万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その127の1改)―奈良県橿原市南浦町万葉の森―万葉集 巻五 七九八

万葉歌碑めぐり―その127の1―

●歌は、「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」である。

 

●歌碑は、奈良県橿原市南浦町万葉の森にある。橿原万葉の森第7弾である。

 

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奈良県橿原市南浦町万葉の森万葉歌碑(山上憶良

 万葉の森の歌碑は、この写真のように、上から見るとL字型の板塀で囲ったものや瓦やねの白塀で囲ったものがあり、静かな自然の小径の側で、きりっとした佇まいを演出してある。

 

歌をみていこう。

◆伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓

       (山上憶良 巻五 七九八)

 

≪書き下し≫妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに

 

(訳)妻が好んで見た楝(あふち)の花は、いくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。妻を悲しんでなく私の涙はまだ乾きもしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)楝(あふち)の花:せんだんの花。筑紫の楝の散りそうなのを見つつ奈良の楝を思っている。

 

 この歌は、題詞「日本挽歌一首」(巻五 七九四歌)の長歌反歌五首(七九五~七九九歌)の一首である。

ここで、「日本挽歌」とあるのは、漢文(前文として)と漢詩と「日本挽歌」とからなる一つの作品として万葉集に収録されているのである。

 

 ボリュームがあるので、「漢文と漢詩」と「日本挽歌」の二回に分けて紹介することに挿せていただく。

前文としての漢文からみていこう。

 

【漢文】盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来二鼠競走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝  素質与四徳永滅 何圖 偕老違於要期獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉

 

≪漢文の書き下し≫けだし聞く、四生(ししょう)の起滅(きめつ)は夢(いめ)のみな空(むな)しきがごとく、三界(さんがい)の漂流(へふる)は環(わ)の息(とど)まらぬがごとし。このゆゑに、維摩大士(ゆいまだいじ)も方丈(はうぢやう)に在(あ)りて染疾(ぜんしつ)の患(うれへ)を懐(むだ)くことあり、釋迦能仁(しゃかのうにん)も双林(さうりん)に坐(ざ)して泥洹(ないをん)の苦しびを免れたまふことなし、と。

故(そゑ)に知りぬ、二聖(にしやう)の至極(しごく)すらに力負(りきふ)の尋(たづ)ね至ることを払(はら)ふことあたわず、三千世界に誰(た)れかよく黒闇(こくあん)の捜(たづ)ね来(きた)ることを逃(のが)れむ、といふことを。二鼠(にそ)競(きほ)ひ走りて、度目(ともく)の鳥旦(あした)に飛ぶ、四蛇(しだ)争(いそ)ひ侵(をか)して、過隙(くわげき)の駒夕(ゆうへ)に走る。ああ痛きかも。

紅顏(こうがん)は三従(さんじう)とともに長逝(ちょうせい)す、素質(そしつ)は四徳(しとく)とともに永滅(えいめつ)す。何ぞ図(はか)りきや、偕老(かいらう)は要期(えうご)に違(たが)ひ独飛(どくひ)して半路(はんろ)に生(い)かむとは。蘭室(らんしつ)には屏風(へいふう)いたづらに張り、断腸(だんちやう)の哀(かな)しびいよよ痛し、枕頭(しんとう)には明鏡(めいきやう)空(むな)しく懸(か)かり、染筠(ぜんゐん)の涙(なみた)いよいよ落つ。泉門(せんもん)ひとたび掩(と)ざされて、

また見るに由なし。ああ哀(かな)しきかも。

 

(漢文訳)聞くところによれば、万物の生死は夢がすべてはかないのと似ており、全世界の流転は輪が繋がって終わることがないのに似ている。こういうわけで、維摩大士も方丈の室(しつ)で病気の憂いを抱くことがあったし、釈迦能仁も沙羅双樹の林で死滅の苦しみから逃れることはできなかった、とのことである。かくして知ることができる。この無上の二聖人でさえも、死の魔の手の訪れを払いのけることはできず、この全世界の間、死神が尋ねてくるのをかわすことは誰にもできないということが。この世では、昼と夜とが先を争って進み、時は、朝に飛ぶ鳥が眼前を横切るように一瞬に過ぎてしまうし、人体を構成する地水火風が互いにせめぎ合って、身は、夕べに走る駒が間隙を通り過ぎるように瞬間にして消えてしまうのである。ああ、せつない。

こうして世の中の理(ことわり)のままに、妻の麗しい顔色は三従の婦徳とともに永遠に消え行き、その白い肌は四徳の婦道とともに永遠に滅び去ってしまった。誰が思い設けたことか、夫婦友白髪の契りは空しくも果たされず、まるではぐれ鳥のように人生半ばにして独りわびしく取り残されようとは。かぐわしい閨(ねや)には屏風が空しく張られたままで、腸もちぎれるばかりの悲しみはいよいよ深まるばかり、枕元には明鏡が空しく懸かったままで、青竹の皮をも染める涙がいよいよ流れ落ちる。しかし、黄泉(よみ)の門がいったん閉ざされたからには、もう二度と見る手立てはない。ああ、悲しい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)四生:胎生・卵生・湿性・化生。一切の生物をいう仏教語

(注)三界:欲界・色界・無色界。生物が住む全世界

(注)維摩大士:釈迦と同時代のインドの長者。大士は、仏や菩薩の尊称。

(注)釈迦能仁:「能仁」は釈迦の漢訳名で、ここは尊称

(注)双林:釈迦が真だ沙羅双樹の林。

(注)黒闇:黒闇天女。死や不幸の象徴

(注)二鼠:黒白二鼠。昼と夜の譬え。

(注)四蛇:四つの毒蛇。

(注)三従:婚前は父に、婚後は夫に、夫の死後は子に従うこと。

(注)四徳:女の守るべき徳。婦徳・婦言・婦容・婦功

(注)偕老:夫婦共白髪の契り

(注)独飛:連れを失った鳥が独り飛ぶこと

 

漢詩】      【漢詩書き下し】

 愛河波浪已先滅   愛河(あいが)の波浪は」すでにして滅ぶ 

 苦海煩悩亦無結   苦海(くがい)の煩悩もまた結ぼほるることなし

 従来厭離此穢土   従来(もとより)この穢土(ゑど)を厭離す、  

 本願託生彼浄刹   本願(ほんぐわん)生(しやう)を

           その浄刹(じやうせつ)に託(よ)せむ。

 

(訳)いとしい妻はすでに死んでしまって、

   身を襲う煩悩も結ばれることなくただ揺れ動くばかり

   私は前ゝからこの穢(けが)れた地上から逃れたいと思っていた。

   乞い願わくば、仏の本願にすがって、妻のいるかの極楽浄土に命を

   寄せたいものだ、(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)愛河:(仏語)愛欲などの執着が人をおぼれさせるのを河に例えた語。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)苦海:(仏語)苦しみの絶えないこの世を海にたとえていう語。苦界(くがい)とも。(同上)

(注)穢土:穢れた地上。人間世界。

(注)浄刹:清浄な国土。浄土。(同上)

 

 漢文、漢詩、万葉歌、すべて「漢字」で書かれている。しかし、万葉歌の場合は「一字一音の仮名」で書かれている。これについてもその2で補足していきたい。

 

 万葉集は巻一から巻十六(第一部)と巻十七から巻二十(第二部)の二つに大別されるという。この断層について、伊藤 博氏は「万葉集 四」(角川ソフィア文庫)の「解説」の中で、三点あげておられる。

 ①第一部は天平十六年(七四四)ころまでの歌の集合とみられるのに、第二部はほとんど天平十八年以降の歌によって成る。

 ②第一部はほとんど部立を立てているのに、第二部はそれがない。

 ③第一部にはさまざまな資料による詳しい校合があるのに、第二部にはそれがない。

さらに、第一部の巻一から巻六は、古歌巻(巻一,二の「白鳳の歌」)、古今歌巻(巻三、四の「白鳳と奈良の歌」)、今歌巻(巻五、六の「奈良の歌」)という構成になっている。しかも、この六巻は、作者の知られる歌、したがって時代も知られる歌のみを集め、作者記名の部としてのまとまりがあるという。

この巻一から巻六にあって、巻五のみ歌が「一字一音の仮名」で書かれているのである。この特異性の解明も課題である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界―」 神野志隆光 (東京大学出版会

 ※ 20210131 改訂