万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

大伴家持と叔母の大伴坂上郎女との間には恋歌仕立てのやり取りがある。郎女は恋の歌の手ほどきをしたと考えられる。(万葉歌碑を訪ねて―その119―)

大伴家持と叔母の大伴坂上郎女との間には恋歌仕立てのやり取りがある。

坂上郎女 巻六 九九三

  「月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢へるかも 」

▲家持 巻六 九九四

  「ふりさけて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも 」 

▼家持 巻八 一六一九

  「玉桙の道は遠けどはしけやし妹を相見に出でてぞ我が来し」

坂上郎女 巻八 一六二〇

  「あらたまの月立つまでに来まさねば夢にし見つつ思ひぞ我がせし」

大伴坂上郎女は、歌人大伴家持を生み出す影の力になっている。このように恋の歌の手ほどきをしたと考えられる。

 

●サンドイッチは、サニーレタスとトマト、そしてウインナーソーセージである。デザートは、バナナの輪切りを周囲に並べあいまにトンプソンのスライスを配し、さらにそのあいまにレッドグローブのスライスを並べた。中央部は切合わせを、周辺部には干しぶどうを飾った。

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6月24日のザ・モーニングセット

6月24日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その119―

「玉桙の道は遠けどはしきやし妹を相見に出でてぞ我来し」

 

奈良県橿原市常磐春日神社万葉歌碑(大伴家持

この歌碑は、奈良県橿原市常磐町の春日神社にある。

奈良県道105号線中和幹線「常磐町西」交差点を南下してすぐ右側手に神社がある。

境内入口から鳥居までの間のすぐ右手に歌碑がある。注連縄が巻かれ苔むした碑である。歌碑の説明板が無ければ見落すところである。

常磐春日神社鳥居

春日神社境内

 

ここから約1kmほど北に進むと竹田神社がある。途中に奈良県橿原総合庁舎があるがこの北側が東竹田町であり、竹田庄があったとされるところである。

常磐町の春日神社には、大伴家持の歌碑が、竹田神社には、大伴坂上郎女の歌碑がある。

 

歌をみていこう。

◆玉桙乃 道者雖遠 愛哉師 妹乎相見尓 出而曽吾来之

                  (大伴家持 巻八 一六一九)

 

≪書き下し≫玉桙(たまぼこ)の道は遠けどはしけやし妹(いも)を相見(あいみ)に出(い)でてぞ我が来(こ)し

 

(訳)道のりは遠いのですが、お懐かしいあなた様にお目にかかりたくて、私ははるばる出かけてきたのです。(伊藤 博 著 「萬葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)はしけやし>はしきやし【愛しきやし】ああ、いとおしい。ああ、懐かしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。

 

この歌の題詞は、「大伴家持至姑坂上郎女竹田庄作歌一首」<大伴家持、姑(をば)坂上郎女が竹田の庄(たどころ)に至りて作る歌一首>とある。

 

これに対して坂上郎女が和(こた)えた歌が続いて収録されている。

◆荒玉之 月立左右二 来不益者 夢而見乍 思曽吾勢思

                  (大伴坂上郎女 巻八 一六二〇)

 

≪書き下し≫あらたまの月立つまでに来(き)まさねば夢(いめ)にし見つつ思ひぞ我がせし

 

(訳)月が改まってもおいでにならないので、毎夜あなたを夢に見ては、思い暮れていたのですよ。(伊藤 博 著 「萬葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

左注がある。「右二首天平十一年己卯秋八月作」<右の二首は、天平十一年己卯(つちのとう)の秋の八月に作る>

 

 

奈良県HPの「万葉のうた」(第五回 竹田庄(たけだのたどころ)に、坂上郎女の歌の解説とともに「竹田庄」について詳しく載っているので引用させていただく。

 

 家持の歌(一六一九)は、「〈解説〉 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が現在の橿原市東竹田にあったという大伴氏の田地にいたときに、大伴家持が訪ねてきて詠んだ歌です。愛すべき妹(いも)、とまるで恋人や妻に歌いかけるような表現ですが、坂上郎女は家持の父親である大伴旅人の妹で、家持にとっては叔母に当たる人物でした。家持に恋の歌の手ほどきをしたとみられ、この歌に対しても、あなたがなかなか来てくれないので夢にまで見て恋しく思っていました、という恋人同士のような坂上郎女の返歌が残されています。

 

 今回は、竹田庄(たけだのたどころ)の関連の歌です。竹田庄は大伴氏が経営していた田荘で、現在の橿原市東竹田町にあったとされています。屋上庭園がある奈良県橿原総合庁舎の所在地は橿原市常盤町ですが、総合庁舎の北隣は橿原市東竹田町であり、今回の歌は大伴家持が屋上庭園近隣の田地で詠んだ歌ということになります。

 大伴家持大伴旅人の長男で、生まれ年は養老2年(718年)といわれています。大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、家持は祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残しています。家持の歌は長歌・短歌など合計473首が「万葉集」に収められており、「万葉集」全体の1割を超えていることから、家持が「万葉集」の編纂(へんさん)に関わったと考えられています。

 この歌は、天平11年(739年)に坂上郎女に対して贈られた歌です。解説にもありますように、叔母を「妹」と呼んだりして恋歌仕立てになっていますが、親密な間柄の相手と歌をやり取りする際は恋歌めかすのが当時の風雅であったようです。

 この歌に対して坂上郎女は、「あらたまの 月立つまでに 来ませねば 夢にし見つつ 思ひそあがせし(月が立つまでにいらっしゃらないので、私は夢にまで見続けて、物思いをしてしまいました)〈万葉集第8巻1620番〉」と歌を返しています。

 「玉桙の」は、「道」にかかる枕詞です。「はしきやし」は、「ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。」という意味で、愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用いる言葉です。」

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「万葉のうた 第五回 竹田庄(たけだのたどころ)」(奈良県HP)

★「Weblio古語辞書」