万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その139改)―奈良県橿原市別所町の別所池―万葉集 巻十 二二八九

●歌は、「藤原の古りにし郷の秋萩は先て散りにき君待ちかねて」である。 

 

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奈良県橿原市別所町 別所池万葉歌碑(作者未詳)

この歌碑は、奈良県橿原市別所町 別所池畔にある。

 

別所池の道路をはさんだ南側に「史跡 藤原京朱雀大路跡」の碑と説明案内板がある。

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史跡藤原京朱雀大路跡碑と説明案内板

 雑草が茂っており、車からは池を確認できなかった。史跡藤原京朱雀大路跡の碑が見えたので、車を止める。雑草の隙間から池らしきものが見えたので近づいてみると、柳の木の根元あたりに歌碑があることが分かった。

 

 歌をみていこう。

◆藤原 古郷之 秋芽子者 開而落去寸 君待不得而

             (作者未詳 巻十 二二八九)

≪書き下し≫藤原(ふぢはら)の古(ふ)りにし里の秋萩は咲きて散りにき君待ちかねて

 

(訳)藤原の古さびた里の秋萩の花は、もう咲ききって散ってしまいました。あなたのお越しを待ちあぐんで。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)藤原古郷:和銅三年(710年)奈良遷都以降、古京となる。

 

 藤原京は、北に耳成山、東に香具山、西に畝傍山を望める、大和三山のほぼ真ん中の位置にある。持統天皇の八年(694年)飛鳥浄御原宮から藤原京に移り、和銅三年(710年)平城京に都が移されるまで十六年間、都であった。

 藤原京は、南北中央に朱雀大路を配し、南北の大路と東西の大路を碁盤の目のように組み合わせて左右対称とする「条坊制」を採用した、日本初の唐風都城である。持統天皇にとって新たな都の造営は、中央集権国家の確立に欠かせない一大事業であった。規模は平城京平安京をしのぐ古代最大の都といわれっている。

 藤原宮跡の碑がある北側の醍醐池畔には持統天皇の「春過ぎて夏来るらし白栲の衣乾したり天の香具山」の歌碑がある。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)

★「橿原市観光協会サイト さらら」

 

●今日のザ・サンドイッチモーニング&フルーツフルデザート

 

 サンドイッチは、サンチュと焼き豚そしてトマトである。ご近所さんからいただいた野菜をオブジェ的に配した。デザートは、デザート皿の外円にりんごのスライスを配し、中央部にレッドグローブを据えた。中央周辺に、トンプソンとクリムゾンシードレスのスライスで加飾した。

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7月19日のザ・モーニングセット

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7月19日のフルーツフルデザート