●歌は、「思はぬを思ふと言はば真鳥棲む雲梯の社の神し知らさむ」である。
●歌をみていこう。
◆不想乎 想常云者 真鳥住 卯名手乃社之 神思将御知
(作者未詳 巻十二 三一〇〇)
≪書き下し≫思はぬを思ふと言はば真鳥(まとり)棲(す)む雲梯(うなて)の社(もり)の神し知らさむ
(訳)思ってもいないのに思っているなど言おうものなら、恐ろしい鷲(わし)の棲む雲梯(うてな)の社の神様が見通して処分されることであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)まとり【真鳥】:鳥の美称。多く、鷲(わし)をさす。(weblio辞書 三省堂大辞林)
(注)しらす 【知らす・領らす】( 連語 )〔「しる」に上代の尊敬の助動詞「す」が付いたもの〕① お知りになる。知っていらっしゃる。
② 国を統治される。しろす。しろしめす。(weblio辞書 三省堂大辞林)
河俣神社は、南都銀行ポータルサイト「ええ古都なら」によると、「曽我川の畔に建つ万葉の古社。曽我川の東岸、近鉄坊城駅から歩いて15分ほどのところに鎮座する。曽我川の堤は春は桜並木、秋は紅葉が美しい。祭神は鴨八重事代主神(かものやえことしろぬしのかみ)。延喜式内社(えんぎしきないしゃ)にある高市郡の高市御県坐鴨事代主神社(たかいちみあがたにいますかものことしろぬしじんじゃ)と考えられている。現在も、大阪の住吉神社が畝傍山(うねびやま)の埴土(はにつち)を採取しに来る行事の際のお旅所となっており、ここで装束を整えることから「装束の宮」の名前でも親しまれている。」とある。
磐余神社から、雲梯町(うなてちょう)の河俣神社(かわまたじんじゃ)を目指す。神社には、駐車場がないので、「河俣神社」名碑が立っている、曽我川にかかる戎智橋の手前のちょっとしたスペースに車を止める。
参道があり、途中に鳥居が立っている。さらに奥に、境内を囲むように石柱塀が立っている。石柱塀から少し奥に入ったところにも鳥居が立っている。
拝殿に向かって右手、曽我川側の石柱塀のうしろに歌碑がある。
歌碑と反対側の石柱塀にそって左に進むと、畑があり、視界が広がる。畝傍山がくっきりと見える。
曽我川に沿って桜の木が何本も植えられているので、春は見事な景色を見せることだろう。
「真鳥住 卯名手乃杜」と詠いこんだ歌が一三四四歌である。
◆真鳥住 卯名手之神社之 菅根乎 衣尓書付 令服兒欲得
(作者未詳 巻七 一三四四)
≪書き下し≫真鳥(まとり)棲む雲梯(うなて)の杜(もり)の菅(すが)の根を衣(きぬ)にかき付け着せむ子もがも
(訳)鷲が棲(す)む雲梯(うなて)の杜(もり)の長い菅(すげ)の根、その根を衣(きぬ)に描き付けて着せてくれるかわいい子がいたらいいのになあ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)もがも:終助詞 《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。
〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。
(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
鷲が住むような森があり、雲に届かんばかりの高い木々が、梯子のように見えたので雲梯(うなて)と名付けられたのだろうか。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)
※20211230朝食関連記事削除、一部改訂