万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その148)―明日香村万葉文化館(2)―万葉集 巻七 一〇九九

●歌は、「片岡のこの向つ峰に椎蒔かば今年の夏の蔭にならむか」である。

 

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奈良県立万葉文化館万葉歌碑(作者未詳)

●この歌碑は、奈良県高市郡明日香村 万葉文化館にある。文化館前庭2つ目の歌碑である。

 

●歌をみていこう。

◆片岡之 此向峯 椎蒔者 今年夏之 陰尓将化疑

                (作者未詳 巻七 一〇九九)

                              

≪書き下し≫片岡(かたをか)のこの向(むか)つ嶺(を)に椎(しひ)蒔(ま)かば今年(ことし)の夏の陰(かげ)にならむか

 

(訳)片岡という名の、この向かいの高みに椎の実を蒔いたなら、今年の夏の日蔭になり代わるであろうか。

(注)片岡:奈良県北葛城郡香芝市一帯の丘陵地帯か

 

 香芝市は、二上山の北側に位置している。二上山については、香芝市のHPに「奈良盆地の北西部、奈良県大阪府が境を接するあたりに位置し、雄岳と雌岳が寄り添って並ぶ二上山。左右に金剛・葛城山系と信貴・生駒山系をしたがえ、四季折々、季節のうつろいの中でその優美な姿を変えていきます。雄岳の頂上には、謀反の罪で命を落とした悲劇の皇子・大津皇子が眠ります。古くは『万葉集』に詠まれ、万葉の「ふたかみやま」として古代史の舞台ともなりました。

 また、二上山は千数百万年前には活発な火山活動がありました。噴火によって多くの火成岩が分布していますが、なかでもサヌカイト・凝灰岩・金剛砂はその後の人類文化の発展に大きく寄与した岩石、鉱物です。

 二上山は美しい山容によって人々に深い感銘を与えてきただけでなく、人々の暮らしのなかで深いかかわりをもってきたのです。」とある。

 大津皇子の屍(かばね)を葛城(かつらぎ)の二上山に移し葬(はふ)りし時、大来皇女(おおくのひめみこ)哀傷(かなし)みて御作歌の、「うつそみの人なる吾や明日よりは二上山(ふたがみやま)を兄弟(いろせ)とわが見む」(巻二 一六五)はあまりにも有名である。

 奈良県香芝市穴虫と大阪府太子町春日の間に穴虫峠がある。大阪から奈良へ抜ける一つの交通路であった。太子町は聖徳太子ゆかりの地である。

 さらに南には、日本書紀推古天皇21年(613年)の条に、「難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」とある。この道は、太子町HPによると、「この道が長い時代を経て『竹内街道』と呼ばれるようになりました。飛鳥時代シルクロードの東端であるこの道を通じて、中国大陸や朝鮮半島の文化がもたらされました。」とある。大阪堺から奈良明日香にいたる道である。大阪側には仁徳天皇の御陵があり、万葉ロマンをかきたてる。いつか、こういった街道も散策してみたい。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」

★「大阪府太子町HP」

★「奈良県香芝市HP」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、小さめに切り、卵、ハム等をはさんだものを、バイキング形式にした。デザートはキウイの輪切りを4枚並べ、バナナ、トンプソンとクリムゾンシードレスで加飾した。

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7月28日のザ・モーニングセット

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7月28日のフルーツフルデザート