●歌は、「飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ」である。
●この歌碑は、奈良県高市郡明日香村 飛鳥川右岸、雷橋上流300mあたりにある。
甘樫丘中腹の万葉歌碑を訪ねたあと、ゆっくり下山気分で甘樫茶屋を左折豊浦休憩所方面に向かう。
休憩所には、ご婦人が座っておられ、座禅のようにに微動だにされない。飛鳥川を見やりながら飛鳥風に吹かれておられるのだろう。
「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」によると、雷橋から甘樫橋の間に3箇所万葉歌碑がある。休憩所右手反対側の土手の道に歌碑らしいものが見えた。反対側まで移動することに。その間、こちら側の土手の道沿いも注意深く探しながら歩く。雷橋を右折し、反対側の土手の道を上流に向かって歩く。しばらく行くと、民家の前の川側に歌碑がほぼ道に直角になるように立ててある。歌碑には、「なでしこ」と彫り込んであり、「わが屋外に蒔きし撫子いつしかも花に咲きなむなそへつつ見む」<注:撫子は 「『目+目の下に佳』と麦」とある。
歌碑の前にはきれいにベコニアが等間隔で植えてある。わざわざ「なでしこ」と題して、万葉調につくった歌を歌碑に仕立てたのだろうと思い込んでしまった。写真を撮っておいてあとで違えば消せば済むことなのに、なぜか写真を撮る気にもならなかったのである。これが、大伴家持の歌で、家持はなでしこの歌を結構詠んでいるのは帰ってから念のためと調べて分かったことである。あー、ど素人判断。次の機会に訪れよう。
間もなく、反対側の豊浦休憩所が見えて来る。その前の川に降りられるような石段がある。増水で水かさが増しているが、その石段下の右手に倒れた雑草の下に歌碑らしいものが見えた。甘樫橋を渡ってぐるっと一周して確認に向かう。
先ほど豊浦休憩所側から見た歌碑らしきものが、「飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ」である。
●歌をみていこう。
◆飛鳥明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武 一云君之當乎不見而香毛安良牟
(作者未詳 巻一 七八)
≪書き下し≫飛ぶ鳥の明日香(あすか)の里を置きて去(い)なば君があたりは見えずかもあらむ<一には「君があたりを見ずてかもあらむ」といふ>
(訳)飛ぶ鳥鎮め給う明日香の里よ、この里をあとにして行ってしまったなら、君のいらっしゃるあたりは、見えなくなってしまうのではなかろうか。<大切な君のいらっしゃるあたりなのに、ここを見ないで過ごすことになるというのか>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞
①地名の「あすか(明日香)」にかかる。「とぶとりの明日香の里」
②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。
※参考:天武(てんむ)天皇の時代、赤い鳥を献上した者があったので、明日香にあった宮殿の「浄御原宮(きよみはらのみや)」に「とぶとりの」を冠して、「飛鳥浄御原宮(とぶとりのきよみはらのみや)」と改めたことにより、地名「明日香」の枕詞(まくらことば)となり、さらに「明日香」も「飛鳥」と書かれるようになった。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「和銅三年庚戌春二月従藤原宮遷于寧楽宮時御輿停長屋原廻望古郷作歌 一書云太上天皇御製」<和銅三年庚戌(かのえいぬ)の春の二月に、藤原の宮より寧楽の宮に遷(うつ)る時に、御輿(みこし)を長屋の原に停(とど)め、古郷(ふるさと)を廻望(かへりみ)て作らす歌」<一書には「太上天皇の御製」といふ>である。
(注)長屋の原:天理市南部に「永原町」があるがこの辺りではといわれている。藤原京と平城京の中間。ここで旧都への手向けの礼が行われたのではという。
元明天皇は、奈良時代前期の天皇。天智天皇の皇女。草壁皇子の妃となり,文武(もんむ)天皇・元正(げんしょう)天皇を産む。707年即位。708年和同開珎(わどうかいちん)をつくり,710年平城京遷都。712年《古事記》,713年《風土記》を編纂(へんさん)。715年元正天皇に譲位。(コトバンク 百科事典マイペディア)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「コトバンク 百科事典マイペディア」
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、ロメインレタスとトマトそして焼き豚である。デザートは、切子の器を使った。スイカを細長い楔形に切り、6本ヨーグルトに差し込み、トンプソンとクリムゾンシードレスで加飾。中心部は同切合わせを置いた。