーンがかかっており「本日休館」の札も。この日は全くついていない。雨は少し小ぶりになったとはいえ気持ちがさらに落ち込む。

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休館日でひっそりとした高齢者総合福祉センター

 このような施設の場合、万葉歌碑は玄関あたりか、前庭的なところにあるので、エントランスから駐車場周り、玄関前をぶらつく。見当たらないし、聞く人もいない。遊歩道のようなところを歩いてみたが、結局見つからず。あきらめて車に戻ろうとエントランスの坂道を下りようとした時、左側手の茂みの中に説明碑的なものが見えた。「倉梯紫垣宮伝承地」の説明碑である。第32代崇俊天皇居住的宮殿伝承の地とある。

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倉梯紫垣宮伝承地の碑と解説板

これでも写しとこうとしたとき、茂みの中に隠れるように万葉歌碑が置かれていた。

雨もあがった。

 

歌をみていこう。

◆橋立 倉椅山 立白雲 見欲 我為苗 立白雲

                (作者未詳 巻七 一二八二)

 

≪書き下し≫はしたての倉橋山に立てる白雲 見まく欲(ほ)り我(わ)がするなへに立てる白雲

 

(訳)倉橋山に湧き立っている白雲よ。ぜひ見たいと思ったその折しも湧き立っている、あの人を偲ばせる白雲よ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)はしたての【梯立ての】:<枕詞>高床式の倉に梯子(はしご)をかけたところから「くら」「峻(さが)し(=険しい)」や地名「倉梯(くらはし)」にかかる。また「くら」の音の変化から地名「熊来(くまき)」にかかる。

 

この歌に続く、一二八三歌、一二八四歌も「はしたての」で始まっている。

この二首もみていこう。前歌同様この二首も旋頭歌である。

 

◆橋立 倉椅川 石走者藻 壮子時 我度為 石走者裳

                 (作者未詳 巻七 一二八三)

 

≪書き下し≫はしたての倉橋川の石(いは)の橋はも男盛(をざか)りに我(わ)が渡してし石の橋はも

                 

(訳)倉橋川の飛び石はどうなったのやら、若い盛りに、あの子ゆえに私が渡したあの飛び石はどうなったのかな。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)石(いは)の橋:飛び石

伊藤 博氏は「万葉集 二」の一二八三歌の脚注で、「が渡してし石の橋はも」の脚注で「あの子の所に通うため渡した飛び石はああ。ハモは眼前にないものに対する詠嘆」と書いておられる。

 

犬養 孝氏は「万葉の大和路」(犬養 孝/文 入江泰吉/写真 旺文社文庫)の中で、「六句体、旋頭歌の体をなして、うたいものとして民謡風の面影のある歌である。これは人麻呂歌集の歌で、人麻呂の手が加わっているかも知れないが、人麻呂によって書き留められていた歌であろうか。(中略)この歌など、多感な青春の碑への回想と思慕の思いがたたまれ、郷土の風物と密着してうたいあげられた民謡のかおりが高い。」と書かれている。

 

 

◆橋立 倉椅川 河静菅 余苅 笠裳不編む 川静菅

                 (作者未詳 巻七 一二八四)

 

≪書き下し≫はしたての倉橋川の川のしづ菅(すげ) 我が刈りて笠も編まなく川のしづ菅

 

(訳)倉橋川、その川のしず菅よ。私が刈っただけで、笠にも編まないままに終わった、その川のしず菅よ。

(注)しず菅:〘名〙 菅の一種。菅の小さなものか。

 [補注]どういう菅かについては諸説がある。(1)「下つ菅」で水の下にかくれてはえる菅とする説、(2)「石著菅(いしつきすげ)」で石についた菅とする説、(3)「倭文(しつ)菅」で、縞のある菅とする説、(4)神をしずめる菅とする説、など。

 

伊藤 博氏は「万葉集 二」の一二八四歌の脚注で、「しづ」に「静」を匂わすか。「我が刈て笠も編まなく」については、「深い関係になったが結婚生活に入れなかったことの譬え」と書かれている。

 

 

伊藤 博氏は、「この三首は若き日を偲ぶ歌」と書かれている。だから、桜井市高齢者総合福祉センター前に歌碑がおいてあるのだろう。

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高齢者総合福祉センター入口銘碑

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の大和路」 犬養 孝/文 入江泰吉/写真 (旺文社文庫

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「コトバンク(精選版日本国語大辞典)」