●梅花宴のメンバーの席順を想像してみると、上席グループと下席グループに別れ、大伴旅人が上席グループの上座、総幹事の小野淡理が下席グループの下座に座っていたと考えられる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫を参考に作成)
八一五歌は「梅を招きつつ楽しき終へめ」と冒頭、宴の永続と盛り上げを詠い、八二九歌は、「梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべく」と梅に次は桜もで宴の永続を上席グループの締めと提起を行い、八三〇歌で、「梅の花絶ゆることなく」と前歌を受けて梅の花を讃え上げ下席グループとしての冒頭を飾るのである。八四六歌で「いやなつかしき梅の花」と全体を打ち上げる形で歌い上げてお開きにもっていっている。メンバーそれぞれが、前の人の歌を承け、いわばリレー式に次々と詠いあげて宴を盛り上げている。筑紫歌壇と呼ばれる所以であろう。
驚くべきは、こういった記録が残っており、それが、万葉集に収録されていることである。
このような所にも万葉集の計り知れない魅力がある。
万葉歌碑を訪ねて―その124の5―
今回も梅花宴の歌をみていこう。(八三八~八四六歌)これで、すべての歌をみたことになる。
◆烏梅能波奈 知利麻我比多流 乎加肥尓波 宇具比須奈久母 波流加多麻氣弖 [大隅目榎氏鉢麻呂]
(榎氏鉢麻呂 巻八 八三八)
≪書き下し≫梅の花散り乱(まが)ひたる岡(をか)びにはうぐひす鳴くも春かたまけて [大隅目(おほすみのさくわん)榎氏鉢麻呂(かじのはちまろ)]
(訳)春の花の入り乱れて散る岡辺には鴬がしきりに鳴いている。今はすっかり春の季節を迎えて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)かたまけて<かたまく【片設く】:(その時節を)待ち受ける。(その時節に)なる。▽時を表す語とともに用いる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典より)
(注)目(さかん):四等官(しとうかん)のこと。
参考➡四等官:『大宝令』における4階級の官司。すなわち,長官 (かみ) ,次官 (すけ) ,判官 (じょう) ,主典 (さかん) をいう。唐の制度に範をとり,その用字は官司によって異なる。
主典(さかん)は、神祇官は「史」、省は「録」、寮は「属」、坊と職、「属」、衛府、「志」、国司は、「目」などと記すが、すべて「さかん」と読む。(コトバンク デジタル大辞泉より引用)
■榎氏鉢麻呂:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆波流能努尓 紀理多知和多利 布流由岐得 比得能美流麻提 烏梅能波奈知流 [筑前目田氏真上]
(田氏真上 巻八 八三九)
≪書き下し≫春の野に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る [筑前目(つくしのみちのくちのさかん)田氏真上(でんじのまかみ)]
(訳)“あれは春の野に霧が立ち込めて真っ白に降る雪なのか“と、誰もが見紛(みまが)うほどに、この園に梅の花が散っている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
■田氏真上:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆波流楊那宜 可豆良尓乎利志 烏梅能波奈 多礼可有可倍志 佐加豆岐能倍尓 [壹岐目村氏彼方]
(村氏彼方 巻八 八四〇)
≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)かづらに折りし梅の花誰(た)れか浮かべし酒坏(さかづき)の上(へ)に [壹岐目(いきのさくわん)村氏彼方(そんじのをちかた)]
(訳)春柳、この柳のかづらに挿そうと、みんながせっかく手折った梅の花、その花を誰が浮かべたのか。めぐる盃の上に。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
■村氏彼方:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆于遇比須能 於登企久奈倍尓 烏梅能波奈 和企弊能曽能尓 佐伎弖知流美由 [對馬目高氏老]
(高氏老 巻八 八四一)
≪書き下し≫うぐひすの音聞くなへに梅の花我家(わぎへ)の園に咲きて散る見ゆ [對馬目(つしまのさくわん)高氏老(かうじのおゆ)]
(訳)鴬の鳴く声をちょうど耳にしたその折しも、梅の花がこの我らに園に咲いては散っている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)なへ:接続助詞[事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。
■高氏老:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆和我夜度能 烏梅能之豆延尓 阿蘇▼都々 宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美[薩摩目高氏海人] ※▼は「田+比」=び
(高氏海人 巻八 八四二)
≪書き下し≫我がやどの梅の下枝(しづえ)に遊びつつうぐひす鳴くも散らまく惜しみ [薩摩目]さつまのさくわん)高氏海人(かうじのあま)]
(訳)この我らが庭の梅の下枝を飛び交いながら、鴬が鳴き立てている。花の散るのをいとおしんで。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
■高氏海人:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ収録されている。
◆宇梅能波奈 乎理加射之都々 毛呂比登能 阿蘇夫遠美礼婆 弥夜古之叙毛布[土師氏御道]
(土師氏御道 巻八 八四三)
≪書き下し≫梅の花折りかざしつつ諸人(もろひと)の遊ぶを見れば都しぞ思ふ [土師(はにし)氏御道(うぢのみみち)]
(訳)梅の花を手折り髪にかざしながら、人びとが誰もかれも楽しく遊ぶのを見ると、そぞろに奈良の都が偲ばれる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
■土師氏御道:土師氏宿祢水道(はにしのすくねみみち)。伝未詳。
万葉集には、四首(巻四 五五七-五五八、巻十六 三八四五、巻八 八四三)
収録されている。
◆伊母我陛邇 由岐可母不流登 弥流麻提尓 許ゝ陀母麻我不 烏梅能波奈可毛[小野氏國堅]
(小野氏國堅 巻八 八四四)
≪書き下し≫妹(いも)が家(へ)に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも [小野氏(をのうじの)國堅(くにかた)]
(訳)いとしい子の家に行(ゆ)きというではないが、雪が降るのかと見紛(みまが)うばかりに、梅の花がしきりに散り乱れている。美しくも好もしい花よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ここだ【幾許】:副詞
①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。
②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。
(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典より)
◆宇具比須能 麻知迦弖尓勢斯 宇米我波奈 知良須阿利許曽 意母布故我多米[筑前拯門氏石足]
(門氏石足 巻八 八四五)
≪書き下し≫うぐひすの待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため [筑前拯(つくしのみちのくちのじよう)門氏石足(もんじのいそたり)]
(訳)鴬が待ちかねていたせっかくの梅の花よ、散らずにいておくれ。そなたを思う子、鴬のために。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)拯(じよう):律令制で、四等官(しとうかん)の第三位。庁内の取り締まり、
主典(さかん)の作る文案の審査、宿直の割り当てなどをつかさどった。
「丞」「掾」など官司により用字が異なる(コトバンク デジタル大辞泉より)
■門氏石足:門部連石足(かどべのむらじいそたり)。伝未詳。万葉集には二首(巻五 五六八、巻八 八四五)収録されている。
◆可須美多都 那我岐波流卑乎 可謝勢例杼 伊野那都可子岐 烏梅能那奈可毛[
小野氏淡理]
(小野氏淡理 巻八 八四六)
≪書き下し≫霞立つ長き春日(はるひ)をかざせれどいやなつかしき梅の花かも [
小野氏淡理(をのうじのたもり)]
(訳)霞の立つ長い春、この一日中、髪に挿しているけれど、ますます離しがたい気持ちだ、この梅の花は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
■小野氏淡理:小野田守朝臣(をののたもりのあそみ)と同じか。万葉集にはこの一首のみ収録されている。巻二〇 四五一四の題詞に「渤海大使小野田守朝臣」とある。
●梅花宴のメンバーを整理してみよう。歌の順に名前を列挙してみる。これらを参考に席順を想像してみると、上席グループと下席グループに別れ、大伴旅人が上座、総幹事の小野淡理が下座に座っていたと考えられる。下記のような席の配置であったかもしれない。歌に興じる面々の声が飛び交ってきそに思える。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫を参考に作成)
◎上席グル―プ
八二二歌 大伴旅人(主人)
八一五歌 大弐紀卿 八二三歌 大監伴氏百代
八一六歌 少弐小野大夫 八二四歌 少監阿氏奥島
八一七歌 少弐粟多大夫 八二五歌 少監土氏百村
八一八歌 筑前守山上大夫 八二六歌 大典史氏大原
八一九歌 豊後守大伴大夫 八二七歌 少典山氏若麻呂
八二〇歌 筑後守葛井大夫 八二八歌 大判事丹氏麻呂
八二一歌 笠沙弥 八二九歌 薬師張氏福子
◎下席グループ
八三二歌 神司荒氏稲布 八四〇歌 壱岐目村氏彼方
八三三歌 大令史野氏宿奈麻呂 八四一歌 対馬目高氏老
八三四歌 少令史田氏肥人 八四二歌 薩摩目高氏海人
八三五歌 薬師高氏義道 八四三歌 土師氏御道
八三六歌 陰陽師磯氏法麻呂 八四四歌 小野氏国堅
八三七歌 算師志氏大道 八四五歌 筑前拯門氏石足
八四六歌 小野氏淡理(総幹事)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
※20230225朝食関連記事削除、一部改訂