●歌は、天武天皇の「我が里に 大雪降れり 大原の古りにし里に 降らまくは後」と、藤原夫人の「我が岡の 龗に言ひて 降らしめし雪の摧けし そこに散りけむ」である。
●まず、天武天皇の歌からみていこう。
◆吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後
(天武天皇 巻二 一〇三)
≪書き下し≫我(わ)が里に大雪(おほゆき)降(ふ)れり大原(おほはら)の古(ふ)りにし里に降(ふ)らまくは後(のち)
(訳)わがこの里に大雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、ずっとのちのことでござろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
標題は、「明日香清御原宮御宇天皇代 天渟中原瀛真人天皇謚天武天皇」<明日香(あすか)の清御原(きよみはら)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇の代 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)謚(おくりな)して天武天皇(てんむてんのう)といふ>
題詞は、「天皇賜藤原夫人御歌一首」<天皇、藤原夫人(ふぢはらのぶにん)に賜ふ御歌一首>である。
(注)藤原夫人:藤原鎌足の女(むすめ)、五百重娘(いおえのいらつめ)
次に、藤原夫人の歌をみてみよう。
◆吾岡之 於可美尓言而 令落 雪之摧之 彼所尓塵家武
(藤原夫人 巻二 一〇四)
≪書き下し≫我が岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ
(訳)私が住むこの岡の水神に言いつけて降らせた雪の、そのかけらがそちらの里に散ったのでございましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)おかみ:水を司る龍神
(注)ふじん【夫人】名詞:天皇の配偶者で、皇后・妃に次ぐ位の女性。「ぶにん」とも。
題詞は、「藤原夫人奉和歌一首」<藤原夫人、和(こた)へ奉(まつ)る歌一首>である。
犬養孝氏は、その著「万葉の大和路」(旺文社文庫)のなかで、「珍しい雪の降ったとき、天武天皇は、(一〇三歌を詠って)大原の里に帰っていた藤原夫人にこの歌を贈った。めったに降らない雪だから『大雪』といって喜びをあらわし、ユーモアたっぷりとエバってみせたのであろう」これに対して、夫人は、(一〇四歌を)返したのである。「『わたしの岡のその神様が、降らさせた雪のトバッチリが、そこに散らばっただけじゃないの』とは、なんと親しい女性らしく、ユーモアたっぷりに、こきざみにつねって来ているではないか。古代宮廷における夫婦間の愛情のやりとりではなかろうか。まことに心たのしい雪の日の問答である」と書いておられる。
歌碑も仲睦まじく一つに収まっており、ほほえましく思えるのである。
このような、ユーモアたっぷりな歌をも収録するところも、万葉集の万葉集たる所以であるように思える。
この辺りは、大原の里とよばれており、藤原鎌足の誕生地といわれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の大和路」 犬養 孝/文 入江泰吉/写真 (旺文社文庫)
★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
※20210718朝食関連記事削除、一部改訂