万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その123改)―奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(3)―万葉集 巻十八 四一〇九

●歌は、「紅はうつろふものぞ橡のなれにし衣になほしかめやも」である。

 

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奈良県橿原市南浦町万葉の森万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(3)にある。

 

●歌をみていこう。

◆久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母

                 (大伴家持 巻十八 四一〇九)

 

≪書き下し≫紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ)になほしかめやも

 

(訳)見た目鮮やかでも紅は色褪(あ)せやすいもの。地味な橡(つるばみ)色の着古した着物に、やっぱりかなうはずがありものか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)紅:紅花染め。左夫流子の譬え。

(注)橡:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。

     ②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。

      上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の

      「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。

      古くは「つるはみ」。(Weblio古語辞典「学研全訳古語辞典」)

(注)橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ):橡染の着古した衣。妻の譬え。

 

 この歌の題詞は、「教喩史生尾張少咋歌一首并短歌」<史生尾張少咋(ししやうをはりのをくひ)を教へ喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>

 万葉集巻十六は、巻頭に「有由縁幷雑歌」とある。この題詞に続いて、次のような「由縁」が書かれている。そしてこのケースでは、反歌三首で一つの「歌物語」が形成されているのである。

 

「七出例(しちしゆつれい)に云(い)はく、

『ただし、一条を犯さば、すなはち出(い)だすべし。七出なくして輙(たやす)く棄(す)つる者は、徒(づ)一年半』といふ。

 (注)七出例:夫の意志で離婚できる妻側の七つの欠陥に関する条例。すなわち、

    子がない、姦通、舅姑い使えない、悪口を言って他人に害を与える、

    盗竊、嫉妬、悪疾の七つ。 「七去」ともいう。

 (注)すなはち出(い)だすべし:即座に離婚せよ。

 (注)徒(づ):懲役刑

 

三不去(さんふきよ)に云はく、

『七出を犯すとも、棄つべくあらず。違(たが)ふ者は杖(ぢやう)一百。ただし奸(かん)を犯したると悪疾(あくしち)とは棄つること得(う)』といふ。

 (注)三不去(さんふきよ):七出に該当しても離婚できぬ三つの場合。

    舅姑の喪事(三年)を助けた者、娶って後に高貴の位となった者、

    現在帰る家のない者は離婚できない。

 

兩妻例(りやうさいれい)に云はく、

『妻有りてさらに娶(めと)る者は徒一年、女家(ぢよか)は杖一百にして離(はな)て』といふ。

  (注)兩妻例(りやうさいれい):重婚関係の条例

  (注)女家(ぢよか):女性。唐律に見える語。

 

詔書に云(のりたま)はく、

『義夫節婦を愍(めぐ)み賜ふ』とのりたまふ。

 

謹(つつし)みて案(かむが)ふるに、先(さき)の件(くだり)の数条は、法(のり)を建つる基(もと)にして、道を化(をし)ふる源なり。しかればすなはち、義夫の道は、情存して別(べち)なく、一家財を同じくす。あに旧(ふる)きを忘れ新しきを愛(うつく)しぶる志あらめや。ゆゑに数行の歌を綴(つづ)り作(な)し、旧きを棄つる惑(まと)ひを悔(く)ひしむ。その詞に日(い)はく。

  (注)情存して別(べち)なく:情を抱いて家族に普く施し。

  (注)一家財を同じくす:一家で財産を共にし、経済上家族を差別しない

              ことにある。

 

◆於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良久 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美ゝ恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之へ尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽 波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良无 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐   言佐夫流者遊行女婦之字也

              (大伴家持 巻十六 四一〇六)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代(かみよ)より 言い継(つ)ぎけらく 父母を 見れば尊(たふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子(こ)と 朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神(かみ)言寄(ことよ)せて 春花の 盛もあらむと 待たしけむ 時の 盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹(いも)が いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ) 溢(はふ)りて 射水川(いみづかは) 流る水沫(みなわ)の 寄るへなみ 佐夫流(さぶる)その子に 紐(ひも)の緒(を)の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居(ゐ) 奈呉(なご)の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ   左夫流と言ふは遊行女婦が字なり

 

(訳)大汝命と少彦名命(みこと)が国土を造り成したもうた遠い神代の時から言い継いできたことは、「父母は見ると尊いし、妻子は見るといとしくいじらしい。これがこの世の道理なのだ」と、こんな風(ふう)に言ってきたものだが、それが世の常の人の立てる誓いの言葉なのだが、

言葉どおりに、ちさの花の真っ盛りの頃に、いとしい奥さんと朝に夕に、時にほほ笑み時に真顔で、溜息まじりに言い交した、「いつまでもこんな貧しい状態が続くということがあろうか、天地の神々がうまく取り持って下さって、春の花の盛りのように栄える時もあろう」という言葉をたよりに奥さんが待っておられた、その盛りの時が今なのだ。離れていて溜息ついておられるお方が、いつになったら夫の使いが来るのだろうとお待ちになっているその心はさぞさびしいことだろうに、ああ、南風が吹き雪解け水が溢れて、射水川の流れに浮かぶ水泡(みなわ)のように寄る辺もなくてうらさびれるという、左夫流と名告るそんな娘(こ)なんぞに、紐の緒のようにぴったりくっつきあって、かいつぶりのように二人肩を並べて、奈呉の海の底に深さのように、深々と迷いの底にのめりこんでおられるあなたの心、その心の何とまあ処置のしようのないこと。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 他の短歌(反歌)二首もみていこう。題詞は、「反歌三首」である。

◆安乎尓与之 奈良尓安流伊毛我 多可ゝゝ尓 麻都良牟許己呂 之可尓波安良司可

             (大伴家持 巻十六 四一〇七)

 

≪書き下し≫あをによし奈良にある妹が高々(たかたか)に待つらむ心しかにはあらじか

 

(訳)あの遠い奈良の家にいるお方が、高々と爪先立てて待っている心、その心のいじらしさ、妻のこころとはそういうものではあるまいか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆左刀妣等能 見流目波豆可之 左夫流兒尓 佐度波須伎美 美夜泥之理夫利

             (大伴家持 巻十六 四一〇八)

 

≪書き下し≫里人(さとびと)の見る目恥づかし左夫流子(さぶるこ)にさどはす君が宮出後姿(みやでしりぶり)

 

(訳)里人の見る目を思うと、この私まで恥ずかしくなる。左夫流子に血迷っていられるあなたが、いそいそと退朝して行くうしろ姿は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 大伴家持といえば女性遍歴が有名であるが、越中守時代、部下の史生尾張少咋(ししやうをはりのをくひ)を教へ喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌を作っているのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「Weblio古語辞典(学研全訳古語辞典)」

 

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