●歌は、「大口の 真神の原に 降る雪はいたくな降りそ 家もあらなくに」である。
●歌碑は、奈良県高市郡明日香村 明日香民族資料館横あすか夢展望台前にある。
●歌をみていこう。
◆大口能 真神之原尓 零雪者 甚莫零 家母不有國
(舎人娘子 巻八 一六三六)
≪書き下し≫大口(おほぐち)の真神(まかみ)の原(はら)に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに
(訳)真神の原に降る雪よ、そんなにひどく、降らないでおくれ。このあたりに我が家があるわけでもないのに。
(注)おほくちの【大口の】分類枕詞:「真神(まかみ)」と呼ばれた狼(おおかみ)が大きな口であるところから、地名「真神の原」にかかる。
(補足)奈良県HPの「はじめての万葉集(vol.44)」にこの歌に関する詳しい説明が載っているので、一部引用させていただく。「日本で最後にニホンオオカミが捕獲されたのは、奈良県の東吉野村です。(中略)古代の人びとはオオカミを神として畏(おそ)れていたようです。今回の歌は、このオオカミにまつわる一首です。
この歌には、「真神が原」という地名が詠まれています。「真神が原」は、「明日香の 真神が原」(巻二・一九九)とも詠まれており、現在の明日香村にある飛鳥寺や万葉文化館付近の一帯を指す呼称と推定されています。そもそも、古代では恐ろしい動物を神と呼ぶことがあり、この「真神」という言葉はオオカミを指すと考えられています。その「真神」の枕詞である「大口の」は、オオカミの大きな口をイメージさせます。この「真神が原」という呼称は、神であるオオカミが住むような、畏れと神聖さの入り交じった特別な原であったことを意味しているのでしょう。(後略)」
題詞は。「舎人娘子雪歌一首」<舎人娘子(とねりのをとめ)が雪の歌一首>である。
舎人娘子の歌は、万葉集に三首収録されている。他の二首をみていこう。
◆大夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之
(舎人娘子 巻一 六一)
≪書き下し≫ますらをのさつ矢手挟(てばさ)み立ち向ひ射る円方(まとかた)は見るにさやけし
(訳)ますらおが、さつ矢を手挟んで、立ち向かいさかんに射貫(いぬ)く的(まと)、その名の円方(まとかた)の浜は、見るからにすがすがしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)さつや 猟矢】名詞:獲物を得るための矢。
題詞は、「舎人娘子従駕作歌」<舎人娘子(とねりのをとめ)、従駕(おほみとも)にして作る歌>である。
(注)じゅうが【従駕】:天子の行幸に随行すること。また、高位高官の人の車駕に随行すること。 伊藤氏は「おほみとも」と読まれている。
◆嘆管 大夫之 戀礼許曽 吾髪結乃 漬而奴礼計礼
(舎人娘子 巻二 一一八)
≪書き下し≫嘆きつつますらをのこの恋ふれこそ我(わ)が結(ゆ)ふ髪の漬(ひ)ちてぬれけれ
(訳)ご立派な男の方が嘆き苦しんで恋い慕って下さるので、しっかり結んだ私の髪がその嘆きの霧にびしょびしょ濡れてひとりでにほどけたのですね、なるほど、道理のあることでした。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ひつ 【漬つ・沾つ】ひたる。水につかる。ぬれる。
(注)ぬる:ほどける。ゆるむ。抜け落ちる。
(注)嘆きは霧に立つという当代の発想
題詞は、「舎人娘子奉和歌一首」<舎人娘子(とねりのをとめ)、和(こた)へ奉(まつ)る歌一首>である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」