●梅花宴はその名の通り「梅の花」を主題に歌に興じている。八二九歌(張氏福子)は、いやいや梅だけでなく、梅の後には桜が咲くから、その時には再び楽しい宴を持ちましょうと詠っている。万葉の桜はヤマザクラの類を指すとするのが一般的である。万葉集に詠まれる回数は約四〇回で、梅の約三分の一に過ぎないが、ただ、梅がほとんど庭木として詠まれているのに対し、桜は各地の山野で歌われていて、当時広く一般に親しまれていたといえよう。
万葉歌碑を訪ねて―その124の4―
梅花宴の続きをみていこう。(八二九~八三七歌)
◆烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良<婆那> 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也 [藥師張氏福子]
(張氏福子 巻八 八二九)
≪書き下し≫梅の花咲きて散りなば桜花(さくらばな)継(つ)ぎて咲くべくなりにてあらずや [藥師(くすりし)張氏福子(ちやうじのふくじ)]
(訳)梅の花が咲いて散ってしまったならば、桜の花が引き続き咲くようになっているではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)薬師:大宰府医師
■張氏福子:?-? 奈良時代の医師。
大宰(だざいの)薬師。天平(てんぴょう)2年(730)大宰帥(そち)大伴旅人(おおともの-たびと)宅での梅花の宴に列席してよんだ歌が「万葉集」巻5におさめられている。渡来系氏族で,「藤氏家伝」にみえる方士張福子と同一人とみられる(コトバンク デジタル版日本人名大辞典+Plusより)
万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆萬世尓 得之波岐布得母 烏梅能波奈 多由流己等奈久 佐吉和多留倍子 [筑前介佐氏子首]
(佐氏子首 巻八 八三〇)
≪書き下し≫万代(よろづよ)に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし [筑前介(つくしのみちのくちのすけ)佐氏子首(さじのこおびと)]
(訳)万代までののちまでも春の往来(ゆきき)があろうとも、この園の梅の花は絶えることなく咲き続けるであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
■佐氏子首:佐伯直子首か。万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆波流奈例婆 宇倍母佐枳多流 烏梅能波奈 岐美乎於母布得 用伊母祢奈久尓 [壹岐守板氏安麻呂]
(板氏安麻呂 巻八 八三一)
≪書き下し≫春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐(よい)も寝(ね)なくに [壹岐守(いきのかみ)板氏安麻呂(はんじのやすまろ)]
(訳)春なればこそ、なるほどこんなにも美しく咲いている梅の花よ、あなたを賞(め)で思うあまりに夜も寝られない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)うべも 【宜も】:分類連語 まことにもっともなことに。ほんとうに。なるほど。道理で。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典より」
■板氏安麻呂:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆烏梅能波奈 乎利弖加射世留 母呂比得波 家布能阿比太波 多努斯久阿流倍斯 [神司荒氏稲布]
(荒氏稲布 巻八 八三二)
≪書き下し≫梅の花手折りてかざせる諸人(もろびと)は今日(けふ)の間(あひだ)は楽しくあるべし [神司(かみづかさ)荒氏稲布(くわうじのいなしき)]
(訳)梅の花を手折って挿頭(かざし)にしている人びとは、誰もかれも、今日一日は楽しみが尽きないはずだ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)神司:神に仕える人。神官(しんかん)。かむづかさ、かみづかさ、とも。(weblio辞書 三省堂大辞林より)
■荒氏稲布:??? 万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆得志能波尓 波流能伎多良婆 可久斯己曽 烏梅乎加射之弖 多努志久能麻米 [大令史野氏宿奈麻呂]
(野氏宿奈麻呂 巻八 八三三)
≪書き下し≫年のはに春の来(きた)らばかしこくそ梅をかざして楽しく飲まめ [大令史(だいりゃくし)野氏宿奈麻呂(やじのすくなまろ)]
(訳)年々春が巡って来たならば、このように梅をかざして思いっきり楽しく飲もうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)としのは 【年の端】分類連語 毎年。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)大令史:大宰府判文抄写官。判事の書記。
■野氏宿奈麻呂:??? 万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆烏梅能波奈 伊麻佐加利奈利 毛ゝ等利能 己恵能古保志枳 波流岐多流良斯[小令史田氏肥人]
(田氏肥人 巻八 八三四)
≪書き下し≫梅の花今盛りなり百鳥の声の恋(こほ)しき春来(きた)るらし [小令史(せうりゃうし)田氏肥人(でんじのこまひと)]
(訳)梅の花が今がまっ盛りだ。鳥という鳥のさえずりに心おどる春が、今まさにやってきたらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)百鳥(ももとり):多くの鳥。種々の鳥。(コトバンク デジタル大辞泉)
■田氏肥人:??? 万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆波流佐良婆 阿波武等母比之 烏梅能波奈 家布能阿素▼尓 阿比美都流可母 [藥師高氏義通] ※▼は「田+比」=び
(高氏義通 巻八 八三五)
≪書き下し≫春さらば逢はむと思(も)ひし梅の花今日(けふ)の遊びに相(あひ)見(み)つるかも [藥師(くすりし)高氏義通(かうじのよしみち)]
(訳)春になったらぜひ逢いたいと思っていた梅の花だが、この花に今日のこの宴で、皆してめぐり逢うことができた。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)薬師:大宰府医師
■高氏義通:??? 万葉集にはこの一首のみ収録されている
◆烏梅能波奈 多乎利加射志弖 阿蘇倍等母 阿岐太良奴比波 家布尓志阿利家利 [陰陽師礒氏法麻呂]
(礒氏法麻呂 巻八 八三六)
≪書き下し≫梅の花手折(たを)りかざして遊べども飽(あ)き足(た)らぬ日は今日(けふ)にしありけり [陰陽師(おんやうし)礒氏法麻呂(きじののりまろ)]
(訳)梅の花をてんでに手折り髪にかざしていくら遊んでも、なお満ち足りることがない日とは、今日のこの日であったのだ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
■礒氏法麻呂:??? 万葉集にはこの一首のみ収録されている
◆波流能努尓 奈久夜汙隅比須 奈都氣牟得 和何弊能曽能尓 汙米何波奈佐久 [笇師志氏大道]
(志氏大道 巻八 八三七)
≪書き下し≫春の野に鳴くやうぐいすなつけむと我が家(へ)の園に梅が花咲く [算師(さんし)志氏大道(しじのおほみち)]
(訳)春の野で鳴く鴬、その鴬を手なずけようとして、この我らの園に梅の花が咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)算師:物数計算官。笇(さん)=算:数を数える。
■志氏大道:志紀大道と同じか。万葉集にはこの一首のみ収録されている
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)
★「コトバンク デジタル版日本人名大辞典+Plus」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」