万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて―その124の3―万葉の時代に梅が中国から輸入され、当時の貴族たちがこぞって梅を自分の庭に植えたので、宴会などでの歌の素材にもってこいであったのだろう(万葉歌碑を訪ねて―その124の3―)

●梅は万葉集の中で約一二〇首歌われている。桜などに較べて山野の梅が歌われることはまれで、そのほとんどが庭に咲く梅である。飛鳥・藤原の時代には、梅の歌はまず歌われていない。一二〇首もの梅の歌は、そのほとんどが平城京へ遷都して後の歌である。万葉の時代に梅が中国から輸入され、当時の貴族たちがこぞって梅を自分の庭に植えたからであろう。」庭木である梅は、宴会の時などには歌の素材としてもってこいであった。(ブログ拙稿「ザ・モーニングセット190209万葉の小径シリーズーその31うめ」参照)

太宰府天満宮「曲水の園」(イメージ写真)

 

●万葉歌碑を訪ねて―その124の3―

今回も、筑紫歌壇梅花宴の続きの歌(八二二~八二八)をみていこう。

 

 

◆阿乎夜奈義  烏梅等能波奈乎  遠理可射之  能弥弖能々知波  知利奴得母與斯  [笠沙弥]

 

 

≪書き下し≫青柳(あをやなぎ)梅との花を折りかざし飲みての後(のち)は散りぬとも良し  [笠沙弥(かさのさみ)]

               (笠沙弥 巻八 八二一)

 

(訳)青柳に梅の花を手折りかざして、相ともに飲んだその後なら、散ってしまってもかまわない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 

■笠沙弥:笠朝臣麻呂(かさのあそみまろ)。出家して満誓と号。万葉集には、沙弥満誓、造筑紫観音寺別当(ざうつくしくわんおんじのべつたう)、造筑紫観世音寺別当(ざうつくしくわんぜおんじのべつたう)、満誓沙弥の呼称で九首が収録されている。

 

 

◆和何則能尓  宇米能波奈知流  比佐可多能  阿米欲里由吉能  那何列久流加母  [主人]

               (大伴旅人 巻八 八二二)

 

奈良県橿原市南浦町万葉の森の歌碑の歌であり、「万葉歌碑を訪ねて―その124の1―」でとりあげているので、ここでは省略する。

 

 

◆烏梅能波奈  知良久波伊豆久  志可須我尓  許能紀能夜麻尓  由企波布理都々 

 [大監伴氏百代]

              (伴氏百代 巻八 八二三)

 

≪書き下し≫梅の花散らくはいづくしかすがにこの城(き)の山に雪は降りつつ [大監(だいげん)伴氏百代(ばんじのももよ)]

 

(訳)梅の花が雪のように散るというのはどこなのでしょう。そうは申しますものの、この城の山にはまだ雪が降っています。その散る花はあの雪なのですね。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)城の山:大野山

(注)大監(だいげん):〘名〙 大宰府の判官のうちの上位の二人。正六位下相当。

下に少監がある。

※令義解(718)職員「大監二人。〈掌下糾二判府内一。審二署文案一。

勾二稽失一。察中非違上〉」(コトバンク 精選版日本国語大辞典より)

 

■伴氏百代:大伴宿祢百代(おほとものすくねももよ)。万葉集には、七首収録されている。

 

 

◆烏梅乃波奈  知良麻久怨之美  和我曽乃々  多氣乃波也之尓  于具比須奈久母

  [小監阿氏奥嶋]

              (阿氏奥嶋 巻八 八二四)

 

≪書き下し≫梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林にうぐひす鳴くも [少監(せうげん)阿氏奥嶋(あじのおきしま)]

 

(訳)梅の花の散るのを惜しんで、この我らが園の竹の林で、鴬(うぐいす)がしきりに鳴いている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)少監:〘名〙 令制の官職で、大宰府の第三等官(判官(じょう))のうち下位の職。大監(だいげん)と同じく、治安の監督をし、文書の起草などをつかさどった。定員二名。従六位上に相当。

※令義解(718)職員「少監二人。〈掌同二大監一〉」

 

 

◆烏梅能波奈  佐岐多流曽能々  阿遠夜疑遠  加豆良尓志都々  阿素▼久良佐奈  [小監土氏百村]               ▼「田+比」=び

                (土氏百村 巻八 八二五)

 

≪書き下し≫梅の花咲きたる園の青柳をかづらにしつつ遊び暮らさな  [小監(せうげん)土氏百村(とじのももむら)] 

 

(訳)梅の花の咲いているこの園の青柳、この青柳を縵(かづら)にしながら、今日一日を楽しく遊びくらそうよ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 

■土氏百村:土師宿祢百村とすれば養老五年(七二一年)退朝の後東宮に侍す。万葉集にはこの歌のみ収録されている。

 

 

◆有知奈▼久  波流能也奈宜等  和我夜度能  烏梅能波奈等遠  伊可尓可和可武   [大典史氏大原]                ▼「田+比」=び

                 (史氏大原 巻八 八二六)

 

≪書き下し≫うち靡(なび)く春の柳と我がやどの梅の花とをいかにか分(わ)かむ  [大典(だいてん)史氏大原(しじのおほはら)]

 

(訳)しなやかな春の柳とこの我らの庭前の梅の花の趣と、その優劣をそうして分けられようぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)大典:律令制で、大宰府の主典(さかん)で少典の上に位するもの。(コトバンク デジタル大辞泉より)

 

■史氏大原:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ収録されている。

 

 

◆波流佐礼婆  許奴礼我久利弖  宇具比須曽  奈岐弖伊奴奈流  烏梅我志豆延尓  [小典山氏若麻呂]

                 (山氏若麻呂 巻八 八二七)

 

≪書き下し≫春されば木末隠(こぬれがく)りてうぐひすぞ鳴きて去(い)ぬなる梅が下枝(しづえ)に  [少典(せうてん)山氏若麻呂(さんじのわかまろ)]

 

(訳)春がやってくると、梢がくれに鴬が鳴いては飛び移って行く。枝の下枝あたりに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)少典:律令制で、大宰府の主典(さかん)で大典(たいてん)の下に位するもの。

コトバンク デジタル大辞泉

 

■山氏若麻呂:山口忌寸若麻呂(やまぐちのいみきわかまろ) 万葉集には二首(巻四 五六七・巻八 八二七)が収録されている。

 

 

◆比等期等尓  乎理加射之都ゝ  阿蘇倍等母  伊夜米豆良之岐  烏梅能波奈加母  [大判事丹氏麻呂]

             (丹氏麻呂 巻八 八二八)

 

≪書き下し≫人ことに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも  [大判事(だいはんじ)丹氏麻呂(たんじのまろ)]

 

(訳)人それぞれに手折りかざして賞(め)で遊ぶけれども、ますます心ひかれる花だ、この梅の花は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)大判事:律令制で、刑部(ぎょうぶ)省や大宰府の上級の判事。

中判事の上(コトバンク デジタル大辞泉より)

 

■丹氏麻呂:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ収録されている

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 (學燈社

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「 コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版日本国語大辞典

 

※20230225朝食関連記事削除、一部改訂