●歌は、「ほととぎす鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘子」である。
●歌碑は、奈良県橿原市南浦町万葉の森にある。万葉の森歌碑第6弾である。
●歌をみていこう。
◆霍公鳥 鳴音聞哉 宇能花乃 開落岳尓 田葛▼嬬
(作者未詳 巻十 一九四二)
※▼:「女+感」 ▼嬬=おとめ
≪書き下し≫ほととぎす鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡(おか)に葛(くず)引く娘子(をとめ)
(訳)もう時鳥の声を聞きましたか。卯の花が咲いては散るこの岡で、葛を引いている娘さんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)くず(ひく):葛の茎の繊維から葛布を作る
この歌は、巻十の部立て「夏雑歌」の題詞「詠鳥」二十七首のうちの一首である。この歌の前一九四一歌は、「朝霧の八重山越えて呼子鳥鳴きや汝(な)が来(く)るやどもあらなくに」(訳:立ちこめる朝霧のように幾重にも重なる山を越えて、呼子鳥よ、鳴きながらお前はやってきたのか。宿るべきところもないのに《伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より》)であり、この歌のみ「呼子鳥」が詠われている。他はすべて「霍公鳥」が詠われている。
(注)呼子鳥は、「鳥の名。人を呼ぶような声で鳴く鳥。かっこうの別名か。」(weblio古語辞書 学研全訳古語辞典)
伊藤 博氏はこの一九四二歌の脚注の「ここからまた時鳥の歌。別途資料によるか」と書いておられる。ここに万葉集を紐解く一つのカギがあるように思える。巻十の構成と万葉集への位置づけをみてみよう。
巻十の構成は次のようになっている。歌番号の後は「左注」である。
【春雑歌】
一八一二~一八一八歌 「右柿本朝臣人麻呂歌集出」
詠鳥 一八一九~一八四〇歌
一八四一~一八四二歌 「右二首問答」
詠霞 一八四三~一八四五歌
一八四六~一八七八歌までは、「詠△」で、柳、花、月、雨、河、煙となっている。
一八八〇~一八八九歌は、詳細は略するが、「野遊」「嘆旧」「懽逢」「旋頭歌」「譬喩歌」
【春相聞】
一八九〇~一八九六歌 「右柿本朝臣人麻呂歌集出」
一八九七~一九二三歌までは、「寄△」で、鳥、花、霜、霞、雨、草、待つ、雲となっている。
一九二四~一九三六歌は、詳細は略するが、「贈蘰」「悲別」「問答」
【夏雑歌】
詠鳥 一九三七~一九三八歌 「右古歌歌集中出」
一九三九~一九六三歌
一九六四~一九七五歌 「詠△」で、蝉、榛、花榛
一九七六~一九七八歌は、「問答」「譬喩歌」
【夏相聞】
一九七九~一九九五歌 「寄△」 鳥、蝉、草、花、露、日
【秋雑歌】
七夕 一九九六~二〇三三歌 此歌一首庚辰年作之 「右柿本朝臣人麻呂歌集出」 二〇三四~二〇九三歌
詠花 二〇九四~二〇九五歌 「右二首柿本朝臣人麻呂歌集出」
二〇九六~二一二七歌
二一二八~二一七七歌 「詠△」 雁、鹿鳴、蝉、蟋、蝦、鳥、露、山
詠黄葉 二一七八~二一七九歌 「右二首柿本朝臣人麻呂歌集出」
二一八〇~二二一八歌
二二一九~二二三三歌 「詠△」 水田、河、月、風、芳
詠雨 二二三四歌 「右一首柿本朝臣人麻呂歌集出」
二二三五~二二三七歌
詠霜
【秋相聞】
二二三九~二二四三歌 「右柿本朝臣人麻呂歌集出」
二二四四~二三〇四歌 「寄△」 水田、露、風、雨、蟋、蝦、雁、鹿、鶴、草、花、山、黄葉、月、夜、衣
二三〇五~二三〇八歌 「問答」「譬喩歌」「旋頭歌」
【冬雑歌】
二三一二~二三一五歌 「右柿本朝臣人麻呂歌集出」
二三一六~二三三二歌 「詠△」 雪、花、露、黄葉、月
【冬相聞】
二三三三~二三三四歌 「右柿本朝臣人麻呂歌集出」
二三三五~二三五〇歌 「寄△」 梅雨、霜、雪、花、夜
巻十の構成について、神野志隆光氏は、「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」の中で、「それぞれの季節の雑歌・相聞の部の先頭に、人麻呂歌集歌を、主題的標題を示すことなく配置します。(少し例外的な要素はあるが、中略)いずれも、その部のはじめに置かれます。こうして見渡すと、人麻呂歌集歌の特別な位置は明らかです。あとにつづく歌をみちびくものとしてあるということができます。いいかえれば、人麻呂歌集歌を拡大して季節の歌があるというかたちです。」そして、「季節の多様な展開があることを、巻十のこの構成は示しています。つまり、季節の歌の世界を開示するものとして、人麻呂歌集歌は、『万葉集』において意味をあたえられているのです。」と述べておられる。さらに、「人麻呂歌集歌を拡大して歌の世界のひろがりをあらわしだすことは、巻十一、十二も同じです。」と書かれている。
巻十は、柿本人麻呂歌集、古歌集などから構成されている。「夏雑歌」の題詞「詠鳥」も時鳥二首、呼子鳥一首、続いてまた時鳥となっており別の歌集か資料から持ってきたとの指摘もある。これらのことから、柿本人麻呂歌集の万葉集における位置づけや、構成から万葉集を解析していくことなど多くを学べるのである。一歩でも万葉集に近づきたいものである。
万葉集の構成からもいろいろと学ぶことができる。万葉集の万葉集たる所以であるとともにこのような世界まで首を突っ込んでいかないと万葉集を理解することができない、ますます時間軸ばかりでなく遠い存在である認識のみが強くなってくるがそれだけに挑戦しがいのあるテーマとなる。一歩でも二歩でも近づきたい。まず、万葉歌碑を巡ることから始めているが、「継続」させ、そこから「力」を得たいものである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)
★「weblio古語辞書 学研全訳古語辞典」