●歌は、「采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたづらに吹く」である。
ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その175)」にも書いたが、この日(7月17日)の計画は、橋北側➡飛鳥寺➡橘寺西入口前➡橘寺東側明日香川沿い➡伝飛鳥板葺宮跡➡万葉文化館交差点➡祝戸玉藻橋畔」であった。
川原寺跡前のトイレの駐車場に車を止め、「橘寺西入口前」(バス停「川原」近く)の歌碑を見た後、「橘寺東側明日香川沿い」の歌碑を探してから一旦車に戻り、伝飛鳥板葺宮跡にいくことにしていた。
田んぼ道を橘寺に向かい、北側を廻り込み東門の方に進む。
明日香川沿いとあるから、明日香川を探す。川の流れの音をたよりに坂道を下り、漸く川沿いにでる。橋を渡ってしばらく行くと、歌碑が見えて来た。しかし、周りは、なんとなく以前に見た景色である。歌碑は、「犬養孝氏揮毫の万葉歌碑マップ」にあった「飛鳥周遊歩道 南都銀行明日香支店付近の飛鳥川沿い」の歌碑である。前回は南都銀行明日香支店から上流へアプローチしたが、今回は、橘寺を経由して、上流から下流方向にアプローチしていたのだ。土地勘がないというのはこういうことである。
疲れがどっと出る。気を取り直し、県道155号線「岡」交差点近くに行き着く。「伝飛鳥板葺宮跡」への案内板が見える。400mほどである。駐車場まで戻るのを止め、宮跡を目指すことにする。「飛ぶ鳥明日香」の明日香村役場を通り過ぎ、飛鳥郵便局を左折、200mほど行くと宮跡であった。
「旅する明日香ネット」(明日香村観光ポータルサイト)によると、「乙巳の変(大化改新)のはじまりの舞台となった場所。飛鳥宮跡は、調査で飛鳥板蓋宮(皇極天皇)だけでなく、飛鳥岡本宮(舒明天皇)や、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)など、複数の宮が断続的に置かれたことが判明し、伝飛鳥板蓋宮跡から名称が変更されました。
継続的に発掘調査が行われ、石敷の広場や大井戸跡が出土しています。」と書かれている。平成28年に、「飛鳥宮跡」と変更されたようであるが、現地では、まだ「伝飛鳥板蓋宮跡」となっている。
●歌をみていこう。
ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その155)」にとりあげた、甘樫丘中腹にあった歌碑と同じ歌である。
◆婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
(志貴皇子 巻一 五一)
≪書き下し≫采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風(あすかかぜ)都を遠(とほ)みいたづらに吹く
(訳)采女の袖をあでやかに吹きかえす明日香風、その風も、都が遠のいて今はただ空(むな)しく吹いている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)うねめ【采女】:古代以来、天皇のそば近く仕えて食事の世話などの雑事に携わった、後宮(こうきゆう)の女官。諸国の郡(こおり)の次官以上の娘のうちから、容姿の美しい者が選ばれた。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「犬養孝氏揮毫の万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「万葉歌碑データベース」 (奈良女子大)
★「旅する明日香ネット」(明日香村観光ポータルサイト)
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、ロメインレタスとトマトそして焼き豚である。食パンは全粒粉入りで5枚切りを横カットして10枚切りの3枚使用である。デザートは、中央にキウイとバナナのスライスを交互に並べ、周りをクリムゾンシードレスの半カットをならべ、トンプソンも添えた。