万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その175)―飛鳥橋北側緑地―

●歌は、「明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし」である。

 

f:id:tom101010:20190824204519j:plain

飛鳥橋北側緑地万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、奈良県高市郡明日香村 飛鳥橋北側緑地にある。

 

 7月8日の3回目の明日香村めぐりで、「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」に従って、15か所の犬養孝氏揮毫の歌碑をすべて回った。

 今回(7月17日)は4回目の明日香村挑戦であるが、同氏揮毫以外の万葉歌碑を、同マップならびに「奈良女子大万葉歌碑データベース」をもとにグーグルアースで確認しながら計画をたてる。

 飛鳥橋北側➡飛鳥寺➡橘寺西入口前➡(橘寺東側明日香川沿い)➡伝飛鳥板葺宮跡➡万葉文化館交差点➡祝戸玉藻橋畔 ※(  )は、重複

 

 ※「橘寺東側明日香川沿い」の歌碑は、当初の計画に従って橘寺西入口前の歌碑を見て、次いで、橘寺東側明日香川沿いの歌碑を目指したのである。橘寺をほぼ半周し、明日香川沿いとあるから、明日香川を探す。川の流れの音をたよりに漸く川沿いにでる。橋を渡ってしばらく行くと、なんとなく見た景色が。「犬養孝氏揮毫の万葉歌碑マップ」にあった「飛鳥周遊歩道 南都銀行明日香支店付近の飛鳥川沿い」の歌碑である。前回は上流へアプローチしたが、今回は下流方向にアプローチしていたのだ。土地勘がないというのはこういうことである。

 

 マップを見て、飛鳥橋近くの甘樫丘川原展望台入口の駐車場に車を止め歩けば良いと考えた。走っていると飛鳥橋の近くに緑地があったが、そこから駐車場まではそこそこの距離がある。一旦駐車場に入り、コーヒータイムをとる。もとに戻り、飛鳥橋の緑地の反対側のスペースの車を止め、歌碑を探す。緑地帯のほぼ真ん中に歌碑があった。

 

f:id:tom101010:20190824204806j:plain

飛鳥橋と甘樫丘遠望

●歌をみていこう。

◆明日香川 四我良美渡之 塞益者 進留水母 能杼尓賀有萬思 一云水乃与杼尓加有益す

              (柿本人麻呂 巻二 一九七)

 

≪書き下し≫明日香川しがらみ渡し塞(せ)かませば流るる水ものどにかあらまし<一には、「水の淀にかあらまし」といふ>

 

(訳)明日香川、この川にしがらみを掛け流して塞きとめたなら、激(たぎ)ち流れる水もゆったりと逝くであろうに。<水が淀(よど)みでもすることになるであろうか>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「明日香皇女木瓲殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌」<明日香皇女(あすかのひめみこ)の城上(きのへ)殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首并せて短歌>であり、この歌は、短歌二首のうちの一首である。

 

 長歌ならびにもう一首の短歌もみていこう。

 

◆飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡<一云、石浪> 下瀬 打橋渡 石橋<一云、石浪> 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾王乃 立者 玉藻之母許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春部者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 雖見不猒 三五月之 益目頬染 所念之 君与時ゝ 幸而 遊賜之 御食向 木瓲之宮乎 常宮跡 定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨<一云、所己乎之毛> 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬<一云、為乍> 朝鳥<一云、朝霧> 往来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼往此去 大船 猶預不定見者 遺問流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将往 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此焉

                   (柿本人麻呂 巻二 一九六)

 

≪書き下し≫飛ぶ鳥 明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 石橋(いしはし)渡す<には「石並」という> 下(しも)つ瀬に 打橋(うちはし)渡す 石橋に<一には「石並」という> 生(お)ひ靡(なび)ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もば 枯(か)るれば生(は)ゆる なにしかも 我(わ)が大王の 立たせば 玉藻のもころ  臥(こ)やせば 川藻のごとく 靡かひし 宣(よろ)しき君が 朝宮(あさみや)を 忘れたまふや 夕宮(ゆふみや)を 背(そむ)きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは  花折りかざし 秋立てば 黄葉(もみぢば)かざし 敷栲(しいたへ)の 袖たづさはり 鏡なす 見れど飽かず 望月(もちづき)の いや愛(め)づらしみ 思ほしし 君と時時(ときとき) 出でまして 遊びたまひし 御食(みけ)向(むか)ふ 城上(きのへ)の宮を  常宮(とこみや)と 定めたまひて あぢさはふ 目言(めこと)も絶えぬ  しかれかも<一には、そこをしも」といふ> あやに悲しみ ぬえ鳥(どり)の 片恋(かたこひ)づま<一には「しつつ」といふ> 朝鳥(あさとり)の<一には、「朝霧の」といふ> 通(かよ)はす君が 夏草の 思ひ萎(しな)えて 夕星(ゆふづつ)の か行き 大船(おほぶね)の たゆたふ見れば 慰(なぐさ)もる 心もあらず そこ故(ゆゑ)に 為(せ)むすべ知れや 音(おと)のみも 名のみも絶えず 天地(あめつち)の いや遠長(とほなが)く 偲ひ行かむ 御名(みな)に懸(か)かせる 明日香川 万代(よろづよ)までに はしきやし 我が大君の 形見(かたみ)にここを

 

(訳)飛ぶ鳥明日香の川の、川上の浅瀬に飛石を並べる<石並を並べる>、川下の浅瀬に板橋を掛ける。その飛石に<石並に>生(お)い靡いている玉藻はちぎれるとすぐまた生える。その板橋の下に生い茂っている川藻は枯れるとすぐまた生える。それなのにどうして、わが皇女(ひめみこ)は、起きていられる時にはこの玉藻のように、寝(やす)んでいられる時にはこの川藻のように、いつも親しく睦(むつ)みあわれた何不足なき夫(せ)の君の朝宮をおわすれになったのか、夕宮をお見捨てになったのか。いつまでもこの世のお方だとお見うけした時に、春には花を手折って髪に挿し、秋ともなると黄葉(もみじ)を髪に挿してはそっと手を取り合い、いくら見ても見飽きずにいよいよいとしくお思いになったその夫の君と、四季折々のお出ましになって遊ばれた城上(きのえ)の宮なのに、その宮を、今は、永久の御殿とお定めになって、じかに逢うことも言葉を交わすこともなされなくなってしまった。そのためであろうか<そのことを>むしょうに悲しんで片恋をなさる夫の君<片恋をなさりながら>、朝鳥のように<朝霧のように>城上の殯宮に通われる夫の君が、夏草の萎えるようにしょんぼりして、夕星のように行きつ戻りつ心落ち着かずにおられるのを見ると、私どももますます心晴れやらず、それゆえどうしてよいかなすすべを知らない。せめて、お噂(うわさ)だけ御名(みな)だけでも絶やすことなく、天地(あめつち)とともに遠く久しくお偲(しの)びしていこう。その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも・・・・・・、ああ、われらが皇女の形見としてこの明日香川を。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ををる【撓る】(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる。

(注)とこみや【常宮】永遠に変わることなく栄える宮殿。貴人の墓所の意でも用いる。「常(とこ)つ御門(みかど)」とも。

(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。

 

短歌のもう一首もみてみよう。

 

◆明日香川 明日谷<一云佐倍> 将見等 念八方<一云念香毛> 吾王 御名忘世奴<一云御名不所忘>

                 (柿本人麻呂 巻二 一九八)

 

≪書き下し≫明日香川(あすかがわ)明日(あす)だに<一には、「さへ」といふ>見むと思へやも<一には「思へかも」といふ>我(わ)が大君の御名(みな)忘れせぬ<一には「御名忘らえぬ」といふ>

 

(訳)明日香川がこの川の名のように、せめて明日だけでもお逢いしたいと来る日も来る日もおもっているからなのか、いやもうお逢いできないとは知りながら、我が皇女の御名を忘れることができない。<これまでのように明日もお逢いしたいと思うからか、わが皇女の御名が忘れられない>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「犬養孝氏揮毫の万葉歌碑マップ(明日香村)」

★「万葉歌碑データベース」(奈良女子大)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチはいつもと同じ、レタス、トマトそして焼き豚である。デザートは、少し変化を求めて、2階建てにした。下段の皿にはヨーグルトを入れ、スイカで上段を支えるイメージでスイカを配した。グラスには、グレープフルーツ(ルビー)の横切りをバナナのスライスで支える感じにし、上下とも、トンプソンとクリムゾンシードレスの切合わせ等で加飾した。

f:id:tom101010:20190824205048j:plain

8月24日のザ・モーニングセット

f:id:tom101010:20190824205130j:plain

8月24日のフルーツフルデザート